第十三話(二)

 三月も半ばを過ぎると、引っ越しの準備も本格的になってきて、文雄の部屋にもダンボール箱が次第に増えてきた。

「これ面白いから」「こっちはキャラづくりの勉強になる」

「荷物整理だよ」と冗談めかして言うが、これらの本やDVDは彼にとって大事なもの――この町での青春そのものである。しかし、「そんな大事なもの貰えないよ」と断ったら、かえって失礼になる、そのぐらいのことは詩織にも分かる。だから、渡されたものはすべてありがたく受け取った。「楽しみ」「しっかり勉強するよ」と。

 文雄が詩織に多くの作品を譲るのは、これらを思い出の品にしてほしいというセンチメンタルなものではなく(多少はそういう思いもあるかもしれないが)、「柳間詩織、もっと大きな書き手になってくれ」「俺が見出した才能が本物だったことをこれからも証明し続けてくれ」と、これは期待を込めたバトンであった。決して軽くない。柳間詩織はこれから先の人生、たとえ十戦連続で負けたとしても、十一戦目では圧倒的な勝利を収めなければならない。勝ち続けなければならない。

 小説に選ばれ、そして詩織も小説を選んだ。柳間貞治が残した言葉とともに二階堂文雄の思いもまた、彼女に受け継がれていく。

「でも、本棚の本が日に日に減っていくのってなんか寂しいね」

「柳間、今日はそんなセンチメンタルに浸ってる暇ないよ。出血大サービス、ハードカバーを二十冊どーんだから」

「ちょ、待って待って。一度にそんないっぱい持って帰れないよ」

「大丈夫。俺がチャリンコに載せていくから」

「でも……」

 夕食はご馳走になる。帰りは家まで送ってもらう。いまでさえ至れり尽くせりだというのに、大量の本まで運ばせるなんて。

「あら、そういうことなら車で家まで送っていくわよ」

 文雄の母親がいつの間にか二人の背後に立っていた。

「どわ、お袋!」

「そもそも、ふーくんがついているとはいえ、怪我をしている女の子を夜歩かせるのもどうかと思ってたのよ。これからは車で送ったげるわ」

「いえ、そんな、それはさすがに申し訳ないですよ!」

 この数週間で一体何度「それはさすがに」を言ってきたことだろう。しかし、最後には「いいのいいの」で押し切られてしまう。物腰は柔らかでも、押しの強さはやはり文雄の親だ。

 この頃になると、親同士の交流も増えていた。

「いつもいつも娘がご迷惑をおかけしてすみません」

「こちらこそ息子がいつもお世話になっています。親に似て抜けた性格ですから、この間なんかも……」

「文雄くんみたいにしっかりした子なら、うちの娘も安心して任せられるんですけどねぇ。この子、気難しい性格だからこれから先のことを思うと心配で心配で……」

「うちの旦那が寂しがり屋なものだから、とうとう向こうに呼ばれちゃって、せっかくの良縁なのに親の都合で引き離しちゃうのがもう残念で残念で……」

 母親同士の話が盛り上がっている間、詩織達は少し離れた場所で(これだから親は嫌なんだよ)と、年頃の少年少女らしく赤くなっていた。


★★★★★★


 こうして作品の進み具合とともに別れの日も近づいてゆき、卒業式前夜。ギリギリまでかかったが、改訂版『青い檻が破れてから』は無事に完成した。展開に矛盾がないか誤字脱字がないか、かけすぎなぐらい時間をかけながら、もうこれ以上書き直しようがない出来なのに、詩織はこの夜、八時まで「そろそろ帰るね」と文雄に言い出せなかった。

「送ってくよ」

 このやりとりも今夜が最後だ。

「息子と仲良くしてくれてありがとう。小説頑張ってね」

 玄関で文雄の母親に抱き締められたとき、詩織はもう少しで泣いてしまうところだった。

「でも女の子なんだから、まず身体を大事にしてね」

「おばさん……」

「しーちゃん、元気でね」

 詩織も抱き締め返した。

「さようなら。いままで本当にありがとうございました……」


 角の電柱を曲がり、母親の見送りが見えなくなったところで、詩織は自転車の後ろに乗った。

 ひょいっとすっかり慣れたものだ。ただ、今夜はいつもより腰に左手をしっかりと回して、大きな背中にも寄りかかった。

「うお!」とびっくりしている文雄に、

「サービス」と詩織は囁くように言った。

「ありがとうございます」と言って、彼は自転車を漕ぎ始めた。ゆっくり、ゆっくりと……。

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