第15話


 予想に反して、伝説の鍛冶師の弟子はすぐに見つかった。


 鍛冶師の集まるの区画の一番奥に男の住む鍛冶場はあった。

 意外にこじんまりとした建物だった。


 訝しく思うのは、どこかしこの鍛冶場の煙突からも煙が上がり、トンカンットンカンッと金槌の音が響きわたっているのに、それが聞こえないことだ。


 だからと言って人がいないようにも思えない。

 きちんと人の気配がするのだ。

 そのことに首をかしげながらも、勇人が代表して扉を叩き、ゆっくりと扉を開けた。


 そして、そのなかにいる男の姿を見て──この旅の頓挫どんざを確信した。


「……なあ、悪友。こんなに早く伝説の鍛冶師の弟子が見つかって正直うれしいし、もとの世界に帰るためだ、多少の労力は惜しまないつもりだが……、いくらんなんでもこれはないんじゃないか?」


 その鍛冶場は扉をかけた瞬間、澱んだ空気の生暖かさと、鼻の曲がりそうな酒臭さに満ちていた。


 男はその中心で、胡坐をかき、うつむくようにして座っていた。かなり大柄な体格をしている。まるで熊がやさぐれているようである。

 その周りには酒の空き瓶がいくつも転がっているのがわかる。


 後で知ったことだが、ここにある酒すべてが、古酒だった。

 その名の通り、古くなった酒で、味も悪くなっており、酔えれば良い人向けの安酒である。勇人も試しに呑んだことがあるが、まるで消毒用アルコールの原液ような味で、呑んだ次の日は二日酔いになった。悪酔い必至の一品であった。


 そんなものをこの親父は、しこたま呑んでいるようだ。眼が死んだ魚のようんに澱んでいる。

 さらには、時折発作を起こしたように号泣し、


「おろろおおおおおおおおおおんっ! どうして出て行ってしまったんだ、愛しの娘よおおおおおおおおおおおおお!!」


 と雄叫びをあげているのだ。


 赤ら顔の髭モジャ猛獣が吼えているようにしか見えない。

 なぜ鎖に繋いでおかないのだとすら思う。


「……これに声をかけるのか?」 


「そうだな。そうしなければ話が進まないぞ親友」


「いや、話が進む以前に、話が通じるのか激しく疑問だぞ」


 できれば関わりあいたくないと、九煉といることによって鍛えられた第六感が、バシバシ嫌な予感を訴えてくる。


「なにしているのだ、さっさと行かないか下民。おまえは勇者だろう」


 後ろから不機嫌顔のクリスが勇人の背中を押す。


 勇者になりたくてなったわけではないわ、と思いつつ勇人は言った。


「おまえな、あんなのをどうしろっていうんだよ?」


「頭がおかしい同士、話が通じるかもしれないだろう?」


「失礼なっ、誰の頭がおかしいんだよ。ネコに気持ち悪い顔で話しかけていたのはお互いさま──」


 ──ヒヤリ。


「なにがお互いさまだと?」


 いつのまにか三日月の剣が首に押し当てられていた。なんたる早業だ。まったく見えなかった。それどころか、いつ指輪から剣に戻したのかもわからなかった。


「……いえ、なんでもありません! ボクはまったくなにも憶えていません。頭がおかしいのは自分であります!」


 そう答えるしかなかった。十五歳のみそらで首とお別れしたくはないのだ。


「そうだな。じゃあ早くしてくれるか下民。こんな酒臭いところに長居したくないのだ」


 クリスは妖精のような可憐な声で囁きながら、剣を首からはずし、切っ先で背中をつついてきた。微妙に刺しているのは絶対にわざとだ。さすがはあの陰険領主の娘である。


「痛っ、痛い痛い! わかった。わかりましたから!」


 勇人は涙を呑みながらそう答えた。このパーティのヒエラルキーでは、自分が最下位なのである。勇者なのに畜生ネコにも劣るのだ。


「ほら、さっさとしろ!」


 だから、痛いですって。そんなに突かないでください。今かなり刺さりましたよ?


 勇人は脅迫に負けながら、しぶしぶ髭モジャ親父に声をかけた。


「あのぉ……ごめんください」


 まず、軽いジャブからということで挨拶からはいる。


 男はいまいち定まっていない眼でこちらを見た。


「……ぅう誰、だ……?」


 獣が唸るような低い声だった。


 よし、なんとか意思疎通はできるとみた。勇人はチャーンス、とばかりに畳み掛ける。


「ボクは神城勇人と言います。あなたはかの高名な伝説の鍛冶師の弟子である剣匠ガルムさんであるとお見受けいたします。実は防衛都市シルタークから剣を鍛えなおしていただきたくここまでやって来ました。どうかお力をおかし願いたいのですが?」


 その言葉の後、髭モジャ男──剣匠ガルムは重苦しい沈黙した。


 そして、ゆっくりと焦点を勇人にあわし、呻くようにして首を縦に振った。


「ああ……」


「え、いいの?」


 予想以上にあっさりと了承されたため、勇人はかなり拍子抜けをした。もっと、頑固親父で、ふざけるな出て行け、おとといきやがれ、ぐらいは言われると思っていたのだが。


「では早速──」


 と勇人は腰から聖剣グラムスティガーをはずし、鞘ごとガルムにさしだした。


「──お願いします」


「ああ……」


 だが、再びそう頷いたきり、彼は動かない。

 定まっていない視線で、ガルムはさらに遠くを見だして、微動だにもしなかった。


「あ、あの、なおしていただけるんですのよね?」


「ああ……」


「でしたら──」


「そうだよな………。お父ちゃんって、ろくでなしだよな……。剣鍛冶しかできねえし、そりゃあ、母ちゃんも出て行くわな……」


「は? あの……?」


 いきなり訳のわからないことを話しはじめた。あれ、おかしいな、さっきまで意思疎通できていたはずなのに。


「……でも、でもなぁ、娘のおまえにまでに愛想をつかされたら……、俺ぁ、俺ぁ、生きていけねえよぉう……ッ。おろろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんっっ!」


「うわぁ……」


 勇人はいきなり天にむかって吼えだしたガルムにかなり引いた。

 思わず後ろを振り返り、援護を求めるも、九煉は後ろ足で首をかき、「すまない親友。手伝いたいのは山々だが、いかんせん言葉が通じん」と心温まる言葉をいただいた。


 クリスにいたっては、さっさとしないか。それともまだ刺されたりないのか? と三日月の剣を突き出してくる始末だ。


 孤立無援。こういうときこそ、なにごとにも動じないあの冷徹侍女ユーフェミアの出番なのに、馬車番をしていてここにいないし。ちなみに馬というのは、走った後は水と塩を飲まし、汗を拭いてやらないと調子を崩してしまうものらしい。お屋敷などでは馬番など専門の者がいるのだが、一般家庭ではそうもいかず、彼女がすべてを請け負っているのだ。


 勇人はため息をつきつつ、再度挑戦した。


「あの!」


 その言葉にビクリッ、と反応したガルムは咆哮をやめ、こちらに視線をむけた。相変わらずいまいち焦点が定まっていない。


 そして、しばらくの沈黙の後、ガルムは言った。


「……ぅう誰、だ……?」


「ええ! 振り出しに戻ったっ?」


 そんな殺生な──と勇人はがっくりと肩を落とした。

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