第十一話(二)

 話が決まると、週末はあっという間にやって来た。

「今日は南国演人様の練習を見学させていただきます。練習の邪魔にならないように隅っこのほうにいますので、よろしくお願いしひゃす」

 はじめの挨拶から噛んでしまい、詩織はさっそく「あはは」と劇団員を和ませた。

 第一印象が悪くなかったようでなによりだが、詩織は赤くなった。「すみません」

 妃もクスクス笑っていた。

「ま、そうしゃちほこばらないでのんびり見ていってよ」

 南国演人の団長――南が言った。

 三十代後半から四十代前半だろうか。舞台人といったら、もっとはっちゃけたイメージを持っていたが、彼は一見、舞台とはまるで縁がなさそうな、お堅い勤め人のように思えた。

「皆さん、そういうわけだから、今日はいつもの三倍は張り切っていきましょうね」

 ずいぶんフランクな調子だったので、

(一体どんな演技をするんだろう?)と詩織は興味を持った。メモ帳を開き、取材モードに入った。


 広々とした和室で二十人近い劇団員が「いててて」と呻きながら柔軟体操を行ったり、筋トレにふうふう喘いでいる。

 同年代は妃だけで、あとは年が一番近くて地元の大学生。そこからは三十代の主婦(彼女の息子は「ぎゃおー」と怪獣の人形で遊んでいる)、腹の出た中高年の男性は貫禄たっぷり、白髪交じりの婦人は六十歳と、年齢層の幅が広い。

 彼らの姿をデジカメに収めながら、『演劇の練習には筋トレがある』とメモを取った。六十歳のおばあさんが腕立て伏せをする姿は、小説のネタになりそうだった。

「演劇って運動部並のトレーニングをするんですね」

「意外?」

 この日の取材に主に応じてくれたのは、去年舞台後になにかとお世話になった、ふっくら顔の伊藤おばさんだった。

「腕立てニセット目! ほい、一、二、三……」

「うちのモットーは心技体じゃなくて体心技だから。健康で強い身体があってこそ日々の練習を頑張れるのよ」

「健康で強い身体が、基本と……」

「とても熱心ね。小説の取材なんですって?」

「ええ、妃――早乙女さんが練習を見に来ないかって誘ってくれたので……あの、迷惑になっていませんか?」

「とんでもない。皆、喜んでるわよ。いまの子ってあまり舞台に興味持ってくれないでしょ? だからね、若い子が見学に来てくれるってだけでも嬉しいの。妃ちゃんが友達を連れて来るなんて初めてだし」

「そうですか」口許が緩みそうになった。

「早乙女さんは、劇団ではどういった存在ですか?」

「妃ちゃんはとにかくストイックね」

 いまも熱心にトレーニングに取り組んでいる。

「一生懸命努力して舞台で結果を出す、あの子はとてもシンプルよ。向上心もあるから将来も楽しみだし……でも、もうちょっと肩の力を抜いてほしいのよね。この頃は特に、前のめりになりすぎかしら。めかぶちゃんぐらいが丁度いいのに」

「めかぶちゃん?」

「妃ちゃんの隣で腹筋してる子。あの子、いまでこそ普通の女子短に通っているけど、高校生の頃は凄かったのよ。大鷄女子の赤川めかぶって全国でも名前が知られていたんだから」

「大鷄女子って演劇部の名門でしたよね」

「そうそう。めかぶちゃんの代も全国でいいところまで行ったのよ。それで、色んなところからお誘いがあったらしいけど……」

「でも、大鷄島を出なかったんですね?」

 ショートカットで少しぽっちゃり気味の女子大生――赤川めかぶは、お嬢様っぽい雰囲気ながらも、ハードな筋トレを涼しい顔でこなしている。

「大学進学前に、なにかあったみたい」

 ここから先の話は、詩織がお喋り屋だったら、彼女も話さなかっただろう。

「どこかで現実に気づいちゃったんでしょうね。人より才能があっただけに色々と見ちゃって……でも、あの子の選択は賢かったわ」

 いまは地元の劇団をいくつか掛け持ちしながら活動を続けているのだそうだ。高校演劇で全国大会の経験あり、周りともコミュニケーションを取れて、精力的にどこの舞台にも出てくれる。

「めかぶちゃんが出るってだけで、チケットの売れ行きが全然違うんだから」

 トレーニングが終わると、「お疲れ~」と助っ人女優が妃に話しかけていた。

「名前で客が呼べるって凄いことですね」

「ええ。とても凄いことよ」

 このとき彼女は、妃の肩にそっと手を置き、「――」となにかを口にしていた。

 妃はしばらく話を聞いていたようだったが、やがて相手の手を柔らかく押しやって、「――」となにか言い返した。


「拙者親方と申すは お立合いの中にご存知のお方もござりましょうが――」

 発声練習まで済むと、次はいよいよ台本の読み合わせで、

「今日の読み合わせ、好きな本選んでいいよ」と南がにこやかに言った。

「『雨が上がるまで待って』をめかぶさんとやりたいです」妃は相手役も指名して言った。

「アメアガか……。いいね。赤川さん、アメアガいい?」

「ええ。私、この作品好きですから。……早乙女さんらしくて。ね?」

「そう言ってもらえると、あたしも嬉しいです」

 妃もニコッと笑みを返した。

 この二人、腹のうちが読めないところは案外似ているかもしれない。


 彼女達がこれから演じる『雨が上がるまで待って』には、登場人物が二人出てくる。雨宮理穂あまみやりほ傘原由佳かさはらゆか。タイトルに「雨」がついているだけに洒落た名前だと思う。

 妃は、雨宮のアパートに居候している傘原を演じる。年齢設定はお互い二十五歳前後と、大人の女性である。

「お二人さん、準備はよろしい?」

「大丈夫です」「いつでもいけますよ」

 団長の南に、妃とめかぶが答える。

「では、『雨が上がるまで待って』三、二、一、スタート」

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