第6話 胎動(6)
二人を引き連れ少年は、通信室に向かっていた。
道中、少年が常に気になっていたのは電話相手や要件ではなくルドミラの態度だった。いつもなら肌が触れ合うほどの近距離で報告をするし、上司、部下の関係とは思えないが腕を組んでくることもあるのに今回は手を伸ばしても届かない遠さだった。どういうわけか膨れっ面して後ろにいるのも引っかかる。
彼女を不機嫌にさせた理由をずっと考えているものの皆目見当がつかない。斯くなる上は本人に聞くしかないのだろうと思いつつも逆鱗に触れないか不安しかない。
「なあ、ルドミラ。俺、お前になんかしたっけ?」
「解らないんですか?」
膨れっ面から一転、素晴らしいと称するまでの笑顔に変わった。全くもって恐ろしい。少年はぎこちなく首を前に戻し「すんません」と一言するしかなかった。
通信室に着くまでに考え得る理由を思い浮かべてみたが正直パッとするものはなかった。
通信室には十人前後のメンバーが常時待機しており、緊急事態に備えている。彼らの役目は、他にも敵襲の予測など見えない敵への警戒任務も担っている。海賊襲撃の一報をしたのも彼らだった。
その通信室の奥に少年のみが使う部屋がある。クレアとルドミラの二人を部屋の前で待機させ中へ入る。
八畳部屋の右側壁面には一面を覆うスクリーンがあり保留中の表示。少年は車輪付きの椅子に腰を掛けた。すぐに保留を解かず間を置く。
相手が相手だけに精神の揺らぎは禁物だ。少年は大きく息を吐いて、背もたれには体を預けず背筋を伸ばしてビデオ通話を再開した。
「お待たせしました。亮太です」
『久しいな、亮太。元気そうで何よりだ』
画面に映し出された男の顔は彫りが深く顎髭を生やしていた。その顔に合うように体も鍛えられており、間近で見れば威圧されるだろう。
「ご当主様もお変わりないようで何よりです」
お互いに息災であることを喜んだが、裏では早死にを願っていた。
少年の通話相手は北条
ただ、それは表向き。少年は主人に対する忠誠を微塵も持ち合わせていない。今はまだ猫を被らなければならない時期のため大人しくしているが、その機会が来れば迷わず剣を抜くだろう。
対して善時も少年を、より正確には小笠原家を疑っていた。いつの日か裏切るのではないのかと。その疑念を抱かせるのに十二分な武力を小笠原は所有している。クレアやルドミラ、セギョンなど表舞台に立つことを許されない団員の存在は隠されているものの、それでもなお脅威と思われるほどの力を擁していた。
さらに北条は他の始祖一族とは違い本家の力は微力で、始祖の一族としての地位を固めているのは分家の力があってこそだった。武力の小笠原、財力の菅原と言えば国内では有名な話。海外ではむしろこの二家の名の方が売れている。
それもあり本家の人間は分家の反乱を恐れている。逆らわれても鎮める力のない彼らは、無意味と思っていても全ての行動を疑い続け最悪の事態にならないように対策を練っている。
それでも表向きは当主と配下の関係、少年も一応の礼儀は守るし善時も主人としての威厳は確保する。
『早速本題だが、お前には魔法高等専門学校への入学を命じる。年内中に他の者へ引き継ぎ、戻って来い。魔高専入学の要旨は用意出来次第送らせる。良いな?』
「御意に」
少年はカメラ越しに頭を深く下げた。
『お前からは何かあるか?』
「引き継ぐ相手は私が選定してもよろしいでしょうか?」
『ああ。だが、まあ、仕事の内容を良く理解している者に引き継いだ方が良いだろう』
「……承知しました」
善時は遠回しに現在共に行動している直属の部下に引き継げと提案した。小笠原家の者ではなく、少年の部下内から選べと。
少年と部下たちの切り離しを図り戦力低下を目論んでいるように感じた。
『他にないのであればこれで切るが』
「こちらからは以上です」
『忘年会には顔を出せ』
そう吐き捨て善時は通話を終えた。
少年は背もたれに体重をかけて気を抜いた。
家としての総合的な強さは上でも北条善時という魔法師単体は侮れない。
しばらく当主善時の指示を考えていた。今の地位を譲る相手として直の部下は最も妥当な選択肢。高校の間、一緒に過ごさずともすでに出来ている関係性が崩れるとは思いたくないが、在学期間は五年と長い。その五年間、自身が手出し出来ない中で色々動かれると不安でもあった。
古参組は絶対的な信頼関係があるので安泰だろうが、新参組はどうだろうか。この三年でそれなりに互いを信頼し合える間柄になったとは思える。戦場で背中を預けられるほどに、隣で寝られるほどには。
だが古参たちとは違い、彼ら彼女らとは優梨という繋がりは存在しない。あるのはただ、亮太自身が創造しようとしている理想郷と彼らの追い求める希望が合致している点だけなのだ。
ゆえに少年は最悪の事態を想像せずにはいられない。会うことが難しい五年で彼らの心が自分から離れてしまうのではないのだろうか、と。
そこではたと気づかされる。
その不信は少年自身が彼らを信用出来ていないからなのではないのか。古参や新参と分けている時点で少年が彼らの忠誠心を区別してしまっているのだと。
そしてルドミラが不機嫌になった理由にも思い当たった。
「そういうことかぁ」
深く出た言葉だった。
彼女が報告に来た時タイミング良くクレアとハグしていた。それは少年が気落ちした時に優梨にいつもされていたもので、抱擁される度に心が落ち着いた。
気落ちしてなくても平穏を求めてねだったことも一度や二度ではない。義姉の亡き後はクレアたちが姉として兄として代わりにやってくれていたものだ。されどハグの意味を知らないルドミラたちとはやって来なかった。それは望む望まないではなく、無意識に彼女たちには求めなかったのだ。
おそらくその差がルドミラには不服だったのだろう。変わらず尽くしてきたのにも関わらず、返ってくる愛の強さが違うのだから。
流石にこれは反省しなければならないと自責の念に駆られた。
少年は専用通信室から出て二人の美女に出迎えられた。
「お疲れ様です。どうでしたか?」
本家当主との通信が余程不安だったらしく部屋を出るなり、クレアに問われた。まるで息子が受験した志望校の合否を案ずる母親のような面持ちだ。
「来年から魔高専に通えって話だったよ。そんで今の仕事は部下に引き継げって」
少年が簡潔に伝えるとクレアは予想していた話でいくらか不安を解消させ、安堵の表情に移りつつあった。反面、ルドミラは判りやすくむっとした。甲板での出来事が今もなお尾を引いているようで不機嫌の波が収まりそうにない。
落ち着かせ理解し合うためにも一度、二人で話す必要があると確信した。
「引き継ぎ相手は叔父さんって決めてるしその方向で変えるつもりはないから、クレアはメンバー勝手に選んでいいから書類とかの引き継ぎ準備よろしく」
「かしこまりました」
了承するとブルネットの彼女は一礼して場を離れた。すぐに行動しろとまでは指示していないが、少年の元から離れたのはルドミラを気遣ってのことだった。
クレアもライバルの感情が不安定なのには当然気づいていて少年が気にしているのも察して二人にしようとしたのだ。
仲が宜しくない相手でも相応の対応が出来るのは、これまでに多くの者を束ねてきた証拠だろう。人の気持ちを敏感に察知して、時に叱咤し、時には優しさで包みこみ背中を押す。
今回押した背中は成長した少年のそれだった。
少年は金髪美女を従え廊下に出た。通信室に居る部下には聞こえない位置まで移動して周囲にも人影がないのを確認する。
不意に少年は彼女の腰に手を回し、抱き寄せた。香水の仄かな香りが鼻腔をくすぐった。
「ボ、ボス⁇ あ、あの、誰かに見られると、ま、まずいですし離れないと……」
予想外のことにルドミラは平常を保てない。頬はみるみる朱に染まっていく。
彼女の言葉とは裏腹にその声音からは永劫に今が続いてほしいと願っているように聞こえた。
「ごめん、ルドミラ。このハグさ、昔よく優梨にやってもらってたんだ。こうして抱きしめられるとスゲー落ち着いて心地よかった。……でも、優梨がいなくなって、そしたらクレアたちがやってくれるようになったんだ」
「……そう、ですか」
いくらか乱れた心を整えたルドミラは平坦な声で反応した。
そこには自分の知らない主人たちだけの思い出があって、その記憶に介入する余地がない現実を悔やんで恨んで、羨んで。そんな複雑に入り混ざった感情を悟られたくなくて、何も感じてない振りをしてしまった。十も歳の離れた男の子に虚勢を張った。
少年は反応の薄さを気にしながらも語りかけた。
「お前たちを蔑ろにしてたわけじゃない。けど、少なくともルドミラが嫌に思うほど俺はどこかで線引きをしていた」
「嫌だなんて、思ってませんよ」
態度に出しすぎていたと自覚しているようで多少のぎこちなさは隠せなかった。
「えーホント? なんか超怒ってたように見えたんだけど」
「気のせいですよ。さっきのを言ってるのなら、あれはノーマルスマイルですっ」
少年が茶化すとルドミラも笑いながら乗ってきた。
「ノーマルスマイルってなんだよ。……まあ、ともかく、俺はクレアたちと同様にルドミラたちを信用してるし信頼もしてる。俺にとってはお前らも甘えられる姉貴で、頼りになる兄貴たちだ。出来ればこれからもボスでありダメな弟で居たいんだけど、いいかな?」
「もちろんです。私もボスのいいお姉ちゃんでいられるように頑張ります!」
彼女の機嫌が明らかに良くなったのがわかった。表情は見えずともきっと最高の笑顔でいることに違いないと思わせるほど、ルドミラの声は弾んでいた。
「じゃあ今の言葉を他の奴らにも伝えてくれない?」
「それは自分でしてください」
「ですよねー」
ルドミラは抱擁状態を解いて少年の顔を間近で見据える。
「ボスの正直な気持ちを直接話してくれればみんな喜びますよ」
「わかったよ。じゃあ一時間後にみんなを集めてくれる? 今後の方針も一緒に話したいし」
「はい!」
彼女はぺこりとお辞儀して少年の元を去った。
金髪美女の反応を見る限り少年の取った行動は間違えてなかった。それが分かっただけでも一安心だ。
「まさかゼレノヴァとくっつくとは。個人的にはクレアと一緒になって欲しかったですけどね」
「急に現れて何言ってんの?」
至極真面目な顔つきで顎に手を当てたピーターが横に居た。
「いえ、恋仲になるのであれば第一希望はクレアかと。次点でセギョンですね。……いえ、二人共が一番平和ですかね」
「……はぁ」
少年は盛大にため息を吐いた。
「それにしてもゼレノヴァは随分丸くなりましたよね。昔は若に逆らってばかりだったのに」
確かに、と思いながらもやはり脱力感は否めない。
「で、用件は?」
気配を殺してまで一部始終を窺っていたのは伝達事項があるからだろうと推測していた。そしてそれは間違っていないようだ。
「そう、それです。不死の女王から先程連絡がありまして、若に直接見て頂きたい物があるからすぐに来てくれと」
「先にそれ言えよ」
「さーせん」
微塵も反省していない謝罪の言葉を受け取りながら話を続けた。
「で、見せたい物って?」
「聞いたのですが、直接見せたいと言われそれ以上は」
少年は数秒考えをめぐらせ答えを出した。
「じゃ、俺が連絡するからカミラと話せるように準備しといてくれる?」
「承知しました」
ピーターは最後だけ部下らしく丁重な言葉遣いで受け入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます