第六話(三)

 三日後、柳間貞治は亡くなった。

 月並な表現かもしれないが、「貞治さん」と呼びかけたら、目を覚ますんじゃないかと思うほど祖父の死に顔は穏やかで、末期に長く苦しむことなく逝ったことだけがせめてもの救いだった、と遺族はそう慰め合うしかなかった。

 ――だからおばあちゃんが亡くなったとき、一緒に暮らそうって言ったじゃない!

 貞治の亡骸に縋りついていた母親の姿を忘れられない。いつも気丈な彼女の、あんなにも泣き崩れる姿を見たのは初めてだった。父親は妻の横に立ちながら目頭をきつく押さえていて、詩織は病室の天井を見つめていた。

 この天井には、作品を完成させられなかった祖父の無念がいまも残っている。

 そして、この右手には彼の志が生涯残り続ける。


 人気ラブコメ作家――若草茂の『スマホもパソコンもないけれど』は、こうして未完のまま永久の幕を降ろした。

 祖父の作品に影響されて自分も小説を書いてみたくなった、そう言っていた彼は、その後本当になにかを書き始めたのだろうか。

 柳間貞治が亡くなって十年経ったいまでも、柳間詩織はときどきそのことを考える。

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