第39話


 クリスは眼を覚ました。


 そこは、見慣れた自室の部屋だった。

 最初は、死者も夢を見るのだと思った。


 だが、クリスは生きていた。


「起きたのかい?」


 その柔和な声は、父──アイオロスだった。


「……お父、さま……。どうして、わたし……?」


 思い出したのは、『聖杯』が砕けた光景。


「魔神はッ? 魔神はどうなったのですかッ!」


 クリスは飛び起きて、父に詰め寄った。

 アイオロスはかるく眼を細め、首をかしげた。


「大丈夫。一瞬だけ復活してしまったけど、無事再封印できたよ。だけど『聖杯』は壊れてしまった」


 視線が背後に控えていたユーフェミアにむく。彼女は無残に割れた銀色の杯を手にしていた。


「初代巫女から血が薄くなってきたことが原因か、それとも磨きあげてきた封印の性質に『聖杯』自体が耐えられなかったのか……。ともあれ、人族は次の封印法を探さなくてはいけないね」


 それの意味するところが、とっさには理解できなかった。


「もう『巫女』の血を子孫に残すことも、封印の義務もなくなってしまったね。それでもクリスが生きていてくれたことが、たまらなく嬉しいよ」


 父はそう言って、やさしくクリスの身体を抱きしめた。


 なぜか、涙がでた。

 もう『巫女』でいる必要がなく、血を繋ぐ義務もない。


 そのことに、押し潰されそうなほどの重圧がなくなって、気が緩んだのか。

 それとも、誇りとして、いつも心に寄り添うようにあった使命がいきなりなくなってしまったために自分が揺らいでしまったのか。


 ただ、もう魔神封印のためにすべてを尽くさなくてもいいと言われると、心が空っぽになったようだった。いままで立っていた地面がなくなったかのように頼りなく、そのことが悲しくて、それでも父とまた逢えたことが、ただただ嬉しかった。


 もうなににも束縛されない、もう、誇りも、使命も、義務も、なにも自分を縛ってくれない。

 ただひとりの人間として、世界に立つこと。

 そんな不安と共にもたらされたそれは、圧倒的な解放感。


 ──これが、自由?


 そう思うと涙がとまらなかった。

 ふいに、あいつの言葉を思い出した。


 ──なあ、クリス。おまえは『巫女』でなかったら、なにになりたい?


 もう自分は『巫女』ではなく、何にでもなれるのだ。


「お父さま、あいつは? ユウトは、どこに?」


 その問いに、父の顔が一瞬だけ歪んだように見えた。だがそれは幻であったかのように、いつもの柔和な笑みに変わる。


「彼はもとの世界に帰ったよ」


「……ユウトはもとの世界に帰ることができたのですね……」


 よかった。そう思った。


 自分が生き残れたことよりも、勇人が無事に帰れたことが嬉しい。

 疲れがでたのか、クリスは再び眠気に襲われた。


「さあ、クリス。今日はもう休みなさい」


「はい、お父さま」


 彼女は眠りにおちる。

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