第28話 記憶 A・J・スチュワート(亮太十歳)

「若〜優梨さまが探してましよ〜。まぁたサボってるんですか? ちゃんと勉強してください」


 デッキで仰向けに寝転び、日向ぼっこをしていると炎髪の美女が顔を覗かせた。彼女はこの商団でも随一の魔法師だ。


「休憩してただけ〜。……アレクシス。見えてる」

「見たいだけ見て良いですよ」


 短いスカートの中を隠そうともせず彼女は立ち位置を変えない。

 アホくさ、と思い少年は体を横に向けた。


「もう見なくて良いんですか〜? 貴重ですよ?」


 彼女はしゃがんで目を逸らす少年の頬をちょんちょんと小突く。


「うっさい。つーか、なんでお前が優梨の使いやってんだよ」

「優梨さまも好きなので」


 亮太が彼女にそう言ったのは、アレクシスが兄の側近だから。商団に入ったばかりの頃は兄の側近たちも良く遊び相手になってくれた。けれど、優梨に懐くようになり、多くの時間を過ごすようになってからはそうでなくなった。いまだに絡んでくるのはこの赤毛の女だけだ。


 十歳の少年でも派閥があることは理解している。兄派と義姉派。兄は仕事も出来るし魔法師としてもかなり優秀。だからなのか、周りにも高いレベルで要求する。対して優梨は、兄同様に優秀で有能だがおおらかで優しい。団長は兄だが、副団長の優梨の方が慕われている。と亮太は思っている。

 そんな小さな世界の政治は少なからず少年の心を窮屈にする。兄は好きだし尊敬もしている。関係も良好だ。ただ、側近たちはとは顔を合わせづらい。すれ違うたびに引き攣った笑顔で言葉を交わす。

 うんざりするが避けていてもいられない。


「他の奴らもアレクシスみたいになってくれたらなぁ」

「その辺は人の集まりですからね。これでも上手く回ってる方ですよ。かなり」


 彼女は亮太の隣に寝た。目を瞑って陽の光を全身に浴びる。


「気持ちいいですね。日向ぼっこする時はわたしも呼んでください」


 亮太は左腕を枕にしてアレクシスの方へ向き直った。


「いいけど。ちゃんと仕事しろよ」

「若が勉強始めたらわたしも仕事しますよ〜」

「……」

「なんで黙るんですか」


 目を細めて少年を見据えるアレクシスの声音から腹を立てているのが判った。けれどそこには威圧する意志はなく軽い戯れの一種だった。


「……日本では十歳の子供が微分積分、化学の勉強をしないらしい。これについてどう思う?」

「若はすべきだと思います。龍人たつひとさまが家督を継がれた後、この商団は若の物になるんですよ。他の子供たちとは立場が違います」

「兄貴の代わりが務まるとは思えんのだけれど」


 亮太は体を起こし横たわるアレクシスを視界に入れる。その姿勢が真面目に話し合うつもりなのだと察した赤毛の魔法師も起き上がり顔を近づけた。


「龍人さまの代わりである必要はありませんよ。その時が来れば若の望む商団を作ってください」

「……俺の商団にはアレクシスが居てくれんの?」


 少年は上目遣いで彼女に問いた。決して意図した行為ではない。だが、少年の彼女を求めるその双眸はアレクシスの心を確実に掴んでいた。

 赤毛の女はきつく亮太の体を抱きしめた。


「もう。どんだけ可愛いんですか〜」

「いや。苦しいんだけど」


 アレクシスはゆっくり離れて大きな瞳を愛らしい子供へと向ける。


「若が望めばわたしはそこにいます。龍人さまも解ってくれると思いますしね」

「だったら出来るかもね」


 美女の笑顔に照れて亮太は目線を外した。この特別な空間に人の気配がした。


「A・J。何してんの?」

「若といちゃついてた。クレアも混ざる?」


 A・J。アレクシス・ジャロウ・スチュワート。団員は総じてこの愛称で呼ぶ。商団内でアレクシスと呼ぶのは兄、義姉、そして亮太の三人だけだ。


「混ざんないよ。てか、甘やかさないで。若、戻りますよ」


 クレアは亮太の腕を引っ張り、無理矢理船内に連れて行こうとした。少年はそれに抗いもせず、流れに身を任せた。


「じゃあね。アレクシス」


 彼女は見えなくなるまで、微笑みを浮かべて手を振ってくれた。

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