番外編2 そして未来へ
※時系列的には本編完結後わりとすぐの話になります。
淡く柔らかな日光に照らされて、イチョウの葉がひらひらと宙を舞う。黄色く色づいた葉が落ちたのは、最近整備しなおしたばかりの石畳の上だ。
大聖女服に身を包んだコーデリアは、目の前の街並みを見つめていた。
つい一ヶ月ほど前に、大火に襲われた貧民街。当初は焼け焦げた残骸にまみれていたこの通りも、今は見違えるほど綺麗になっている。まだ完全復活とは言えなくても、王国屈指の魔法使いたちが集まったことで信じられないほど速く復興されたのだ。
木造家屋が並んでいた場所には土魔法使いお手製のレンガ家屋が立ち並び、むき出しだった地面には見目好く魔法石が敷かれている。家とともに希望まで失っていた人々も、新しく生まれ変わった街を前に再び生きる気力を取り戻しているようだった。
トンカントンとあちらこちらで作業する小気味よい音や、おしゃべりに興じる女性たちの楽しそうな声が聞こえる。
「コーデリア、ジャックの家はこっちかい?」
後ろから尋ねたのはアイザックだ。コーデリアはふりむくと、彼に向って簡単な地図を差し出した。
「ええ、地図によりますとこの辺りですわ。パン屋を営んでいるから、すぐわかると思うのですけれど」
「ったく。わざわざ探さなくても最初から馬車でかっとばしゃいいのに」
後ろからぶつぶつと文句を言いながらついてきたのはジャンだ。それを隣に並んだリリーが素早くたしなめる。
「ジャンさまはわかっておりませんね。お嬢さまは街の様子をご自分の目で見たいんですよ」
「ええ、実際に歩いて見たかったのよ。私のわがままにみんなを付き合わせてしまってごめんなさいね」
そう言ってコーデリアは、周りにいる護衛騎士たちに申し訳なさそうに言った。コーデリアとアイザックは、この国の大聖女と王太子。いわば最も重要な人物たちであり、そのためすごい人数の騎士が護衛としてついてきていたのだ。
ジャンの後ろを歩いていた大柄な騎士が、ガッハッハと口を開く。
「俺たちなら大丈夫ですよコーデリア様! こんなのただのお散歩ですから。ジャン隊長は久々にリリー嬢に会えて照れ隠ししているだけなんですよ。いやあ青春ですな」
「お前そういうのはやめろって言ってるだろ!」
ゴンッ! と騎士の頭に拳が落ちた。隣で真っ赤になっているリリーを見ながら、コーデリアはくすくすと笑った。見れば、アイザックも珍しく口元を抑えて笑っている。そばでコーデリアたちを見ていた街の人々もドッと笑った。
「おおーい! コーデリアさまあ!」
その時、甲高い子供の声がコーデリアの名を呼んだ。見れば、パン屋と思われる家から顔を覗かせたジャックが、こっちに向かって大きく手を振っている。その後ろでは、以前会ったジャックの父親がぺこりとお辞儀をしていた。
「あそこのようだな」
「行きましょう!」
二人は手をとると、ジャックの家へと向かって歩き出した。
「いやはや! 綺麗に作り直してもらったとは言え、我が家に王太子様と大聖女様がいるなんて! どうおもてなししたらいいんでしょう!」
ジャックの家の中で、あせあせと父親がもてなしのために走り回っている。そんな父を尻目に、ジャックはいたって平然とした様子で椅子を指さした。
「とりあえずここ座ってよ!」
「あんたって子は……。コーデリアさまになんて口きくの!」
ジャックの母親があきれたように言う。その腕の中にはキラキラと目を輝かせた赤子が抱かれていた。ジャックの妹だ。
「コーデリアさまもアイザックさまも、ごめんなさいねえ」
「大丈夫ですわ。それより皆さまは元気でいらっしゃいますの? 特にジャック、後遺症など出てたりは?」
彼はラキセンの大火で、命に関わる大やけどを負った。コーデリアが治さなければ、恐らく死んでいたような代物だ。聖魔法で回復したとは言え、念のため彼らの安否を確かめておきたかった。
「おれはもうぜーんぜん平気! なんなら手のまめとかも全部治って、前より調子いいぐらい。それよりかあちゃんを見てよ。抱っこのしすぎで腰が痛いって言ってる」
「これっ! あんたはまたそんなずうずうしいことを! ごめんなさい本当によく言って聞かせますので!」
母親がぺこぺこと謝った。
「それぐらいお安い御用ですわ」
言って、すぐさまコーデリアは立ち上がった。肩に触れて聖魔法を流し込むと、ジャックの母親がほうと息をつく。
「ああ、ありがたいねえ……腰痛だけじゃなくてかいろいろよくなった気がしますよ」
「育児は重労働だと聞きますもの。奥さまも気にしないでくださいな」
コーデリアがそう言ったところで、みゃあ、という子猫のような泣き声が上がった。見れば、腕の中に抱かれていたジャックの妹がこちらに向かって手を伸ばしている。
「まあ、かわいい! おめめがジャックにそっくりね」
ぱっちりとした猫目に、ふわふわの髪の毛。ぷっくりもちもちしたほっぺは見るからに柔らかそうで、まさに天使とも言うべき赤子の様子にコーデリアはうっとりと微笑んだ。それからうずうずと、こらえきれなくなって聞く。
「あの、よければ抱っこさせていただいても?」
「もちろんですとも! まだ首はぐらぐらしているから、しっかり支えてもらって……」
落っことさないよう慎重に慎重に、宝物を扱うよりさらに大事に胸の中に抱く。ほんのり甘いミルクの匂いとともに、確かな重みをともなった赤子がコーデリアの腕の中に納まった。
「わぁ、かわいい……」
「本当にかわいいね」
隣には、柔らかな笑みを浮かべたアイザックも立っていた。彼と顔を見合わせ、また微笑む。その間も無邪気そのもののつぶらな瞳が、ちゅぱちゅぱと指をしゃぶりながらじっとコーデリアを見ていた。
そこへジャックがやってきて、自慢げに胸をそらした。
「おれの妹、かわいいだろ? 将来おれが守ってやるんだ」
「まあ、なんて頼もしいのかしら。優しいお兄ちゃんでうらやましいわ」
言いながら、赤子をゆらゆら優しく揺らす。コーデリアの返事に、ジャックがますます胸を反らした。
「コーデリアさまのことも、おれが守ってやるよ!」
「あなたが、私を?」
目を丸くしたのはコーデリアだけではない。隣のアイザックも、声には出さないものの興味深そうにジャックを見ていた。
「うん! おれ、決めたんだ。おれは将来騎士になって、コーデリアさまを守るんだ!」
「へえ、お前が騎士に?」
面白がるように進み出たのはジャンだ。ずいっと出てきた彼の姿に、ジャックが一瞬たじろぐ。
「おい坊主。騎士になるのは大変だぞ。特にお前みたいに家柄のない平民は長い下積みを経て、それでもいいとこ小隊長がやっと。王太子や大聖女の護衛騎士なんて夢のまた夢だぞ。大人しくパン屋を継ぐことをおすすめするね」
「ジャンさま! もう少し優しい言い方はできないんですか?」
リリーがムッとしたように言った。
「子供だからこそ、だよ。甘言に惑わされて将来絶望するより、今から厳しさを叩きこんでおいた方が親切ってもんだ」
「お、おれ! それでもやる!」
ジャックが拳を握りしめて、負けじと叫んだ。
「おれは強くなってコーデリアさまを守るし、妹だって守るし、かあちゃんだってとうちゃんだって守るんだ! おれ、コーデリアさまに助けてもらってからずっと考えてるんだ。おれが今も生きているのは、そのためにいるんじゃないかって……。だからあんたに何と言われても、おれは騎士になるからな!」
それを聞いていたジャンが、にやりと笑った。
「言うじゃないか。俺と名前が似てるだけあって気の強さは十分みたいだな。ならまずは毎日の素振り千回からだ。……おい、誰か訓練用の木剣を持ってこい。子供でも持てるような小さいやつだ」
「はっ!」
控えていた騎士の一人が、すぐさま家から飛び出していく。
「ジャック、あんた、そんなことを考えていたんだねえ……」
胸を打たれたように呟いたのはジャックの母だ。その目はうっすらと潤んでいる。その肩を、父親がそっと抱いた。
「そこにいる騎士さまの言う通り、騎士の道は過酷だ。だがお前が本気で目指すというのなら、父さんたちは応援しよう」
「私も楽しみにしていますわ。いつか騎士としてのあなたに会えるのを」
コーデリアの言葉に、ジャックがへへへと恥ずかしそうに笑った。
◆
「驚きでしたわね。まさかジャックがあんなことを考えていたなんて」
その日の夜、王宮に戻ったコーデリアは、外套を脱がせてもらいながら、後ろにいるであろうアイザックたちに話しかけた。
……だが、しばらく経っても誰からも返事が返ってこない。不思議に思って振り向くと、部屋の中にいるのは侍女たちを除いてアイザックだけになっていた。
「あら? ジャンとリリーはどこへ?」
不思議そうに見渡していると、同じく外套を脱いだアイザックが静かに歩み寄ってくる。
「彼らには少し退出してもらっている」
「そうなんですの?」
聞きながら、コーデリアは外した耳飾りを侍女に手渡した。そこへ、ふわりと後ろから抱きしめられる。――アイザックだ。何かを察した侍女たちが、すばやく部屋から退出していく。
「殿下?」
ほのかに鼻をくすぐる、アイザックの甘い匂い。耳に感じるかすかな吐息。何より背中全体から伝わってくる彼の体温と重みに、コーデリアの心臓がどくどくと鳴った。
「ど、どうなさったんですの?」
腰に回された手に控えめに手を重ねれば、すぐさま強く握り返される。
「……自分が、こんなに狭量だとは思わなかった」
ぽつりと続けられた言葉が理解できず、コーデリアは首をひねった。
「それはどういう……」
「あの少年の言葉を聞いたとき、ものすごくうらやましかったよ。私も国のことを誰かに任せて、君だけを見ていたいと思う時がある」
アイザックが何のことを言っているのか思い当って、コーデリアはぱっと振り返った。そういえば、こう見えて彼は意外と嫉妬深いのだ。
「まあ、もしかしてジャックに嫉妬していますの……んっ!」
その唇を、アイザックの唇がふさいだ。いつの間にか上がってきていた片手で頭を固定され、逃げることもできないまま、餓えた獣のように唇をむさぼられる。
経験したことのないキスに、コーデリアはうろたえた。執拗に繰り返される口づけに頭は熱に浮かされたようにぼうっとして、体はふわふわと落ち着かない。彼の服を強く握っていないと今にも足元から崩れ落ちそうだった。
「あ、アイザック、さま……!」
ようやく唇が離れて、コーデリアは息も絶え絶えにつぶやいた。薄目で見た彼の顔は相変わらず無表情だったが、青い瞳だけは爛々と光り、濡れた唇をぺろりとなめる仕草はぞくりとするほど色っぽい。
「……コーデリア、あの赤ん坊は可愛かったね」
「え、ええ……? 可愛かったですわね……?」
問われた意味がわからず、ぽうっとした頭で答えれば、彼は顔を寄せてコーデリアに囁いた。熱い吐息が、耳をくすぐる。
「――私たちも、今から子供を作ろうか?」
ぞくぞくと、電流のような甘い痺れが全身を駆け巡る。もう、これ以上立っていられなかった。最近はだいぶ耐性ができたとは言え、ここまでの威力となると話は全く別だ。
(だ、だ、だ、だめですわ! 私たちまだ結婚式も終わっていませんのに!)
しかしコーデリアの叫びが口から紡がれることはなかった。その前に、鼻血を吹き出してしまったからだ。どうやらアイザックの色気は刺激が強すぎたらしい。
コーデリア! とアイザックが叫ぶ声を聴きながら、コーデリアはゆっくりと意識を手放した――。
その日、王宮ではしょんぼりと肩を落とす王太子に、王太子に向かって大聖女付きの侍女が説教するという、世にも珍しい光景が見られたという。ちなみに王太子の近衛騎士がゲラゲラと笑ったせいで、二人まとめてお説教されたとかなんとか――。
<番外編②終>
お読みいただきありがとうございました!
あとがき的なものは1/22の近況ノートに書いてあります。
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