第二話(一)
走り出したからといってそのまま走り続けられるわけでもない。
知らず知らずのうちに息切れしたのか、それとも明後日の方向へと走っているのか、『月光ナイフ』を書いてからというもの、詩織は二作目を書けずにいた。
実力試験の勉強があったから……、この言い訳を安易に許してしまったら、これから先、受験が終わる来年の二月まで二作目が書けないことになる。
すぐにでもなにか書きたいのに書けない。話を思いつかない。ピンの一本さえ抜ければ、『月光ナイフ』を書いたときのように一息で小説を書き上げられると、根拠もなくそう信じ込んでいるだけに、書けない日々がもどかしかった。
女子中学生 恋愛(?) テレビゲーム 花?
(単語だけ書いても……)
メモを見て笑いたくなる。
九月もそろそろ終わりが近づいてきて、また次の実力試験に備えなければならない、地元作家のワークショップの作品応募締め切りもある。不安ばかりに追いかけられる中で、ときには弱気になって文雄に連絡したくなることもある(彼もまた「どう?」とそれとなく連絡をくれる)。
見栄っ張りなところがある詩織は、難航しているからこそ自分の力だけで乗り越えたいと、一人で抱え込み続けてきた。
とはいえ、いつまで経っても小説の神様は降りてこない。待っているだけじゃなくて、いい加減自分で手繰り寄せる必要があるな、と詩織は一度机から離れてみることにした。なにか心を刺激するものはないかと、美術館、博物館、映画館、秋の海に行くのも悪くない……、と候補をいくつか書き出してみた。
そうしているうちに、詩織はふと『南国演人』のことを思い出した。
「舞台か……」
九月の最終日曜日、チケット代二千円(中高生は千七百円)。
日程は問題ない。二千円近いチケット代も勉強代と思えば高くはない。
「行ってみようかな」
舞台後もし妃と少しでも話せる時間があったら、この間引っ叩いたことを謝りたい。このままだと卒業式まで魚の小骨が刺さったままだ。
★★★★★★
当日、家を出る直前まで制服で行くべきかどうか迷ったが、制服だと大鷄島中学校の生徒だとひと目で分かってしまうので、最終的には上は紺のパーカー、下はジーンズと普段着で行くことにした。
午後一時半。開演時間の二時まで時間はまだある。
田舎の公民館のホールといっても、学校の体育館ほどの広さはあり、客席も数百単位。
初めての観劇だ。それに加えて、真紅の緞帳の向こうに同級生がいると思うと、次第に落ち着かなくなってきた。
(私は絶対あんなところ立てないだろうな)
劇団 南国演人 第二十回公演 『窓際の彼』
宮原こずえ(早乙女妃)
受付けで貰ったパンフレットによると、妃は主演女優らしい。キャリアも実力もある大人達を差し置いて、中学生の女の子が主演を務める。
改めて凄いことだと思った。
『窓際の彼』のあらすじを要約すると、地方の大学生――宮原こずえと倉野正一の、友達でも恋人でもない、不思議な関係を描いた青春譚である。
パンフレットには稽古中の写真も載せてあった。台本片手に宮原こずえを演じている妃の横顔は真剣そのもので、こんな表情の彼女を教室で見たことがない。
――……あたし、柳間さんと違って暇じゃないんだけどな。
あのときはただの嫌味かと思った言葉も、この表情を見てしまうと、百パーセントの嫌味ではなかったのだと、詩織は悔しくなった。
早乙女妃は趣味や余暇で舞台に立っているわけではない。もっと上の世界を目指して本気で取り組んでいる。一枚の写真でこれほど肌がひりついてくるのだから、本番が始まったら彼女は一体どこまで行ってしまうのだろうかと、詩織はパンフレットの端を無意識に握り潰していた。
開演十分前。ホールがざわついてきた。客席が埋まってきている。
ただ、クラスメイトの顔は未だに見ない。
――私達が代わりにやっとくから早く行きなよ。
――今度の舞台観に行くから。練習頑張って!
――皆で応援してっから。
誰一人としてこの場にいない。そのことが詩織は気に入らなかった。
「開演に先立ちまして、お客様にお願いがございます。携帯電話の電源は……」
この日、三年二組の生徒で南国演人の舞台を観に来たのは、一番どの面下げて来るんだと、主演女優の頬を引っ叩いた詩織だけだった。
午後二時。舞台の幕が上がった。
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