俺が釣りたいのはシーサーペントやクラーケンではなく、ましてやオーシャンドラゴンでは決してない。

くすだま琴

第一章 異世界キャンプ生活

釣り師、落ちる(4回)


 いつもは防波堤釣りしているのに、今日は岩場で磯釣りしようなんて思ったのが悪かったのか。

 いや、悪くない。人を助けられたのだから、良かったんだ。


 俺が落ちなければもっと良かったけどな!


 元々俺は下の方で釣ってたんだけど、高くなっている崖の上に人がいることに気付いた。

 転落事故が多い場所だから危ないよ。って声をかけようとして上って行くと、ふらふらした女性が海の方を見ていて。


「――――そこ危ないよ。崩れやすいから……」


 驚かさないようにそっと声をかけると、こちらを向いた顔色が悪い。揺れている体が心臓に悪いぞ。

 焦りつつもゆっくり近づいていくと、女性の体がぐらりと傾いた。


 ――――――――危ない!!


 とっさに腕を掴んで引き、位置を交代した勢いで、俺が崖から身を投げることとなる。

 一瞬時が止まり、あとはただ落ちた。

 迫りくる岩場と波しぶき。


 助けておいて、後味悪い思いさせてすまん――――――――……。


 それがみなと鰍也しゅうや三十二歳としての、最後の記憶となった。




 暗闇からふと浮かび上がる意識。

 苦しい、苦しい、苦しい――――!

 息苦しさと痛みにもがく意識に、注がれる癒しの気配があった。喉元から染みわたる生きる力。

 もっと、もっと、苦しい、もっと…………。

 与えられる涼やかな清らかなそれをむさぼった。

 朦朧もうろうとした意識の中、やっと開けた目の前にはアイスブルーの女性がいた。


「…………め、がみ…………?」


 青みを帯びたプラチナの髪が、俺に向かって流れ落ちていた。

 芸術品のように整った顔。氷のような薄い水色の目が、涙を浮かべ覗き込んでいる。

 ――――海の女神が、助けてくれた――――……?

 だいじょうぶだから、泣かないでくれ……そう言いたかったのに、また意識は沈んでいく。

 だが、今度迎えてくれたのは苦しみのない安らかな暗闇だった。






 気づくと、あたり一面が真っ白な世界にいた。いや、夢の中か?


「――――嗚呼ああ、びっくりしたわい……」


 目の前に老人がいた。眉が目を覆い、口元も長いひげで隠れている。なのに頭はまったく覆われてない。七福神にこういう神様がいたなと、俺はぼんやりその姿を見ながら思っていた。

 節のある杖を持った老人はまた口を開いた。


みなと鰍也しゅうや、だいじょうぶかの?」


「あっ、ああ……。だいじょうぶだな」


 俺はとっさに釣り場のおっちゃんと話すように答えた。


「そうかそうか。いや、びっくりしたのぅ。すくってすぐに行ってしもうたからのう。そういうわけでな、おぬしはもはや新しい生を受けた。変更不可じゃ」


「変更不可?」


「そうじゃ、その体で生きていくことになるのぅ。もちろん、土産は持たせるから次の生を楽しむがいいぞ」


「待って、待ってくれ! 爺さん! なんのことやらさっぱりわからないんだが」


 あやうく大した説明もなく、新たな生とやらに放たれるところだった。

 神様らしき老人の話によると、俺はやはり死んだらしい。が、魂を救った……掬った? その瞬間に、次の転生先の体へと飛び込んでいってしまったのだそうだ。

 え、魂をすくうとか、爺さん本当に神様ってことか。


「多分のぅ……もうすぐ死んでしまうであろう、魂はすでに去ってしもうた体へ、強く引き寄せられたのだろうよ……赤子に宿る魂であれば、ああは無理やり引っ張られはせぬ」


 表情はわからないのに、神様は沈痛な雰囲気を漂わせた。

 その国は大きな災害があった直後なのだという。


『魔素大暴風』


 魔素という魔を含んだ空気が溜まったところへ風がはまり、大暴風となる災害。台風のように建物や畑などを壊すのはもちろんだが、大量の魔素を浴びた魔物が狂い町を襲うのだと神様は言った。


 俺が引き寄せられたという体も、きっとその災害で大怪我をした人だったのだろうということだが――――。


 魔素。魔物。

 おおよそ日本では聞かない単語が出てきたぞ。

 遊んでいたオンラインゲームが頭をよぎる。魔法とか剣とかで魔物を叩いていたけど……まさか、それのリアルなやつってことか?! 異世界ってやつか?!

 え、そんな世界で三十二歳の社畜が生きていけるわけねーぞ?!


「――――このような大災害の時はの、違う世界で命運尽きた健全な魂を送り込むのじゃよ」


 国は異文化を取り込んで活性化して、元気になっていくのだと、神様は言った。

 案外そういうもんかもしれないな。楽しそうだしすごくいいと思うぞ。


 だが、俺がそれに巻き込まれているのがよくわからないんだが――――!


 神様は「そういうわけだから、達者での」なんて言って、また消えようとしたので止める。


「ま、待ってって! まだ心の準備が――――」


「そうかの? まだ聞きたいことがあるかの?」


「俺は、その――――この世界で何をすればいいんだ?」


「好きに生きていいんじゃぞ。異世界から遣わす『申し子』が生きているだけで、国は元気になっていく」


「申し子……? や、もう、聞きたいことしかないんだが、どこから聞いたらいいものか――――」


「ふむ……。まぁ、その世界に生きてみればわかることじゃ。習うより慣れろと言うじゃろ?」


「たしかに言う。が、異世界とか意味わからないって」


 老人はふんふんとうなずいた。


「この世界もわしが大事にしている世界じゃ。おぬしのいた世界と兄弟いとこのようなものと思えば、そんなに恐れることもなかろう?」


 そう言われるとたしかにそんなに知らない世界ではないのかもという気もしてきた。


「まぁ、向こうの世界と違うと言えばちょっと魔法が使えて魔物がいるくらいかのぅ。だがの、申し子は一番強く望まれた場所へと落ちるのじゃ。そんなに心配しなくてもだいじょうぶじゃぞ。――――ではの。その者のためにも強く生きるんじゃぞ――――……」


 ま、魔法?! 魔法まであるのか?!

 ちょ、ちょっと待て――――!! 魔法のとこ詳しく――――……!






 はっと俺は目を覚ました。なぜか既視感を感じる。

 ――――夢――――……?

 白い天井が見えた。どうやらベッドの上で横になっていたようだ。

 病院か……。ああ、そっか…………海に落ちたけど助かったのか……。

 夢見てた……。神様が異世界転生させるなんて、変な夢だったわ…………。


 半身を起こし周りを見回すとベッドがいくつか見えた。相部屋らしい。

 その向こうに鮮やかな赤色があった。

 その赤色はくるりと振り向くと、俺に気づき近づいて来た。

 なんという派手な赤髪?! 歌舞伎か?!

 白衣を着た赤髪の青年は、眼鏡の向こうの目を細めて微笑んだ。


「君、目を覚ましたんだな。よかった……君だけでも助かってよかった……」


 君だけでもって……あの女性、結局崖から落ちてしまったのか――――?!

 呆然としていると、青年は気の毒そうな顔をして目を反らした。


「……ここに、ベッドの下にご両親の遺品が置いてあるから……」


 ご両親の遺品――――?

 母は子供のころに亡くなってるし、父は田舎で元気にしてると思う。

 俺はそこでやっとおかしいということに気付く。

 目から入る情報の違和感。

 なんか俺じゃない、ぞ…………。鼻が高いし、目の前で揺れる前髪が青っぽい……。

 何気なく手元に視線を落とすと、よく使いこまれた手は微妙に小さく、こんがり小麦色だった。


 ひっ――――!!


 これ、誰の手だよ?!

 思わず跳ね起きて全身を確認すると、体が細いし小さくなってるし――――?!

 思い出したのは神様の言葉と『異世界転生』の文字。


 夢じゃ、夢じゃなかった――――――――!!!!


 俺はまたグラリとベッドに倒れ込んだ。






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