第二話(二) 窓際の彼

   『窓際の彼』


 物語は学食での出会いから始まる。賑やかな学食で一人、倉野正一は窓際の席でぼんやりと頬杖を突いている(正一役は地元の大学生)。宮原こずえは少し離れた席から窓際の彼をさり気なく観察している(妃の女子大生役は全然違和感がない)。

 正一が学食に忘れていったアイポッドを、こずえが彼のバイト先まで届けに行ったことがきっかけで、二人の交流は始まる。

『窓際の彼』の面白さは、二人の仲が全然恋に発展しそうにないところだ。

 連絡先を交換したからといって電話やメッセージのやりとりでいちゃつくこともなく(たまに授業の代返を頼むぐらい)、学校で顔を合わせても(やぁ)と軽く手をあげるか、(どうも)と会釈するか、ずっと他人行儀。

 二人の交流の場は、大学から少し離れた場所にあるファミレスのみ。

 しかし、八方美人のこずえとぼっち学生の正一は、ポテトとドリンクバーで何時間でも喋っていられる。大学での他愛ない話、好きな映画や小説の話、正一がAVでどんなジャンルが好きか、そんな馬鹿話も。

 だからといって、ただ楽しく過ごせればいい、そういった分かりやすい友情関係でもない。

「たぶん俺は三十まで生きられないんじゃないかな」

「どうして? 自殺でも考えてるの?」

「そうかも」

「ふぅん。倉野は真面目だね」

 ほとんど二人の会話で進行していく劇は、のんびりとしていたが、決して退屈ではない。ちょっとすかした感じの会話も意外と楽しく、なにより物語の透明感が心地よかった。

 中盤までで起こった事件といえば、こずえがかつて所属していたサークルの先輩が、二人の秘密の関係に気づき、疑問を投げかけたことぐらいだ。

「恋人でもないのに、なんで君達はそこまで心が繋がっているんだ?」

「相手になにも求めないなんて、かえって不健全だよ!」

「男女の友情なんて成立するもんか!」

 何事もなく進んできた物語は、先輩の嫉妬事件がきっかけとなって、徐々に流れが変わり始めてくる。

「今度の休み、映画でも観に行こっか」

 先に変わったのは正一だった。

 同じ場面でも、「彼女はこう思った」「彼はこういうつもりで言った」と独白を活かした演出によって、観客は二人の気持ちのすれ違いにやきもきし始める。ちょっとした誤解や言葉足らずに、(ああもう)と前のめりになっていくのは、物語に没頭している証拠だ。先ほどまでゆったりと寛いでいたというのに。

 一歩引くか一歩進むか。いまの関係が友情のまま落ち着くのか、それとも恋愛へと発展するのか……、いずれにせよありきたりな関係に変わってしまうだろう。

「やっぱり不自然なのかな」

 この曖昧さにいつまでも引きずられているぐらいなら、いっそのこと二人で一緒に普通の大学生になってみようか。それも悪くないか、とこずえは思うようになる。

 そして、窓際の席で正一を待った。

 彼は来なくなった。

 なぜ急に来なくなったのか。窓際の彼を待ちながら、こずえはなにを思っていたか。

 長い沈黙の末、こずえは席を立ち、学食をあとにする。『窓際の彼』はこうして静かな終わりを迎えた。


 彼らの物語に魅せられてきた観客は、この結末を決して投げっぱなしだと思わなかった。多くを語らないからこそ、正一を待っている間、こずえがなにを思っていたか、寂しげな頬杖が強く心に残った。

 言葉のない別れに過去が重なった観客もいたのだろう。こんな別れを経験したことがない詩織でも、舞台から去って行くこずえが目を拭ったとき、(二人の人生が交わることはもうないんだ……)と心を揺さぶられた。

 宮原こずえの追体験であった。感動を与えられたのではなく、感動を体験したのだ。

 二時間の舞台は風のように通り過ぎて行った。押しつけがましさのない軽やかさで、けれどちょっぴり切なく。

 カーテンコールの拍手は妃が一番大きかった。舞台上の彼女は、狭苦しい教室にいるときとは比べ物にならないほど華があり、拍手に応える笑顔には年相応のあどけなさがあった。

 拍手の雨はいつまでも止まずに、詩織も惜しみない拍手を送り続けた。

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