第10話 弟妹(涼夜と爽)

 話が一区切りしたところで涼夜が真剣な面持ちで兄を見据える。


「それで兄上。クレアさんたちは無事入国出来たのでしょうか?」


 弟の無防備な発言に亮太は小さな妹をちらっと見た。


「心配しないで良いよ。この歳じゃ会話の内容なんて分からない。それに面倒を見てるのは私だから。十年後はきっと、同じ志を持ってるよ」


 中学生の妹が確かな意思で宣言する。何にも染まっていない妹の心は自分の手で守り抜くと。

 信用している妹の覚悟を受け取って少年は涼夜の質問に答えた。


「たぶんもう居ると思うけど親父の目があるから連絡は当分取れないな」

「当分?」

「短くても三、四ヶ月は」

「四月になれば父さんの監視が緩くなると?」


 亮太は逡巡したのち首を傾げた。


「分からん。ただ、ずっと息子の俺に力を割くほどの余裕はないはずだ。本当に親父が北条を取るのなら、ある程度俺の自由は認めて協力を得ようとする、と思う」


 兄の予測に爽がさらなる意見を求めた。熱が入り自然と稜華を抱きしめる力が強くなる。


「お義父とうさんと戦う日が来るのかな?」

義母かあさんともな」


 亮太の付け加えた一言で爽の表情は明らかに曇った。

 再婚するまでシングルマザーとして自分を育ててくれた母を敵に回すのだから当然だが。それでも爽は亮太に従う姿勢を変えない。


「でも現時点では俺たちの方が有利ですよね? 勢力図的には父さんの方は小笠原だけですけど、兄上には百人近い家臣団に加えて菅原もこっちに付くでしょうし。不死と不滅の女王たち。あとは北条の残党がどちらに付くか、ですけど」

「その前に北条を喰い殺すだけの実力があるかだけどな。腐っても始祖の一族だ。北条をやるなら他の二、三家も同時に相手にするぐらいの覚悟はねぇと」

「今のままじゃ勝てないってこと?」


 爽の疑問に亮太は深く頷いた。兄の険しい表情から、涼夜は思いの外事態が深刻であると気づいた。


「他に仲間に引き入れる奴の目星はついているのですか?」

「いいや。それをこれから見つけるんだ」

「魔高専で……?」


 亮太の言葉に爽が付け加えると涼夜は驚いたように彼女を凝視し、確かめるように兄に視線を移した。


「そ。各エリアの金の卵たちが集まるあの高校なら、それなりの人材が集まると信じたいね。その中から俺らの考えに賛同する奴がどれだけいるか。まあ良くて絶望的かもだけどな」

「いなかったらどうするの?」


 妹からの最もな質問に少年は迷わず返す。


「数で負けるなら質で勝てばいい。それに優秀な魔法師は魔高専だけにいるわけじゃない。高校に入れば同世代のいろんな奴らとの繋がりも出来るだろうし、魔法リーグに入って活躍出来れば自然と周りからの支持を得られる。まあ同調してくれるかは別の話だけどな。

 そもそも仲間の数以前に革命には民衆の賛同が必須条件だ。つまり、これからの五年間でやるべきことは新しい仲間の勧誘と魔法師以外の一般人からの信用信頼を得ること。俺らが成そうとすることであれば、その未来は明るいと思わせなければならない」


 亮太の意向に弟妹は進むべき道を見据えた。決して楽な道でないのは明らかでも、敬愛する兄が歩むのならその後ろを共に行き、傍で支える。

 そのためには、今よりもっと強くならなければならない。涼夜と爽は同時に共通の認識を持った。


「それはそれとして、二人はどうなんだ? 学校生活は」


 少年がそう言うと爽はきまりが悪そうにちょっとだけ笑いながら口にした。


「どう、って言われても……兄さんが期待するような成果は出せてないかな」

「俺も同じです。一応、学年のリーダー的存在にはなれていると思いますが、あいつらを同志と呼ぶまでは」


 爽とは対照的に涼夜は分かりやすく目を伏せて反省の色を露にした。兄が世界中を廻って同志を集めていた間、自分が出来たのは子供たちの王様になること。同じ夢すら見れぬ友と永劫は続かない友情を育むことしか出来なかった。


 かと言って亮太に不満はなかった。涼夜は中高一貫の名門、私立龍栄の中等部で、爽は関東で龍栄と肩を並べる桜蘭女子中等部に通っている。二校とも中等部から魔法科に力を入れている学校で、エスカレーター方式の各校では優秀な生徒が国立の魔高専に流れ難く、それなりの人材が高等部に残り近年頭角を顕してきた。

 それらの学校の学年統括をやっているのだから、大したものだと感じていた。実際、歳上でも小さい頃から一緒にいる奴らを纏めるより初対面でプライドもある同い年を僅か二年で束ねる方が難しそうだ。少年にはそこまでの自信はない。

 だからこそ、弟妹はこの二年を誇るべきなのだ。決して俯くような結果ではない。


「そんな顔するな。それに俺が聞いたのは中学楽しいか? ってことだ」

「それなら楽しいよ。学校帰りに寄り道して遊んだり、割と、うん、楽しいかな」


 爽は感慨深そうに、一つ一つの思い出を噛みしめ口にした。これまでの境遇を思えば中学生活は夢想していたものそのものだろう。


 亮太が初めて会った爽は、目は虚ろで髪も体もボロボロだった。心はもっと酷くて脈はあっても完全に死んでいた。一目見ただけでは、もう立ち直るのは無理だろうと思えた。心も体も壊れた少女を人間に戻すのは不可能だと。

 そんな状態から笑って話してくれるまでに回復した妹を見られて心底ほっとした。あそこで見捨てずに手を差し伸べて良かったと。


 それもこれも優梨の教えがあってこそだ。もし優梨がいなかったら父と同じように爽に興味を持たず、存在すら認識していなかっただろう。世界の常識が間違っていることにも気づかず、苦しみもがき、けれども逃れられない人たちがいることさえも知らずに驕って生きていた。世界を憎むことも、自分の非力さを恨むこともなかった。

 それらが不幸でも、知らないより今はマシだと思う。たった一人でも誰かの心を人生を一時でも救えたのだから。


 亮太は微笑む妹から弟に視線を移した。


「俺も楽しいですよ。魔法科なんで授業は多いですけど」


 不意に端末の着信音が鳴った。涼夜がお尻のポケットから黒いそれを取り出し、画面を見ると少しだけ口角が上がった。


「彼女か?」

「ち、違いますよっ」


 兄からの突然の投げ掛けに頬を染め、あからさまな動揺を見せた。亮太にはそれが興味深くて今度はわざと口にする。


「家に連れ来いよ。会ってみたい」

「だから違いますって。ただのクラスメートです。ちょっと電話して来ます」


 兄の尋問から逃れるように足早に部屋を出た。


「いいね。小説で見てた学園青春って感じ。爽は彼氏いるのか?」

「いないよ。女子校だよ?」

「他の学校の奴らがほっとかねぇだろ」

「意地悪言わないでよ」


 悪意のない兄の言葉に爽は口を尖らせてそっぽを向いた。姉の体に力が入ったのは、末の妹だけがその身で感じていた。年齢がゆえに稜華は姉の感情には気づかない。ただただ、不思議そうに綺麗に整った顔を見上げるだけ。

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