第三話(三)
話は先日の休みに遡る。
市内にある貞治の家はバスで三十分とかからないが、会うのはお盆以来だった。
「よく来たね」
こうして祖父の家に一人で訪れるのも初めてのことだ。
「二ヶ月ぶりかな?」
「そのぐらいですね」
「ま、上がんなさい」
「お邪魔します」
七十歳の祖父は、身内の贔屓目抜きにしても若い。総白髪でも禿げる兆しは一切なく生涯現役を貫きそうで、体型も痩せすぎず太りすぎず、足腰もしっかりしている。高齢者の元気な姿はそれだけでほっとするものだ。
「元気そうでなによりです」
「詩織ちゃんも受験ノイローゼになっちゃいないようだね」
「ええ。いまのところは」
まず祖母の位牌に手を合わせた。
祖母が亡くなったのは五年前。彼女の死後、祖父はこの家にずっと一人で暮らしている。
居間で最初に目にしたものは、テレビ台の収納スペースに並んでいるロボットのプラモデルだった。「雨の日は外に出られないから退屈なんだよ」と、今年の梅雨から祖父はプラモデルづくりに凝り始めた。
「もしかして何体か増えました?」
お盆で見たときよりも二、三体は多くなっている。
「手先を使うからボケ防止にいいんだよ。それに近頃のプラモデルはやたら精巧にできているから、つくって飾って楽しめる」
老眼鏡をかけながらニッパーで部品をパチン、パチンと切り離している祖父を想像してみたら、(ああ、いいな)と詩織は微笑ましい気持ちになった。
学校のことや家のことを話しながら、詩織は頃合いを見て、例のネット小説について話を訊いてみた。
「この間教えていただいた貞治さんの小説読みました。……身内とかそういうお世辞抜きで凄く面白かったです」
「おお、本当にお世辞抜きかい?」と一応訊き返しながらも、祖父は見るからに嬉しそうにしていた。
「お世辞じゃないですよ。六代くんの空回りっぷりや常連さん達との掛け合いが面白くて何度も笑いました」
喫茶店のミステリアスな女マスターに一目惚れした青年が、彼女を振り向かせようと奮闘するラブコメ『スマホもパソコンもないけれど』。携帯やパソコンといったデジタルツールが当たり前の現代だからこそ、それらが一切ない世界で繰り広げられるドタバタ劇は、かえって目新しかった。
「当時は携帯なんて便利なもんはなかったからなぁ。好きな子に連絡一つ取るのも大変だったし、夏祭りではぐれようものなら、それこそ半泣きで相手を探し回ったよ」
「夏祭りの話はやっぱり実話だったんですね」
「婆さんの下駄の鼻緒が切れたのも、ありゃあ大変だった。でもいまは、こんな古臭い思い出話でもネット世代の若者達に語ることができる。いい時代になったもんだよ」
感想欄を覗くと、たしかに若い読者が多かった。詩織と同世代の中高生もいれば、おっちょこちょいの主人公と同じぐらいの大学生も。
“黒電話って都市伝説じゃなかったんだ!„
“俺も玲子さんみたいな美人に振り回されたい。„
“五谷さん何者なんだよwww„
若い読者達もまさか若草茂が七十歳のおじいさんだとは夢にも思わないだろう。貞治が研究に研究を重ねてつくり上げた軽やかな作風や文体はそれほど見事だった。若者の流行りを知るために、アニメや漫画の世界にどっぷり浸かったと言う。
「流行りといえば、詩織ちゃんはQチューバーの動画とか観るかい?」
「名前は聞きますけど……観たことはないですね」
「そりゃいかんなぁ。若い子はもっと色んなものにアンテナを張っておかないと」
アンテナを張っておかないと――文雄にもよく言われることだ。
「受験勉強の息抜きが小説を書くことだけじゃ余計息が詰まるだろう?」
「まったくその通りです」
読むのはまだ息抜きになっても、書くのは受験勉強よりもよっぽど疲れる。なんせ問題も解答も自分で用意しなければならないのだから。
「私はもっと肩の力の抜きかたを覚えないといけないですね」
苦笑いをしながら詩織はこのとき、色んなことを知っている文雄と色んなことを知りたがりの貞治はすぐに仲良くなれそうだなと、ふと思った。
「それにしても白峰言葉のワークショップとは羨ましいじゃないか」
ワークショップのことは、先日のやりとりで既に話していた。
「優秀作は白峰先生の講評も受けられるみたいですしね。いま頑張っているところです」
「どういう話を書こうか決まっているのかい?」
「高校生が皆で一つのことをする話ですね。なにをするかどうかはまだ決まっていないんですけど、登場人物同士の関わり合いを大事にした作品にしたいなって考えています」
「書きたいことさえしっかり決まっていれば、細かいことはあとからついてくるよ。……そうかぁ。詩織ちゃんの毎日が充実しているなら、じいちゃんも嬉しいよ」
「一過性のものだったらよかったのにって思うことも、ときどきありますけどね」
「書けないときは、じいちゃんもその気持ち分かるな。なんでこんな厄介なもんに手を出してしまったのかって」
「ですよね」
創作の味は知ったが最後、それは容易に解けない呪いとなる。
「人生なんて分からんもんだよ」
その言葉に二人で笑った。
「じいちゃんもまさか七十になって小説を書くようになるなんて思わんかったよ。白峰くんの作品を読んだのが運の尽きだったのか運の始まりだったのか……」
その日、たまたま町の本屋に用事があった。その日がたまたま白峰言葉の新刊の発売日だった。新刊を平台に積んでいたバイトの青年がたまたま白峰言葉のファンだった。地元の作家だし、秋の夜長にでも読んでみようか。バイトくんもえらく熱心に薦めてきたしな。とはいえ、二十五歳の若い作家だ。あまり期待しないでおこう。
――いらっしゃいませ。あ、読んでくれました?
翌日には彼の作品をすべて買っていた。
「年甲斐もなく魅せられてしまったんだよ。老い先短いじじいでもなにか書けるんじゃないかって、魔法をかけられたみたいに」
この年になって人生が変わったよ、と祖父は染み染みと言った。
「小説を書くようになってからだ。やりたいことがまたたくさんできてしまったよ」
ライトノベルの新人賞に出してみたい。作家志望の若者とも話をしてみたい。小説教室にも通ってみたい。いまはオンライン講座ってものがあるらしいじゃないか……。
詩織は祖母が亡くなったときのことをよく覚えている。五年前、長年連れ添った妻を亡くした祖父がどれだけ憔悴していたかも。
このまま一人にしておくのが心配だと、一緒に暮らすか、短期間でもホームに入ってみないか、そんな話し合いが持たれるほど、一人きりの家で祖父は塞ぎ込んでいた。
それがある日突然、テレビゲームだ、将棋だ、山登りだ、と孤独な時間を埋めるために色々なことに手を出し始めた。プラモデルや小説を心から楽しんでいるいまと違って、あの頃のやりたがりには「自棄を起こしているんじゃ……」と母親も本当に心配していた。
「孫の付き添いってことで、じいちゃんもワークショップに参加できないもんかな」
言ってしまえば、小説は文章の単なる羅列である。それが何百ページと続いているだけで、値段も二千円するかしないか、文庫本なら千円もしない。両手に収まる小さな世界だ。その小さな世界が、ときに誰かの人生を変えることもある……。
私もそうだった。
★★★★★★
「あのときはもう少しで泣きそうだったよ。小説って凄いんだなって改めて思った。だからワークショップの応募作品も…‥って、なんで君が泣きそうになってるの?」
「ミネ先生やっぱすげーわ。俺もワークショップ参加したかったのにな。……親父はホント昔っからなにかとタイミングが悪い」
単身赴任の父親が帰ってくる日が運悪く(?)ワークショップの日と重なっていたため、彼は参加できないのだそうだ。もし参加できていたら、さぞ気合いの入った作品を応募したに違いない。
(ライバルが一人減ったな)と密かに思う自分を嫌な奴だと思う。嫌な奴だと思いながらも、詩織はそんな自分が嫌いではない。
「柳間、俺の分まで頑張ってきてな!」
「分かってるよ。応募作もベストな形に仕上がるまで粘るし、締め切りにもちゃんと間に合わせる」
――いい小説は苦しみからしか生まれない。
こういった根性論や精神論が作品を小さなものにしていくのだと、詩織は文雄や貞治と接しているうちにこれまでの考えかたを改めていた。
書くことをもっと楽しむ。相手を楽しませることを第一に考える。
肩肘張っていたときよりも進みがいいのだから、今回は楽しく伸び伸び書くと決めている。
この気持ちに間違いはないはず。
(間違ってないよね?)
気持ちよく書けることに、時折違和感を覚えながらも、ワークショップの応募作『海と家』は、締め切りの三日前に完成した。
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