第五章 応募
第十一話(一)
ギプスが取れたからといって折れた腕が完治したわけではなく、右腕は相変わらず三角巾で吊ったままだ。
右で無理に書こうとしたら五分と経たないうちに痛み出したので、回復した手で執筆のペースを取り戻す、この目論見はあっさり崩れた。
(いや、これでいいんだ)
右手が多少使えるようになったからといって遅れを取り戻そうと雑に書き散らしたら、これまでの自分と変わらないのだから。
慣れない左手で一文字ずつしか書けないからこそ、制御された文章になっている。一度に多くの文章を書けない。だから、頭の中で文章を構築するまでは書かない。完璧に組み上がったら、一文字たりと逃さないように集中して書く。
文章だけでなく、いまは構成もベストの形に組み上げてから書くようにしているので、作品がようやく「物語」に近づいてきた。
受験を通じて身につけた徹底的なロジカルシンキングが、まさかこういう形で創作に活きるとは当初思いもしなかった。
三月末の締め切りに向けて、左手執筆で一日あたり四、五枚のペースを着実にキープしていく。亀のような歩みにときにもどかしさを覚えることはあっても、これがいまのベストだ。
★★★★★★
《今度の日曜うちの練習見に来ない?》
二十八日しかない二月がそろそろ終わりかけていたとき、妃からこんなラインが届いた。
丁度執筆の休憩中で、左手をグーパーグーパーしていたところだったので、詩織はすぐに《うちって南国演人のこと?》と返信した。
《それそれ。今度の日曜が南国演人での最後の練習なんだよね。小劇団の取材にどう?》
「取材か」
取材というワードに詩織は心惹かれた。(まるで作家みたいだ)とニヤリ。
《午後の一時から四時まで。場所は大鷄島公民館の和室。公民館は去年舞台をやった場所ね》
詩織は壁のカレンダーを確認した。予定は特になし。小説の進捗も二日までならフリーの日を設けても問題なさそうだ。
《無理そう?》
「ごめんごめん」とスマホに向かって言いながら、詩織は《大丈夫だよ》と返信した。《小説の進捗を確認してただけだから》
《進捗管理とかしてるんだ》
《行き当たりばったりで書くのはやめにしたの。もうすぐ高校生だから、小説の取り組みかたも大人になっていかないとね》
《生意気》
《知ってる》
《インタビューとかしたければ、あたしのほうで皆に話しとくから。あと、当日写真撮影OKかも訊いとくね!》
《お願いします!》
こうして南国演人の取材が決まった。
「取材か……」
カレンダーに赤ペンで『午後から劇団の取材』と書き込んだとき、詩織は作家への階段を一段上ったような気がして、「うん」と頷いた。
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