Hotel ASAHI編
記憶 菅原優梨
「亮。私たち始祖一族の役目が何か分かる?」
化学の問題がびっしりと書かれたプリントと睨めっこしていると、横で静観していた女性が別の問題を問いてきた。
今日も死人の如く顔色が悪い。それにも関わらずノースリーブの服。右肩の心臓に楔が刺さった刺青が綺麗に表れていた。
亮太は大して考え込まず答えを示す。
「日本を魔法界の頂点に君臨させ続けることだろ? 当然」
そもそも新しい世界を創り出したのは始祖たち。だからその子孫である彼らの役目は世界を先導することにある。常にトップに立ち続けなければならない。
少年はそう確信していたし義姉の考えもそうあると思っていた。始祖一族として生まれ教育されてきた一人なのだから。
「残念だけど不正解」
「どこが? 完璧でしょ」
「私たちは上を見続けるんじゃなくて下を見なくちゃいけないの」
「あぁ。……うん」
分かったような分からないような感じで半端に頷いた。そもそも下、つまり日本国民を考えればこそ祖国を玉座に着かせ続けるべきだと思うのだ。
「良い? 亮。今、日本だけじゃなくて世界中で格差が広がってる。魔法を得意とする人たちだけが上に登れる世界でね。そんな中、トップにいる私たちがさらに高みを目指せば魔法を持たない人たちがもっと苦しむことになるの。だから私たちの役目は、魔法を得意としない人たちが私たちと同様に生きられる世界をどうやって創るのか考え、人々を導くこと。分かった?」
「分かった。う——」
「分かってないでしょ」
優梨はむっとして亮太の頬を鷲掴みにした。喋りたくても喋れない少年は言葉にならない言葉で離してと頼むと義姉は手を離した。
正直、亮太は優梨の言いたいことが良く分かっていない。魔法界が出来た時点で魔法が全てを決める社会になった。もちろん根本を支えているのは企業で働く人たちだけれど、優秀な会社員の多くは魔法師としても優秀な場合が多い。あくまでも多いだけだが、魔法師はそうやって優秀なだけでなく軍事を支え、国の面子さえも保っている。
不服そうにする亮太に義姉は根気強く説こうとする。
「亮、良く聞いて。私たちは私たちが幸せなだけじゃダメなの。あなたも商団に入って三年、色々な世界を見てきたはずよ。魔法格差によって生まれたスラム街で生きる同年代の子供たち。魔法の実験で犠牲になった人の遺族。みんな魔法を恨んでた。そういう人がいるのに見捨てるの? 力を持つ私たちが見捨てれば誰が彼らを助けるの?」
「……」
少年が答えに困っていると、テーブルの上にある亮太の手を握り、悲しげに微笑んだ。
「……今は分からなくもいいわ。でも、私の言ったことをしっかり考えて。亮は天才よ。その才能を使うべき人のために使って」
「うん」
少年は今度こそちゃんと理解して頷いた。今日から優梨の言ったことを考え続ける。分かるその時まで何が正しいのかを。自分の力を誰のために使うのかを。
「じゃあ約束」
優梨は小指を出した。亮太はその意味が良く分からず義姉の指を掴んだ。先刻の悲しい笑みとは違い可笑しな行動をする義弟を見ての笑いだった。
「違う。そうじゃないよ」
優梨は少年の手を取り小指だけを立たせ、自身の小指を絡める。
「これは指切りって言ってね。大事な約束をする時に行うもの。ちなみに、誓いを破ったら針を千本飲まないといけないから」
「なにそれ⁉︎ 死ぬじゃんっ???」
「あははは。まあ、破らなかったらいいんだよ」
優梨は真っ青な顔を破顔させる。
義姉の冷め切った手から離れると、丁重に扉をノックする音が室内に響いた。
彼女が返事するとドアが開かれ二人組の男女が現れた。優梨より年下の二十歳前後の団員だ。
「失礼します。クレア・マクレアリー、ピーター・スペクター入ります。優梨さま、団長がお呼びです。外にいる者が案内いたします」
「ごめん、亮。ちょっと行ってくるね」
亮太は軽く頷いて義姉を送り出した。
「勉強は順調ですか? 若」
入れ替わるように入室したクレアが少年に問いかけた。二人とも椅子に腰かけたので優梨が戻るまではここにいるつもりなのだろう。
「勉強の方はね」
「というと?」
意味深長な言い回しをしたせいかピーターが深く聞こうとする。子供過ぎるからか小笠原家の次男であっても皆遠慮しない。全員の弟という立ち位置にいる感じだ。
「優梨がさ、始祖一族の役目は魔法で犠牲になっている人たちが生きやすくする世の中を創ることだって言うんだ」
「優梨さまらしいですね」
クレアは嬉しそうに優しく言った。何も発しないがピーターも優梨の考えを知れて嬉しそう。
商団に入り分かったが団長の兄より優梨の方が慕われている。兄は優秀だがその分部下にも厳しく畏敬の念を持たれている。対して優梨は同じく優秀でも優しく穏やか。心惹かれるのは道理だ。
「でも、優梨の言いたいことがいまいち分かんないだよね。助けるのは良いんだけど役割とは思えないんだ。どう思うよ?」
「そうですね。確かに始祖全体の役目とは言い切れないと思います。ただ、優梨さまは若にだけは彼らみたいになってほしくないだけなんです。自分のことしか考えない愚かな者たちのようには」
クレアは懇願するように意見した。
兄の部下の言葉を聞いた亮太は僅かに得心した。義姉が誓いまでさせて考えを改めさせようとしているのは、世界のためではなく少年を想ってのこと。傲慢で自己中心な人間ではなく広い視野で物事を判別出来るように。何が正しくて何が間違っているのか、家の思想ではなく自身の思いで行動するように願って。
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