第3話 胎動(3)

「ボス、よろしいでしょうか」


 突然、背後から低い声がして少年は肩を震わせた。


「……ダン。どうしたんよ。めっちゃびびったんだけど」

「も、申し訳ありません。少々問題が」

「問題?」


 ダンと呼ばれるアフリカ出身の男は頷いた。彼は二年半前、少年の仲間になった男で、元々はナイジェリア国防軍の大佐だった。上司に裏切られた時期に少年と出会い、今となっては拷問チームのリーダーを任せている。寡黙な男だ。

 海賊を尋問させている最中、彼が問題を持って来たということは海賊たちにこの船を襲うように命じた何者かの正体が分かり、それが思いの外巨大な存在だった場合か、全員が隙を見て自害したかの二択なのだろう。

 どちらの問題にせよ、拷問部屋まで行って別のメンバーからも事情を聞かなければならないと判断した少年は席を立ち、大部屋を出た。

 どのようなわけかクレアとルドミラも着いて来ていた。

 大部屋は船の一層目。拷問部屋は四層目にある。拷問をするためだけの部屋なので、招いた客人が迷った挙句間違えて扉を開けて器具を見ちゃった、という事故が起きないように、入り組んだ場所に配置してあった。そのため今いる場所から二十分近くは必要とする。


「あいつらのバックにいた奴ら結構ヤバめだったの? もしかして始祖一族とか」

「いえ、背後関係に問題はありませんでした。しかし、奴ら朝鮮人だったようで」

「朝鮮人⁉︎」


 驚きのあまり立ち止まった。

 少年の考えていた問題とは全く別だったものの、正直それ以上に厄介な案件に思えた。アジア人だと判明した時点で朝鮮の民だということを視野に入れて命令を下すべきだった。

 ダンは険しい顔つきで振り向いた。


「はい。アジアの者だとは分かっていたのですが詳しくは判別出来ませんでしたので、確認させたところ朝鮮人だったと判りました」

「セギョンにさせたのか?」

「迂闊でした」

「バカ」


 ダンは失態の恥を感じ、少年と目を合わせられなかった。そこへクレアが傷をさらに抉る一言を放った。彼女の言葉でダンがさらにダメージを負ったのが目に見えて彼の表情に表れる。


「ダンを責めないでよ。俺の指示が甘かったんだしさ」

「確かにボスは甘過ぎです。出身地を確かめるためだけにセギョンを使ったのはダンの判断ミスですよ。ちゃんと叱らないと」

「すんません……」


 男二人が女性陣に叱責され、肩を落としながら廊下を進んだ。完全防音の拷問部屋まで辿り着くと鉄扉の前で一同は立ち止まった。


「気落ちするのはここまでですよ。若」

「分かってますぅ」


 少年は気を張りなおして重厚な鉄のノブに手を掛けた。

 部屋の中には拷問チームのメンバーが勢揃いしていた。少年の入室を視認して「お疲れ様です」と頭を下げていく。

 部屋の中央に並べられ血に塗れた海賊たちの前には、話題に上った垂れ目で黒髪を一つに束ねたセギョンが辛そうに顔を歪めていた。


「セギョンは外せ」

「はい。若」


 少年の指示通りセギョンは部屋から退出した。海賊たちに向き直ると彼らはようやく話をする気になったみたいだった。


「本当に君がこの集団の頭なのか?」

「そうだよ。甲板でちゃんと話してくれてたら痛い思いをしないで済んだのにね」

「そんなことはどうでもいい。セギョン様のことだ。こちらは君らを襲撃した理由を全て話そう。だからセギョン様のことを聞きたい」


 血だらけになるまで傷を負いながらも海賊のリーダーは意識をはっきりと保ちながら受け答えをしていた。それだけで数々の修羅場を潜り抜けて来たのだと感じさせる。


「その条件は飲めないかな。もうあんたたちが俺らを襲った理由なんてどうでもいいし」


 正確には襲撃された訳が部屋に来るまでに判明していたので本人の口から聞く必要性がなくなった。

 彼らが朝鮮出身者であれば少年たちを襲ったのは生き延びるため。祖国で待つ家族を助けるためにやったのだろう。


 近年、日本海やインド洋では貨物船が襲撃される事件が相次いでいたし、その原因もニュースでは流れないものの周知されていた。

 七年前、朝鮮はアジア最大の領土を持つ大中華・李王朝に侵攻され三年半前陥落した。それ以来、朝鮮は暗黒時代に突入しているのだがセギョンは侵略戦争の際、彼女の兄とともに防衛の最前線に立ち奮闘していた、言わば英雄だった。

 だが朝鮮の陥落が数年の間にあると悟った少年の義姉が、思想が似ていたセギョンだけ、死を偽装して仲間に引き込んだ。義姉は彼女を説得するために約一年、危険な最前線に赴きやっとの思いで説き伏せた。

 少年も毎度義姉に付き従って戦地に足を運んでは、死神の鎌を首元に当てられるが如く、間近に死を感じていた。当時セギョンは十六歳の少女。正直、十二、三歳の頃からあの地獄のような場所で戦っていたかと思うと、ゾッとするほど悲惨な地だった。

 あの時のことを思い出しながら、少年は懐に忍ばせていた拳銃を男の額に優しく当てる。

 単に物資調達のための襲撃であれば物を渡して解放する手も頭に入れていたが、セギョンの存在を知られた今、開放する手段は消えた。

 無用な殺しは好まないがセギョンの生存が公になれば、朝鮮に確実に希望が復活する。

 それだけは防がなくてはならない。


「悪いね。あんたらにとってセギョンがどれほどの存在かは知っているつもりだ。もしあいつが戻ればレジスタンスが復活して革命戦争が起こるかもしれない。だがな、今はまだ、時期じゃない。戦争を起こしても勝てる力がない。あんたらを解放して、あいつが生きていることを知られるわけにはいかない。朝鮮はいずれ解放されるだろう。セギョンが旗印となってな。だけどそれは今じゃない。あんたらはそれをあの世で見ていろ」


 男の命乞いを聞く前に躊躇いなく引き金を引いた。

 銃声が悲しく反響する。


「じゃ、あとはよろしく」


 少年は軽い足取りで拷問部屋を出た。ダンは部屋に残り海賊の後始末を。クレアとルドミラ、外で待機していたセギョンは少年の後に続いた。

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