1章『ラキ花』の世界に転生しました

第2話 加奈とひなと

――話は遡り、まだ“コーデリア”が“加奈”だった頃。


 加奈が欲しいと思ったものは、全て幼なじみの“ひな”のものだった。


 初恋の健くんには「俺、ひなちゃんのことが好きだから協力してくれる?」と言われ。


 学芸会では担任に「お姫さま役の台詞が多いって言っているから、加奈ちゃん、木の役になってカンペ見せてあげてくれる?」と言われ。


 極め付けに、就職先の会長には「ひなちゃんを広報課の社内タレントにしたいから、彼女の仕事を代わりに手伝ってくれ」と言われ。


(いや仕事を手伝うって何なのよ手伝うって。要するに面倒な雑務は私がやって、手柄だけひなにあげるってことじゃない!)


 照りつけるような日差しの下、ロケで使う大量の荷物を抱えて階段を登りながら、加奈は大きなため息をついた。 


(確かにひなは可愛い。女の私でも尽くしたくなるほど美人だと思う。でも、それに巻き込まれるのはうんざりだ)


 小さい頃から「可愛い可愛いひなちゃん。……とその幼なじみ」と言う、お菓子のおまけみたいな扱いをされて育った加奈は、早々に“脱・ひな”を目指して日々努力してきた。


 と言ってもできることは勉強だけで、ひなには無理なはずの高校に入ったら、謎の推薦枠でひなも合格。大学こそはと国立大学に入って一時の平穏を得たはいいものの、就職先の企業でまさかの再会。しかも相手は会長のお気に入りときた。


(今までの私の努力って、一体何だったんだろ……)


 入社して三年、広報部に入れたと喜んだのもつかの間。加奈はひたすらひなのマネージャー仕事をやらされ、手がけた仕事は全てひなの名前で報告され、ようやくやらせてもらえた華々しいプロジェクトは、土台を整えた途端ひなに担当を移され……。


 もはや、仕事に全くやりがいを感じることができなくなっていた。


「ねえ加奈ちゃん」


 そんな加奈の気持ちなど露ほども知らず、いかにも女の子といった可愛い声で、前を歩いていたひなが振り向く。その拍子に、綺麗に染め上げたミルクティーカラーの髪がふわりとなびいた。


「この間おじいちゃんが新作バッグ買ってくれたの。でもひな、同じの持ってるから、よかったらもらってくれない?」


 ひなが言う“おじいちゃん”とは決して血の繋がった祖父のことではない。ひなを社内タレントとして抜擢した例の会長のことだ。会長をそんな風に呼んで首が飛ばないのはこの子ぐらいのものだろう。


「いや、私はいいよ。鞄だけそんな高いもの持っても浮くだけだから……」

「え〜? 残念。ひなの持ってるもので、何か欲しいものがあったら言ってね?」


 そう言って、人差し指をほっぺに当てて小首を傾げて見せるその姿はとても愛らしい。この仕草ひとつで、一体何人の男がやられてきたか。


(一応気遣ってくれるあたり、ひな自身はすっごい嫌な子ってわけでもないんだよね……。尽くされるのが当たり前すぎて、感覚がおかしくなっているだけで……)


 そう、ひなは悪意があってやっているのではない。ただ地球が回っているのと同じように、尽くされるのが当たり前の世界に住んでいるだけ。だが巻き込まれる方はたまったものではない。特にひなの魅力にやられて、目の色を変えてしまった男性陣に捕まった時は最悪だ。


 以前、勇気を出して「資料作りくらいは自分でしてほしい」とひなに言ったら、後日上司(もちろん男)に「どうしてひなさんが資料作りをしているんだ? お前の仕事だろう」と怒られて以来、追求する気が失せた。


(あっ、思い出したらやっぱり嫌になってきた。異動願い出して、それでもダメだったらもう転職しよう……)


 その時の虚無感を思い出して、加奈は密かに決意した。

 

――ところが。

 

 「きゃああっ」

 「えっ?」

 

 突然のことだった。

 ひなの叫び声が聞こえたかと思うと、前にいた彼女が加奈の上に降ってきた。そのままスローモーションのように体が一瞬ふわりと浮かび上がり――そして世界は、頭に走る衝撃と共に、闇に閉ざされた。





 加奈は夢を見ていた。

 暗闇の中で、白く発光する美しい女の人が、横たわっている加奈を膝に乗せている夢。


(綺麗な人……でも誰?)


 その人は加奈の意識があることに気付いたのか、頭の中によく響く不思議な声で話しかけてくる。


『ごめんなさいね、あなたたちの設定を少し間違えてしまったみたいなの。お詫びに、あなたにはひとつだけ好きな条件で転生させてあげるわ。何がいい?』


(えっ? 転生……って、もしかして今流行っている転生もの……? じゃあこの人は女神さまなの? ていうか設定間違えていたの!? 神さまって、結構適当なんだ……)


 正直なことを思い浮かべれば、女神は誤魔化すようにウフフと笑う。心の声を読まれているのだろう。


『さあ、望みを言ってごらんなさい。今だけ何でも叶えられるわ』


(望み……望み……ああ、こんなことならもっと色々読んでおくべきだった。こういう時何が一番お得なの……。よくわからないからもう、努力が報われる世界ならなんだっていいや……)


 努力しても努力しても、ひなの前では全て水の泡になって消えていった加奈の人生。そんなのはもう、ごめんだった。


 投げやり気味に考えると、女神がまたクスリと笑う。

 

『いいわ。では、貴女が努力した分だけ、報われる世界に連れて行きましょう』


 そう言うと、女神は優しく加奈の頭を撫でた。その優しい手に誘われるように、加奈の意識は再び闇の中へと沈んでいった。





 次に目を覚ました時、“加奈”は広いベッドの上にいた。


 一人暮らししていた頃に使っていたような安物ではない本物のふかふか感に、つい無意識のうちにそばにあった枕も抱きしめてしまう。驚いたことにその枕もまた肌触りが良く、おまけに花のような香りまでした。


(いい匂い……こんなアロマ焚いていたっけ? というかあれ? 私なんで寝ているんだろ。さっきまで仕事でひなと……)


 そこまで考えて加奈は飛び起きた。


 目の前に広がっていたのは、海外の歴史ドラマにでも出てきそうな豪華な部屋。ロココ様式とでもいうのだろうか。家具はどれも高そうなものばかりで、壁紙にはこれでもかというくらい小花が散らされている。おまけに、お姫さまベッドとでもいうべき寝台にまで、小ぶりな天使の彫像がくっついていた。


「コーデリアさま! お目覚めになったのですか!」


 加奈があぜんとしていると、女性の叫び声が聞こえた。見れば、四十代ぐらいのややふっくらとした女の人が、加奈の手を握っておいおいと泣き出したではないか。


「だ、大丈夫よ、ばあや」


(って何!? なんとなく言っちゃったけどばあやってどういうこと!? しかも私の声すごく高い!)


 知らず自分の口から出てしまった声に、加奈は動揺した。


「よく顔を見せてくださいまし、コーデリアさま。……ああ、元気そうでようございました。階段から足を踏み外したと聞いた時は、ばあやの心臓が止まるかと思いましたよ」


 なんて言いながら、ばあやはエプロンの裾で涙を拭っている。

 それを見ながら加奈――今はコーデリアと呼ばれている――は、呆然と考えた。


(ああ……そういえば私の名前はコーデリアだ。この間五歳になったばかり。うん、なんかよくわからないけど、確かにそんな記憶がある……)


 この家の娘として生まれ、優しい両親とばあやと一緒に楽しい日々を送ってきた記憶が――。


(って記憶それだけ!? なんかもうちょっとこう、特徴的な記憶とかないの?)


 大雑把すぎる記憶に自分で突っ込みを入れつつ、ふと思い至って、加奈は急いでサイドデスクに置いてあった丸鏡を引き寄せた。


――そこに映っていたのは、天使かと見まごうような美少女だった。


 陽光を受けてきらきらと輝く金髪に、深い海を思わせるネイビーブルーの瞳。ふさふさのまつ毛に彩られたアーモンド型の目はやや釣り上がっているものの大きくぱっちりとしており、形よく尖った鼻と愛らしい唇と合わせて完璧なバランスを保っている。


(うわ、美少女! いや、美幼女!)


 即座に両手で自分の顔をぺたぺたと触ってみる。肌もきめ細やかで柔らかく、しっとりと手に吸い付いてくる感覚はたまらない。


(私……本当に転生してきちゃったの? あれ、夢じゃなかったんだ?)


 なおもモチモチのお肌を楽しみながら、加奈は考えた。


(もしかして記憶が大雑把なのって、今の私が幼すぎて全然覚えてないからなのかな。っていうか、女神さまっぽい人が言っていた“あなたたち”って誰のことなんだろう……?)


 そこまで思ってから、加奈はふと自分の顔に強烈な既視感を感じることに気づく。それから恐る恐るばあやに尋ねる。


「ねえばあや。私の名前ってなんだっけ? 名字の方……」

「あら、コーデリアさまもお名前を気にするようになったのですか? あなたさまのお家はアルモニアですよ。映えあるアルモニア公爵家です」


 コーデリア・アルモニア。

 忘れもしない。それは加奈が大学時代、ハマりにハマったアプリ乙女ゲーム『ラキセンの花』に出てくるの名前だった。


「嘘でしょーーー!?」


 自分のやたら甲高い悲鳴を聞きながら、コーデリアは頭を抱えた。

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