第37話


「さあ、決戦だ」


 クリスが強い意志と覚悟にあふれた声で、そう言った。


「ああ」


 勇人は頷き、腰にさして聖剣を袋から慎重に抜き出す。

 それを見てクリスが驚きの声をあげた。


「な、なんだ、それはっ?」


 彼女の反応も無理はない。

 聖剣の柄部分が、茨のように鋭い棘で覆われていたのだ。


 そんなものを掴んで振るえば、それだけで手がズタズタになってしまいそうだ。


「ああ、ガルムさんに頼んで、つけてもらった」


「……ッ! なにを考えているんだっ、おまえは!」


 クリスが思わずといったように怒鳴った。


 それに勇人は鮮烈なほどの意志を宿した声で、こう答えた。


「決まっているだろ。おまえを護ることだよ」


「な、なに……っ?」


 意表をつかれたのか、クリスの声がうわずる。

 そんな彼女にたたみかけるように勇人は言う。


「ボクは勇者の誇りなんてこれっぽっちも持っていないよ。でもね、女の子だけに命をかけさせて、のうのうとしていられるほど落ちぶれてもいないんだよ。これでも男の矜持ぐらいは持ちあわせているんだ!」


 勇人は柄を握りしめる。すると棘が皮膚を食い破り、血がしとしとと流れだした。


 それを見てクリスが慌てたように手をのばそうとする。


「お、おい、そんなことをしたら……」


 それを左手で受けとめ、勇人は彼女と視線をあわせる。その瞳は困惑に揺れていた。


「いまこの時だけ……」


「え?」


「勇者の誇りも矜持も持たないボクだけど、いまこの時だけ、おまえのための勇者になるよ。おまえを無事に魔神封印場まで送り届けてやる。傷ひとつだってつけさせやしない」


 この世のあらゆるものから、彼女を護る。それが勇人の望んだ、ただひとつの願いなのだから。


 それだけを言い置いて、勇人は彼女の手を離し、魔族軍に向けて走りだした。


 すぐ隣を、九煉が並走する。

 男とアイコンタクトなど気持ち悪いだけだが、眼をあわせるだけでこいつがどう動くか理解できる。九煉もそうだろう。


 勇人は聖剣グラムスティガーを抜剣。銀光が空に弧を描き、その軌跡から濃密な魔力が虹色の燐光となってあふれだした。


 それに応えるように、九煉が吼える。


「わが属性は〈地〉、我が性質は〈重力〉、我が〈クレン・キズナ〉の名において──大地の束縛よ、断たれろ!」


 勇人は渾身の力をこめて地を蹴り、跳躍。同時に九煉がこちらの肩にのる。


 重力の束縛から解き放たれた勇人の身体は悠々と空高く、宙を舞った。それはまるで大砲から放たれた弾丸のようだった。


 すべての人族軍を置き去りにして、勇人は空中から魔族軍を見下ろした。

 剣を振りかぶる。


 一振りで、千の魔族を滅ぼすと伝えられる聖剣グラムスティガーを。

 命を燃やしているいまならば、万の魔族を殲滅してみせよう。


「我が属性は〈虹〉、我が性質は〈剣〉、我が〈カミシロ・ユウト〉の名において──魔を屠る刃となれ!」


 一気に振りおろす。

 虹色の輝きが、洪水となってスコールのように魔族軍へ降りそそいだ。

 それは凶悪な殺戮の雨であった。

 虹色の光に触れた端から、魔族の群れは赤黒い煙をあげながら蒸発していく。


 その一撃で、魔族軍は浮き足立った。


 勇人は空中でさらに、三度聖剣を振り、三万の魔族を葬った。

 血煙が噴きあがる魔族軍の中心に降り立ち、勇人は円を描くように周囲を薙ぎ払った。

 キュボウッ──と空気が破裂するような音とともに魔族たちは爆散した。

 そのときになると、人族の軍隊が槍隊形で突貫し、魔族たちと交戦にはいっていた。

 そこに──


 ──ドックンッ!


 まるで世界脈動するような、魔力のざわめきを感じ取って、勇人は総毛立った。


「嘘だろ! 早すぎるッ」


 魔神が復活しようとしているのだ。それを肌で感じて、勇人は悪寒に身を震わせた。


 さらに、魔神の魔力に感化されたのか、魔族が凶暴になり、人族軍を食い破り始めた。あきらかに魔力が増幅している。


 勇人は歯噛みした。

 その軍の後ろには、クリスがいるのだ。

 勇人は一刻も早く魔王を滅ぼそうと剣を振りあげた。


 そこに、強襲をうけた。

 空からである。

 翼のある魔族たちが自らの命を魔力に喰らわせ、特攻を仕掛けてきたのだ。

 まるで空からミサイルで爆撃されているようだった。

 爆風に翻弄される木の葉のように、勇人は吹き飛ばされ、防御もままならなかった。

 同じように、人族軍も魔族軍の攻勢に堪えきれず、次々と撃破されていく。


 これでは、計画が潰れてしまう。


「くそっ!」


 勇人は棘だらけの柄を握り締め、聖剣をさらに血で染めた。

 命を燃やして、一気に魔族を殲滅しようとするのだが、立ち上がることもできず、魔族の特攻から身を躱すだけで精一杯だった。


 ──ドックンッッ!


 世界が再び震える。魔神の魔力が瘴気のように漏れだし、魔族がさらに活気づく。


「くそったれぇッ!」


 勇人は毒づき、危機感に身体を震わせた。

 このままでは、計画どころか、全滅してしまう。


 それを救ったのは九煉だった。


「わが属性は〈地〉、我が性質は〈重力〉、我が〈クレン・キズナ〉の名において──重圧よ、空間をねじ曲げよ!」


 その咆哮にも似た叫びによって、勇人の周囲が歪曲し、すべての魔族の攻撃をそらした。


 それは刹那の間だけだったが、勇人にはそれで十分だった。


「ナイスだ、悪友!」


 この好機に、勇人はさらに命の火を燃やし、膨大な魔力を生みだした。


「うるぁあああああああああああああああああ──ッッ!」


 その魔力をすべて聖剣にのせて、上から下へ振りおろす。

 虹色の奔流が、光の洪水となって疾る。


 狙うは、魔方陣の中心、──魔王だ。


 その進路上にいる魔族は、わずかな抵抗もできずに滅んでいき、魔王をその牙にかけようとしたところで、周囲に展開されている強力な結界に阻まれた。


 ──ドックンッッッ!


 さらに世界が脈動するに震える。魔神の魔力に侵食され、復活のタイムリミットが迫っていた。


 勇人は走った。

 自身をひとつの槍として、突貫したのだ。

 刃から虹色の光が溢れだし、勇人は極光の彗星と化した。


 それは一直線に魔王へむかって飛び、結界とぶつかりあった。


 刃が結界の壁を、半ば突き刺したところで、勇人の足はとまった。


 剣は、魔王に届いていない。


「こんのッくそったれえええええええええええええええ!」


 咆哮し、命をさらに、さらに、燃やした。


 爆発するように虹光があふれ、結界が甲高い音をたてて砕けた。勇人は切っ先を魔王へと向け、身体後と突っ込んだ。


 ──ドックンッッッ!!


 ひときわ大きく、世界が鳴動する。

 それと時を同じくして、刃は、魔王を貫いていた。


 虹色の閃光は一瞬の抵抗も許さず、魔族の王を滅ぼし尽くした。

 そして──


 ──…………ッ!


 脈動はおさまっていた。

 不穏な魔力はいまだ流出しているが、魔神の復活自体は阻止できたようだ。


「……間に合った」


 呟きと同時に、勇人の視界は揺れた。

 息があがり、嫌な汗がとまらなかった。自分ではわからないが、すでに髪は真っ白だろう。

 とっさに、聖剣を杖にして、倒れるのを防ぐ。


「親友!」


「大丈夫だ……」


 勇人は深く息を吸い込み、なんとか身体に力を戻そうとする。

 大丈夫だ。まだ自分の命はもつ。

 魔力もまだ十分にある。

 そもそも、魔力が枯渇していた魔獣戦のときとは違うのだ。

 今は魔力をガソリン。命をニトロとして、加速力を得る車のようにして戦闘を行ってきただけだ。

 あまりの高出力に身体がついていかないだけで、燃料はまだまだあるのだ。


 でなければ魔神の封印など、できるはずもない。

 特異点──勇者である勇人の生命力と魔力はそれほど膨大なのである。


「周りはどうなってる? クリスは?」


「ふむ、大事ないようだな」


 魔王を倒されたことによる士気のさがった魔族軍を蹴散らしつつ、クリスを擁した人族軍がこちらに順調にむかっている。


「そうか……」


 安堵のため息をつき、勇人は再び気を引き締めた。


 ここからが本当の正念場なのだ。

 視線を魔方陣の中心──『聖杯』へと移した。衝撃で倒れたのか、中の『霊血』が大地に吸い込まれていくところだった。

 それを拾って、九煉へと渡す。


「頼む」


「うむ」


 彼は器用に前足で『聖杯』を受けとり、魔力が暴走するように細工の術式を加えていく。


 これで前準備は終わった。

 そして、慌てたような足音とともに、クリスがそばまでやってきた。


「ユウトっ! 大丈夫かっ?」


 それに勇人は笑って答えた。


「平気だよ。もう一戦だってできるぞ」


 クリスは安堵に顔を緩ませ、だがすぐ怒りだした。


「バカモノ! なんて無茶なことをするのだ!」


「これが、勇者ってもんだろ?」


 そう言うと、彼女の顔は泣きそうに歪んだ。


「バカ……モノっ。おまえは、もとの世界に帰るのだろう! そのためにがんばってきたのだろう! それなのに、こんなところで死んだらどうするのだっ!」


 勇人はわらうだけで答えなかった。九煉から『聖杯』受け取り、クリスに渡してやる。


 これだけで彼女の顔つきが変わる。そう『巫女』の──殉教者のようなそれに。


「ボクの役目はここまでだよ」


「ああ、あとは、わたしの役目だ」


 断言するように、クリスは言った。

 それは、誇り高く、高潔で、勇人の憧れた彼女の姿だった。


 これが、今生の別れとなる。


 勇人は、血に染まった右手を差し出した。


「さよならだ。いままで、ありがと──な」


 クリスは微笑み、その手を握った。


「ああ、こちらこそありがとう。そして──さよならだ」


 血の雫を残して、手が離れた。

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