第45話 遠坂雪彌VS倉本健
亮太が心配した雪彌は倉本と対峙していた。
中学生にも見間違われる小柄な体格と可愛らしい童顔。ともすれば鍛えている雪彌の方が強者に見えるかもしれない。されど、本当の強者は倉本だ。
去年の選手権ベスト八の実力者。準々決勝で怜に敗れたが、その力は確かなもの。見た目に惑わされれば確実に敗北を喫するだろう。
友人から警告を受けていたクールな少年は気を引き締めた。
彼は自分よりも圧倒的に強い。役目は可能な限りこの場に留めておくこと。勝てないのは分かりきっている。出来ることを着実に。
地道さだけが取り柄なのだから。
倉本は対峙した時からずっと不気味なほどにニコニコしている。
「遠坂くんって格闘戦が得意でしょ。オレも得意なんだよねー。だからちょっと楽しみにしてたんだ。君とやるの」
「……そうか……」
「緊張してる? する必要ないのに。誰も邪魔もしないよ。菅原さんは鈴山さんとやりあってるだろうし、藤堂さんは小笠原くんに執着しててこっちには興味ないから。萩野くんは藤堂さんのサポートで高木くんは言わずもがな、かな」
「良く喋る野郎だな」
しかめ面な雪彌の声は明らかに嫌悪を示していた。一方は緊迫していても、一方は遊園地に居るかのような能天気。弱者であるからこその苛立ちと強者であるからこその余裕。
雪彌の感情も当然と言えた。
されど、その苛立ちや嫌悪は一瞬で恐怖に変わった。腕からゾクゾクと鳥肌が駆け巡っていく。
温度を失くした双眸に薄ら浮かんだ笑みは、さっきまでの陽気さとは対極にあるものだ。これが本来の彼なのだとしたら、倉本の性格で最初に思い浮かぶ言葉は冷酷無比に尽きた。
ニコニコ喋っていてもそこには何の感情もないのかもしれない。感情がないゆえに笑顔を貼り付けているのかもと勘繰りたくなってしまうほどに、今の倉本は気味が悪い。
「それが本性か。猫被りが凄いな」
「本性も何もないよ。オレはオレ。まあ、菅原さんにはちゃんと笑えって言われたからそうしてるけど、たまに元に戻っちゃうんだよね」
倉本は親指と中指を使って口端を吊り上げた。手で上げた口角はそこで固まった。歪な笑顔の完成だ。
感情が読めない瞳と不自然な笑み。
「テメェいかれてんのかよ……?」
「良く言われるけどいかれてはないかなー。感情表現が苦手なだけ。もう話すのは不要だね。白黒着けよう。大局に影響がないこの戦場だけどね」
雪彌が戦闘態勢に入ろうとした刹那、笑みを固めたままの相手に眼前に迫られていた。加速魔法の使い方がえげつないくらいに上手い証拠。ゼロから百にする能力に長けている。
左からの高速フックが来るが、雪彌は的確にガードした。懐に入られた時は驚いても、速さも正確さも倉本を上回る相手を少年は知っている。
友はこんなものじゃなかった。骨に伝わる痛みは、こんなにも軽くなかった。だからこそ、反撃に転じられる。
目前にある童顔に目潰しを返す。倉本は手で払い除けて少年の指は顔の横をすり抜けた。そして倉本の拳が雪彌の顔面にめり込んだ。
「グハッ」
鼻は折れていない。けれど、血が流れるくらいの負荷は負う。
殴られた勢いで二、三歩後退する間に右頬からさらにダメージが加わった。今度は口の中に鉄の味が広がる。
痛みに耐えながら雪彌は地面を滑った。水分を含んでいる土は冷たく気持ち悪いが、それを感じる余裕はなかった。まずは起き上がる。姿勢を整え迎え撃つ。次、どう行動するか少年は頭を動かし続けた。
問題は思考に体がついていかないこと。倉本の速さに対応出来ない事実が、否応なく雪彌を窮地へと追いやっている。
滑って立ち上がる前にお腹へ爪先が食い込んだ。
「かはっ」
さらに転げて大木へと背中を打ち付けた。空気が無理矢理外へ押し出されて呼吸困難に陥った。
「ッッッ! ぁ————ゴホッ。オホッ」
「大丈夫ぅ。こんなんで終わりじゃないよね? もっと楽しませてよ」
愉悦に浸る倉本を涙目で見上げた。
亮太や遥のサポートがあったとは言え、準決勝までそれなりに戦えていたし戦力になれている自信が僅かばかりにでもあった。一人でもやれると思っていた。
蓋を開けてみればこれだ。同い年の自分よりも小柄な男に完膚なきまでに叩かれた。手も足も出ない。
所詮、俺はこの程度。足掻いたところで何も成せない。
諦めの選択が色濃くなった雪彌の脳裏にそんな言葉が浮かぶ。このまま目を閉じれば全てが終わる。諦めても友たちに影響は出ない。諦めても対抗戦に出られる。それでいいじゃないか。今日勝てなくても一ヶ月後は分からない。また頑張れば良い。今日は負けでいい。
目を閉じかけた少年の瞼の裏に友人の顔が見えた。同じ失敗者でありながらA組よりも格段に強い亮太が見えた。初歩的な魔法だけで強敵を制圧する彼は、自分が目指す理想だ。
あいつは諦めるのか? 何も成そうとせず、抗いもせずに負けを認めるだろうか? 否だ。そんな男があの強さを得られるわけがない。
今、戦うことをやめても明日からまた頑張れる自信はある。けれど、ずっと心に痼りが残る。それは一生消えないかもしれないし、理想像に近づけない壁になるかもしれない。
それに何より、自分で言った。足掻くと。
まだ、ばた脚すらしていない。足も動かさずに水底へと沈むのか。
絶対に嫌だ。十五年間、ずっと強さを求めていた。その希望が見えたのに抗わないなんてあり得ない。
雪彌は拳を握る。土が爪に入っても気にならないほどに燃えていた。
「やってやんよ。やってやんぜ。ちくしょう」
「そうこなくっちゃね」
目が据わった雪彌は番狂わせを起こしてくれそうな期待があった。
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