第38話
封印の儀式。
クリスは魔方陣の中心に立ち、瞳を伏せて精神を統一している。
その周囲では、ユーフェミアが『魔方陣』の細部を書き換えをしていた。効果を、解放から、封印へと反転させていた。その表情には一切の感情は排されていて、なにを考えているかまったくわからない。ただ、アイオロスにクリスのことを頼むと言われていたから、それが最優先であることは確かであろう。
この作業が済み次第、儀式にはいる。
勇人はそれを黙ってみていた。
右隣には九煉がいて、魔方陣をじっと眺めている。
すでに、人族軍は帰途についている。ここで行われることを誰一人として見せることはできないからである。
騎士の務めとして、最後まで残るとごねた者たちもいたが、ここは聖域となるため、なんびとたりとも侵すことはできないと言って、追い返した。
魔族も掃討されたか、逃走したかで、周囲には勇人たち以外に人っ子一人いない。
準備が終わった。
ユーフェミアの報告に、クリスが動いた。手首を剣で傷つけ、『霊血』を『聖杯』にそそぐ。
そして、『聖杯』頭上に掲げ、流麗な声をあげた。
『
生まれながらに運命を決定づけられた者。
定められし、霊血の約定にしたがって独り、魔の神を封ず。
それこそが我が誉れ、それこそが我が誇り。
その想いを胸に──
──我は世界を救おう
』
高らかに謳うそれは、聖句であり、『聖杯』の術式を解き放つ、鍵言語であった。
純白に光が、クリスを中心に放たれた。
そして、──暴走した。
「──え?」
聖杯が砕け散り、それと共鳴していたクリスも信じられないものを見たような呆けた顔をして吹き飛ばされた。
それを走りよって、勇人が腕に抱きとめる。
「悪いなクリス。役目は譲ってもらうぜ」
勇人は後ろにいるユーフェミアに彼女を預けた。
そして後ろに退っていてもらう。
「さて、封印にかかりますか」
勇人は懐におさめた『聖杯レプリカ』に服の上から触れる。
だが、まだこれの出番ではない。まずは、いままでの術式に干渉されないために、魔神を一瞬だけ復活させなければならない。もちろんその前に魔方陣をいじくって完全に力を発揮できないようする。そうしなければただ魔族の悲願を叶えるだけになってしまうから当然だ。
──ックンッ!
「……え?」
一瞬勘違いかと思った。
だが──
──ドックンッッ!
間違いなく、邪悪な波動に、大気が揺さぶられた。
魔神の膨大な魔力に世界が歪み、脈動するように震える。
「ちょっと待てよっ。まだなにもやってないぞッ?」
そう言っても、とまらない。
まるで、大震災が起きたかのように大地が揺れている。
「親友。これは拙いぞ」
九煉が四肢を踏ん張りながら、声をあげる。
状況は最悪だ。
こちらの準備が整う前に、魔神が復活しようとしている。
計画通りに進めば、ほとんど力を削ぎ落とした状態で一瞬だけ封印を解くはずだったのに。そうすれば魔神が顕現する前にことは済むはずだった。
なにが原因だったのかまったくわからない。魔王の儀式が成功していて時間差で発動したのか、それとも暴走したクリスの魔力に、魔神の封印そのものがイカれたのか。
勇人は完全に混乱した。
「どうすれば──って、ヤバイ!」
なすすべもなくその瞬間はやってきた。
──ドッックンッッ!!
一際大きく世界が揺れた。
それを合図として、魔方陣の中心から闇が噴出した。
まるで火山の噴火のような轟音と共に、大地が崩壊し、勇人たち四人は衝撃に吹き飛ばされた。
同時に、魔方陣も砕け散る。
日蝕でもおこったかのように世界が暗くなった。
幾万もの硝子を一斉に割ったような破砕音が空を震わせた。
魔神が、──封印を抉じ開けたのだ。
空間に亀裂が走る。そこから巨大な蛇のような闇が、もがくように暴れ出た。その度に空間が悲鳴をあげて、砕けていく。呆然と見ていて気がついた。亀裂の向こうに真っ赤な眼が覗く。位置関係的に信じられないが、これは魔神の腕のようである。
あれだけの巨大さで、身体の一部分しか現れていないのだ。
これが魔神。
そこに存在するだけで、背筋が凍るような畏怖の顕現だった。
まるで世界そのものが崩壊し、足元から崩れていくかのような恐怖と絶望感に勇人は戦慄する。
咽が干上がり、四肢はこわばって金縛りにあったかのように動くことができなかった。心拍数は一気に跳ね上がり、汗の冷たい感触に全身が濡れているのがわかる。
第六感──否、すべての感覚、すべての細胞が恐怖に絶叫していた。
ユーフェミアが息を呑む気配が伝わってくる。
「──ッッ! クリスを連れて、逃げてください!」
しぼりだすように声を荒げ、勇人は聖杯レプリカを手にしようとした。
だが、封印をしようにも、大地ごと魔方陣が砕かれていて、新しく描かなければ封印できない。
「くそっ! 悪友!」
「わかっている、親友ッ。時間を稼いでくれ!」
九煉が走り出す。魔方陣を新しく描くため。この巨大な魔神を封じ込めるには、かなり大規模な陣を描く必要がある。
その時間を、自分が稼がなければならない。
勇人は聖剣を握る。血が溢れ、剣身を赤く濡らす。
「うるぁあああああああああああああああああああッッ!」
恐怖にくじけそうな心を叱咤するために、勇人は吼えた。
その動きは人を超越し、超人の域に達していた。
それでも、ぜんぜん足りなかった。
何度斬りつけても、闇を切り払うことはできない。刃物で水を斬れないのと一緒だ。一瞬だけは切り離すことはできるのだが、蛇がのたうつように闇が増殖し、再生してしまうのだ。
魔神の拳が、技後硬直をおこした勇人を容赦なく殴りつける。
まるで全身の骨が砕かれたような衝撃に、勇人の意識が遠のきかける。
こちらの攻撃がまったく通用しないのに、相手の攻撃は届くのだ。
「……かは……ッッ! ……これは、反則だろう……」
血を吐きながら、勇人は立ち上がり、再び魔神に挑んでいく。
何度、聖剣を振るい、何度、魔神の攻撃を受けただろう。
すでに勇人は全身傷だらけの満身創痍だった。五体満足でいることができるのがいっそ不思議だ。
──急いでくれッ、悪友!
勇人は全身を血で染めながらも、聖剣を振るった。
しかし、虹色の斬撃は闇を払うに至らず、時間稼ぎにしかならない。
いつまでたっても勇人を倒すことができないことに焦れたのか、魔神が空閑の向こう側から咆哮をあげた。
亀裂がさらに大きく砕けて、もがくように魔神の顔がまろび出る。
声なき息吹に魔神の魔力が際限なく高まった。
それが口に凝縮され、闇の塊が顔の前に形成された。
「……冗談だろう……!」
それは、闇が凝縮して放たれる──魔神のブレスだった。
漆黒の破壊を撒き散らす『力』そのものである。
闇の咆哮が解き放たれた。
「ぐうぅ……ッッ!」
勇人は命辛々避けた。
掠った程度なのに、まるでダンプカーにでも撥ねられたような衝撃があった。いまだ生きているのが奇跡だ。
全身から血が噴出し、骨が何本も砕けた。
──まだか?
魔神のブレスがまたも勇人を襲おうとする。
躱さなければ。
だが背後には退避途中のユーフェミアがいた。
そして、彼女が抱く、クリスが。
このまま避ければ、彼女たちが死ぬ。
「させるかああああああああああああああああ────ッッ!」
勇人は聖剣を両手で握る。聖剣はすでに鮮血で赤く染まり、虹色の極光は空間を歪めるほどの力を内包していた。
「我が属性は〈虹〉、我が性質は〈剣〉、我が〈カミシロ・ユウト〉の名において──我が命よ、刃と化せぇえええええ!」
聖剣を肩に担ぐようにして、全身で振り下ろした。
虹の光は巨大な斬撃となり、漆黒のブレスは切り裂いた。
さらには、虹の斬光は魔神にもダメージを与えた。
──バッキンッッ──!
だが、その代償として、聖剣は折れ飛び、勇人の身体は崩れ落ち、膝をおった。
「…………ッッ! ごぼぉおあぁあッ!」
内臓まで吐き出す勢いで、血反吐を吐き散らす。
心臓がでたらめなリズムで鼓動を刻み、視界は半ば赤く染まっていた。
すでに身体は限界だった。
──待たせたな親友!
そこに、九煉から念話がはいる。
「はっ……ドンピシャだぜ、悪友!」
思わず笑みを浮かべた。
懐に手をやり、取り出した聖杯レプリカはすでに血で染まっている。もう血をそそぐ必要もないほどに。
あとは、鍵言語を唱えるだけだ。
勇人は一度だけ背後──クリスのいるほうを見て、まるで悪友のように、ふてぶてしい笑みを浮かべた。
この決断に、後悔はない。
──ボクは彼女を護る。
ただそれだけのために勇者となると、そう決めたのだ。
たぶん、これが、──この想いこそが、誇りなのだ。
勇人は高らかに聖句を謳う。
『
我は、ここに──魔ノ神を封印しよう。
それは、世界を救うためではなく。
ただひとりの少女を救うために。
そのためだけに──
──我は『勇者』となる!
』
それが鍵言語となり、虹色の魔力が身体から解き放たれた。
虹光が、繭のように魔神を絡めとる。闇がそれから逃れようと暴れる。だが封印の力はそれを許しはしなかった。
魔神を、空間の向こうに押し込んだ。
「………………──────ッッッ!!」
無言の咆哮が聞こえた。
それが、力を奪われた魔神の最後の抵抗だった。
虹色の魔力が亀裂を修復していく。
綺麗な青空が目の前に広がった。
封印は──
──成功したのだ。
身体の中から大切なものがこぼれ落ちるような感覚に襲われる。
これで、終わる。
「親友!」
その光の中、九煉が光に飛び込んできた。
そのことに、勇人はわらった。
胸の奥には感謝があった。自分の我がままをすべて受けいれてくれた、我が一生の友に。
──サンキュウな、悪友。
その思考を最後に、勇人の視界は暗転した。
勇人の人生は、ここに終わったのだ。
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