第5話 胎動(5)
五月四日。
少年が賭けで大損してから一週間が経過したこの日、船上では喪服姿のメンバーで溢れていた。晴天で暖かい風が頬を撫でていても皆きっちり身なりを整えている。
今日は少年の義姉である優梨の三回忌だ。優梨の死後に加わった新参メンバーも律儀に参列している。この法事もまた、少年への忠誠を示し仲間同士の絆を確かめ合うイベントの一つになっている。決して仏教徒ではないから参加しないという輩は一人としていない。
一ヶ月後には兄の命日も控えているが、法事を行うつもりは毛頭ない。
各々が担当の持ち場に戻り特別感が薄れ始めた頃、少年は船首の手すりに腕を置いて船の行く先を眺めていた。
昔は隣に優梨が居た。今となっては彼女の存在を懐かしみたい時の少年の居場所だ。
そこへふらり、クレアが現れた。
「中に戻らないんですか? 熱中症になっちゃいますよ」
「もう少し。それに結構風が良い感じだぞ」
「じゃあ私もー」
彼女は少年の横に来ると体を手すりに預けた。無言のまま風に揺られブルネットを靡かせる。
「三年って考えると長いですけど、感覚としてはつい最近って感じですね」
「全くだな。……優梨を知らない団員が増えて別物の商団って感じだけど、本当にこの前まで優梨が居た感じがすんだよなぁ」
三年前までの思い出を自然と二人は共有していた。
優梨が良くつけていたラベンダーの香水も常に達観し全てを見透かしているような大きな瞳も、絶対的な強者でありながらそれに似つかわしくないほどに小さく可愛らしい手も、笑った時にだけ子供っぽくなるあの表情も、その全てが愛おしく、永劫に残り続ける二人の記憶。
「ですね。まあそれだけ優梨さまの存在が大きかったってことですけど。……本当、昔は良かったですね」
「今の商団は嫌いか?」
彼女の心内を探る質問。リーダーが代わり必然と方針も変わった。兄の死後、団員数は半減。団の弱体化を懸念した少年は一年ちょっとで、六十七人だった仲間を百人近くまで増やし、思想が近い人間を世界中から集めた。
たとえ考え方が近くても急激に人を増やせば亀裂は生まれてしまう。クレアや他の古参メンバーの力を借りて亀裂を修復しながらなんとか進んできた。
今の形になるまでに随分と苦労したものだ。
その苦労がまだ報われたとは言えない。いつ報われるかも分からない。
クレアが心底慕い、忠を尽くした優梨が集めた仲間と世の理を憎む少年が集めた仲間。二人がそれぞれ集めた仲間は、人の生死に対する考え方は近くとも世界に対する憎しみの強さが違った。
クレアが大統領の命を狙ったのは復讐。ルドミラが革命を起こそうとしたのは先帝が創った時代を壊すため。どちらも憎悪が根底にあるがクレアに国を壊すほどの激情はない。
それにクレアたち古参は優梨との時間を過ごしていく中で落ち着きを得ていた。
昔は一人一人が狂乱の言葉がぴったりな生き方をしていたのに今となっては攻撃されない限り人を殺さないようになった。投降した敵にも温情をかけるようになった。
つまり甘くなったのだ。
逆にルドミラたち新参に甘さはない。元々の性格で殺しを好まない者もいるが全員が徹底的に成し遂げようとする。ボスである少年が無闇な殺しを望まない傾向にあるので彼ら彼女らも自重しているが、言動から決定的に不満が滲み出ている時もある。主にルドミラだが。
だからこそなのか、少年の呼び方云々の前に派閥の間には浅くはあっても溝があった。幸いなのは少年への忠誠心がその窪みを埋めていることだ。
少年自身も現状の商団を優梨がどう思うのか不安だ。義姉に心酔したクレアであれば代わりに答えてくれるだろう。クレアの答えこそ優梨の答えだ。
「嫌いじゃないですよ。最初はどうなることかと思いましたけど」
過酷だったとしても今となっては酒の席で出来る思い出話をクレアは短い言葉で笑いながらまとめた。
「お前のおかげだよ。個性の強いメンバーを上手く統率してくれた。叶うならルドミラと仲良くしてほしいけどな」
「それは無理でーす」
尽力を褒められたクレアは嬉しそうに反発した。
少年は鼻で笑うと手すりから離れた。
「ま、ガチで殺し合わなきゃなんでも良いけど」
少年はクレアに向き直る。
「……お前には特に支えられた」
「なんですか? 真面目に。キャラじゃないでしょ」
「茶化すなよ」
改めて話をするべく少年が空気を作ろうとすると彼女は訝しむように目を細めた。それを少年は戒める。だが、真面目になるのに慣れていない自覚があるのか笑いを含んだ言い方になってしまった。それでもこのような機会でしか言えないこともある。
本当は気恥ずかしいが、六歳の頃から面倒を見てくれている相手になら幾らか正直でいられる。
一度咳払いをして区切りをつけた。
「クレアには本当に感謝してるんだ。ガキな俺がみんなを上手く纏められているのはお前が色々動いてくれていたから。頼もしい仲間として、そして姉貴として隣にいてくれることに感謝してる。いつか、優梨と肩を並べられるくらいの人間になるからさ。これからも頼むぜ、クレア」
彼女は少年の言葉で全てが報われたように、晴れた顔つきになった。
「もちろんです。それに私にとって若は、すでに優梨さまと同じように尊敬できる方です。私の今の王は、あなたですよ」
彼女は少年に歩み寄り抱擁した。彼に嫌がる素振りは見られない。少年もクレアを受け入れ彼女の背に手を回す。
「全身全霊で若をお守りします。私の全てを持って若の理想を体現し、唯一の王に……」
静寂ののち、再びクレアが口を開いた。
「? また、背伸びました?」
「成長期だからね」
クレアは少年から少し離れて、自身の頭頂から手をスライドさせ、少年のおでこに当てた。
唇が触れ合いそうな距離で二人が目を合わせていると新しい気配がデッキに現れた。
クレアは少年の奥に目をずらし、彼は振り返り金髪美女に視線をやる。
「ボス、北条からお電話です」
抑揚のない声でルドミラが報告する。心なしかいつもより距離があるように思う。
「若が予測した件でしょうか?」
「おそらくな」
急に真剣な声音になったクレアに少年も自然と仕事モードに入った。
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