第七話(二)
『喫茶ルヴォワール』は、活気溢れる商店街から離れた、寂れた通りにひっそりと存在していた。小ぢんまりとした構えは、十二月の寒さの中だと一層息を潜めているように見えたが、隠れ家のような落ち着いた雰囲気を、詩織はひと目で気に入った。
「いい感じでしょ?」
「うん。喫茶店って感じ」
店内は照明が薄暗く、内装も素っ気ないぐらいに飾り気がない。控えめなジャズさえ流れておらず、客も昼下がりだというのに気怠げな表情で週刊誌を捲っている中年女性だけだった。
「ご注文は?」
ロマンスグレーのマスターも愛想がない。
ブレンド、アメリカン、名前は聞いたことがあっても、なにがどう違うのかさっぱりで、
「えっと、どれに……」と詩織はメニュー表に顔をくっつけんばかりだった。
妃は小さく吹き、「ブレンド二つ」と、詩織の分も注文した。「同じやつでいいよね?」
「うん」と詩織はコクコク頷いた。
マスターがロボットのような無表情でコーヒーを淹れている間、
「もしかして喫茶店来るの初めて?」と妃に訊かれた。
「そうだよ」
「そっかそっか」
「なに?」
「別に」妃はニヤニヤしていた。「ずいぶんあたふたしてたもんね」
「だって」詩織は顔を寄せて言った。「……あのマスター、なんか怖い」
「渋いおじさまじゃない? 変に馴れ馴れしいよりかいいよ」
「それはそうだけど」
「詩織って人見知りっていうか……意外と小心者?」
「まぁね」
「拗ねないの」
他愛ない話をしているうちにコーヒーが来た。
「ここのコーヒーね、とにかく香りがいいの。ルヴォワールのコーヒー飲んだら、チェーン店のコーヒーなんかとても飲めなくなるから」
そう言われて詩織は、口をつける前に香りを嗅いでみた。
「なんだか少し大人になった気がする」
「いい表現ね、物書きさん」
目を閉じながらコーヒーを味わう妃もまた、いつもより大人びて見える。
「美味しいね」
「でしょ?」
喫茶店デビューの緊張や貞治が亡くなってからの日々……。
コーヒーのまろやかな味わいに、ほっと息をつく。ようやく頭の中がまとまってきた。
「今日さ、妃に見てもらいたいものがあるの」
詩織はそう言って、妃に手紙を手渡した。
「いいけど……、なんの手紙?」
「亡くなった祖父から私に」
「えっ」
「大丈夫。妃にだったら見せられるものだから」
「……本当に、いいの?」
妃の顔が引き攣るのも当然だった。いくら仲がいいとはいえ、身内が遺した手紙を普通他人に見せたりはしない。
「妃には見てほしい」
柔らかな態度を取っているようで、詩織の一切ぶれない視線は、やがて「み、見させてもらうね」と妃を動揺させた。
「私ね」
妃が手紙を読み始める前に、詩織は言った。
「いい小説を書きたいとか、いつか作家になれたらなぁとか……そういうのはもうやめる。甘い夢なんか見ていられなくなったから」
「……なにがあったの?」
「とりあえず読んでみて」
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