第三章 書き直し
第五話
「次は市立病院前。お降りのかたは……」
バスの窓に映る女子中学生の顔はひどいものだった。明日世界が滅ぶのをこの町で自分しか知らないような、絶望と諦めが入り混じった顔。
まだ午後四時前だというのに、町はもう夜へと向かい始めている。商店街に飾られたカラフルな電飾、ファーストフード店の入り口に立っているニコニコ顔のおじさん人形は、少し早いがサンタ仕様になっている。
今年はまるで心が踊らなかった。「受験生にはクリスマスも正月もない!」それも少しはある。
(貞治さんは今日も寝たきりなんだろうな)
心の大半を占めているのは、寝たきりの貞治だった。
弱っていく祖父を観察しに行っているみたいだ、と会いに行くのが日に日に憂鬱になってきても、詩織は放課後の病院通いをやめられずにいる。
(なんでこんなことになっちゃったのかな……)
目を閉じ、下唇を噛んだ。
安らぎと痛みのアンバランスの中で思う。
誰にも涙を見せられない孤独を。一人で踏ん張り続けなければならない苦痛を。
どこまで耐えられるだろうかと考えながら、(いっそ緊張の糸が切れてくれたらな)と、ときどき願ってしまう。
「市立病院前。市立病院前。バスが停車するまでは席を立たないよう、その場を動かないようにお願いいたします……」
★★★★★★
十二月になった途端、クラスの空気がピリピリし始めてきた。受験が近づいてきている焦りと、息詰まる日々のストレスから、どこのクラスでもちょっとした言い争いや、つまらない喧嘩が増えてきた。
(よくもまぁそんな些細なことで)と、はじめは対岸の火事を眺めるような気持ちでいても、火事が連日続くと、見物者達も次第に火の魔力に囚われてくるもので、
「皆、元気が有り余ってるね」
詩織と妃も例外ではなかった。
ワークショップで打ちのめされたこと、貞治の入院、きつい出来事が続いていただけに、詩織はその頃、小説も受験勉強も手につかなくなっていた。
「この頃なにもする気が起きない……」
このときの愚痴にしても軽く言っただけで、三十秒でも聞いてもらえればそれで充分だったのに、
「余裕あるね。さすが秀才」と、気がおけない友達は少し皮肉っぽく返してきた。「ワークショップのことまだ引きずってんの?」
貞治の入院については話したくなかったので、カチンときながらも「そんなところかな」と詩織は言った。
「詩織って意外と打たれ弱いんだね」
こんな言いかたをされると思っていなかったので、腹が立つよりも呆気に取られた。
自分のことで精いっぱいになると相手のことを考えられなくなる。自分だけが受験生じゃない、そんな当たり前のことを失念していたのはたしかだが、たった十秒でさえ話を聞いてくれない妃を、詩織はこのとき(冷たい人)と思ってしまった。妃のことを(嫌な奴)と思ったのは、いつか頬を張ったとき以来だった。
「――?」
またチクリと言われた。
「――――っ!」
手こそ出さなかったものの、お互い相手の怒りのツボを的確に突くことができるだけに、彼女達の喧嘩は職員室から教師が三人も飛んでくるほど激しいものとなった。
そのくせ妃になにを言われたか、自分がなにを言ってしまったか、よく覚えていないのだから本当につまらない喧嘩だった。
この日の喧嘩を境に、詩織はまた一人ぼっちの生活へと戻っていった。
「しばらく小説の話はしたくない」
小説ラブの文雄と距離を取りたければ、この一言で充分だった。妃との喧嘩がきっかけで、他人との関わり合いがひどく億劫になってきたのだ。
「いま、ちょっと余裕ないから」
このままだと彼ともつまらないことで喧嘩をしてしまう。しばらく一人でいたいからといって、別になにもかも失いたいわけじゃない。
「そっか」と、急に突き放されて文雄はショックを受けていた。
翌日の昼休みから、詩織の前の席は長いこと空席が続いた。
★★★★★★
病室の貞治は今日も寝たきりだった。
赤い顔で時折苦しそうな息をする。この世界と辛うじて繋がっているだけの姿を傍でじっと見ているのは辛い。
それでも時間の許す限りはこうしてベッドの傍にパイプ椅子を寄せていたかった。
サイドテーブルに置きっぱなしのノートを手に取る。
やはり今日もなにも書かれていない。書き込みが絶えて何日になるか、数えようとしてやめた。
自分の角張った文字だけが並んでいるノートを見ていたら、(ううっ!)と堪らなくなってきて、詩織はいつものように鼻をグズらせながら、やり場のない気持ちから激しくかぶりを振っていた。
十一月☓日
来年の大鷄島文学賞にどんな作品を出そうか、そろそろなにか見えてきそうです。
これまでの集大成にしてみせます!
楽しみにしていてください!
十一月☓日
小説好きの友達が『スマホもパソコンもないけれど』を最近読んだみたいです。
「とても面白かった」と言っていました。
「続きが読みたいから早く元気になってください」とも。
彼は頭がいいし、色んなことを知っています。貞治さんともきっとすぐに仲良くなると思います!
十二月☓日
今年のクリスマスは、クラスの皆とパーティーをする予定です。
「受験生だからこそパーッとやろうよ!」ということで、私も少し浮かれています。
クリスマスが楽しみだなんていつ以来でしょうか?
また来ます!
目を覚ましたとき、このノートを読んだ祖父が喜んでくれるよう、日記には嘘をちょこちょこ織り交ぜていた。
(私の声が届くことはもうないんだろうな)と、諦めがつき始めてきたいまでも、彼女は楽しい嘘を考え続けている。
長い冬は、始まったばかりだ。
「貞治さん、ただの風邪なんでしょう……?」
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