釣り師、起きる


「――――ちょっと、モールス様! こんな小さい子に何を言ったんですか!」


「い、いや、ゼラン……、僕は何も……」


「何もなくてショックで倒れるわけないでしょう?」


「そ、その、ご両親の遺品はベッドの下だと……」


「まぁ! やっと意識を取り戻したばかりの子に、そんなことを言ったのですか?!」


 青年の声とお怒りな女性の声が聞こえている。

 気を失っていたのは、ちょっとの間のことだったらしい。


「――あっ、目を覚ましましたね。だいじょうぶ、ここは治癒院ですよ。調合液ポーションは飲めますか?」


 若草色の髪の可愛らしいお嬢さんが、優し気にのぞきこんだ。


「ああ……うん……」


 口から出た自分の声は、まったく聞いたことがない子どもの声だった。

 俺、本当に、転生したのか…………。


 上体を起こしてもらって、ビンを受け取り飲み干した。

 薄めた漢方薬みたいな味の液体が体に染みわたっていき、ゆるゆると力が湧いてくるのがわかる。


「休めるようでしたら、もう少し休んでくださいね」


 優しい言葉に促され、もう一度横になった。

 でも、眠りはしない。どういうことなのか考えないと。


 異世界転生。

 きっとそうなのだろう。青年もお嬢さんもなかなか日本では見ないような髪色をしていた。

 神様の説明通り俺は転落死して、異世界で死にかけていた少年の体へ転生したと。


 赤髪の青年の言葉から察するに、この子の両親は近くで亡くなっていたのだろう。もしかしたらこの子だけでも助けようとして、亡くなったのかもしれない……。

 でも全く覚えていない。

 俺の中に、この体の記憶は一切なかった。名前も年もどういう思いを持った人物なのかも全然わからない。


 話している言葉はわかるんだがな……。


 こうなった以上、記憶喪失という設定でいくしかないわ。本当に覚えてないし、なんにもわからないからな。

 俺は記憶を辿ったり考えたりしながら、いつのまにかまた眠ってしまった。


 次に目を覚ました時には、体はほとんど回復していた。痛みもだるさもない。

 調合液ポーションを持ってきてくれた若草色の髪のお嬢さんは、ゼランニウムさんと名乗った。治癒補師アシヒーラーという職業で、治癒師ヒーラーの補佐をする人らしい。看護師みたいな感じか。


「――――そうですか、名前が思い出せないと。だいじょうぶですよ。身分証明具の使い方は覚えていますか?」


「身分証明具……?」


「手首にあるこのバングルのことですよ。この水晶に向かって心の中で[状況ステータス]と唱えるんです」


 俺の細い左腕には金属っぽいものでできたブレスレット……バングル? が巻き付いていて、真ん中に透明な円形の水晶がはまっていた。 


(ス……[状況ステータス]……?)


 恐る恐る唱えてみると、水晶の上に半透明のスクリーンが現れた。


 ◇ステータス◇===============

【名前】コータス・ハリエウス 【年齢】12

【種族】人 【状態】正常

【職業】なし

【称号】なし(申し子)

【賞罰】なし

 ◇アビリティ◇===============

【生命】2500/2500

【魔量】47600/47600

【筋力】58 【知力】78

【敏捷】62 【器用】89

【スキル】

 体術 53 剣術 33 魔法 60

 料理 91 調合 57 釣り 96

【特殊スキル】

 申し子の言語辞典 申し子の鞄 四大元素の種

 シルフィードの羽根 シルフィードの指

 サラマンダーのしっぽ

 ウンディーネの祝福




「出ましたか? お名前とお年はわかりましたか?」


「……コータス・ハリエウス、12歳……」


「はい、コータスさんですね。職業のところに何かありますか?」


「なしって書いてある」


「では学校は卒業しているということですね。そうそう、忘れているなら覚えておいてくださいね。この[状況ステータス]と[能力アビリティ]は大事な情報です。むやみに人に教えては駄目ですよ」


 そう言われても、そもそもがわからなくて困る。アビリティ? スキル? ますますオンラインゲームっぽい。

 だが俺がプレイしていたゲームとは違う。料理なんてスキルはなかった。

 特殊スキルに至っては、なんのことだかさっぱりわからん。


 ゼランニウムさんは、「食べられそうなら食事持ってきますね」と言って、部屋から出て行ってしまった。

 起き上がり周りを見回すと、相部屋ではあるが他に誰も寝ていなかった。

 最初に目を覚ました時には、他にも誰か寝ていた気がしたんだが。


 そういえば、飲んだ調合液は即効性だったな。だから他にいた人も、もう退院していったのかもしれない。

 俺もすぐに退院できそうな気がするんだよな。元気だし。死にかけててたはずなのに、恐ろしいな……。


 っていうか、退院するのはいいとして、俺、ちゃんと生きていけるのか。

『流れに逆らうな』『なるようになれ』『そのうちなんとかなるだろう』で生きてきたけど、今回はなかなか手強そうだ。


 そういえば赤髪の青年が、遺品がどうって言ってたっけ……。


 床に降り立ってベッドの下を覗くと、ベルトとそれに付いた剣が二セット、くたびれたリュックサック、クーラーボックスに似たショルダーストラップ付きの木製の箱が置いてある。

 リュックサックはくしゃりとして中に何も入ってなさそうだったが、開けて中を見てみた。


 ――――――――?! なんだこの闇空間?!


 覗き込むように縁にかけていた指が、中に入ってしまった。

 途端に、目の前に半透明のスクリーンが浮かび上がった。


 ===============

 ナイフ×1 釣り竿×2

 テント×1 寝袋×3

 回復薬(ラディーノの微笑み)×4

 鉄貨×5 銅貨×3 銀貨×28 金貨×13

 巻物スクロール(魔物除け建物結界・特小)×1

 火魔粒×300 風魔粒×120

 水魔粒×250 土魔粒×290

 魔法書〈初級〉×1

 魔法書〈中級〉×1

 魔法書〈上級〉×1

 ・

 ・

 ・

 ===============



 え、これが中に入ってるってこと……?

 食器だのパンだの服だのはともかく、魔法書? 巻物?

 そーっと手を入れ、釣り竿なんて本当に入ってるのか? と探ろうとすると、手に釣り竿があった。


 えええええ? なんだこのリュック?!


 出したい物のことを思い浮かべれば、それが手に乗るらしい。何回かいろいろ出し入れし動作を確かめてみる。

 クーラーボックスもどきも同じようなものらしく、中は少しひんやりした闇空間だった。


 オンラインゲームで言うところのストレージが、現実にあるとこうなるってことか?


 剣とクーラーボックスもどきをリュックにしまい、もう一度釣り竿を出した。


 銀っぽい材質だけど、不思議とまろやかな手触りだ。リールかと思った手元の円形状のものは、リボルバーのシリンダーに似ていて、中には丸い粒が詰められていた。


 さっき同じものをリュックから取り出したな。小指の先大の透明な粒。確か魔粒まりゅうってやつだ。


 リールがないから竿なんだろうけど、糸の長さ調節できた方が便利だと思うんだが。

 そしてこの粒が入ってる器具はどうやって使うんだろう。

 異世界の釣り――――なかなか興味深い。


 そういえばスキルに釣りっていうのもあった。

 俺の能力なのか、この体の子がやってたのか。

 釣り竿が二本入ってるってことは、親子で釣りをしていたのかもしれない。


 うちも釣り好きの親父だったから、子どもの時からよくいっしょに釣りに行った。釣りの仕方はもちろん、おっちゃんたちとの社交や魚のおろし方も覚えていった。釣りってのはただ釣るだけが釣りじゃないんだわ。

 ただ待つ時間も疲れて帰る時間まで、その時間全部が釣りで、好きな時間だった。


 ――――君も、釣りが好きだったのか――――?


 今もまだ全然状況を把握できてなくて、明日はどっちだと途方に暮れそうだけど、この体で生きる以上は俺がこの体を幸せにする義務がある。

 ちゃんと生きていかなきゃいけない。それだけははっきりしている。


 ――――きっと聞こえてはいないだろうけどさ。

 なんの縁なのか、君の体で生きていくことになった。

 無茶しないで大事にして、長生きできるようにがんばるよ。

 だから、空の上で家族で安らかに暮らしてくれな――――。


 俺は心の中で、そう語りかけた。





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