第3話


 そこは暗く細部は確認できなかったが、大きな篝火の前に岩でできた寝台があり、そこに少女が横たわっていた。遠眼からでもわかるその容貌にまず驚いた。それは桁外れの美しさを誇っていたのだ。


 年の頃は、十代半ばだろうか。ものすごく長い──膝まである輝くような銀髪と、色素が欠落しているかのような白い肌がひどく印象的だった。さらにそれを包むのは極薄の白い衣のみである。眠り姫のごとく横たわるそのさまは、あまりに神々しく、高貴であった。


 その少女が寝かされている台座のまえには、ローブに身につけた人影が大きな杖を持ち、なにごとかを呟いていた。それは祈祷のようでもあり、謳っているようでもあった。


 勇人は知らず知らずのうちに息をとめていたことに気づき、長く息をはく。


「……なにやってんだ、あれ?」


 メガネを指で押しあげ、よく見ると、銀髪の少女の首筋に生々しい傷があった。そこから血の流れができていて、台座に刻まれた溝にそって流れていく。その執着地点には不思議の色合いの『杯』があり、そこに彼女の血が貯められていく。

 そのことに、邪悪な神に捧げられる生贄を想像してしまった。でなければ魔女狩りの儀式だろうか。


「お、おい、なんだよあれ……ッ?」


 となりにいる黒ネコ──九煉に囁いた。彼は自信満々に答える。


「勇者がいて、倒すべき魔王がいて、可愛いお助けマスコットがいる。そして足りないものといえば、救出すべき『ヒロイン』に決まっているではないか!」


「はあ? なに言っちゃってんのおまえっ?」


「さあ、助けに行くぞ!」


「助けに行くって、おい!」


「ふっふっふっふ、待ちに待ったこの機会。畜生にまで身をやつし、苦労して会得した『魔法』を使う瞬間がやっとぉ……キタァ──っ!」


 九煉は雄叫びをあげるように咆哮すると、勇人の背中にタックルをかましてきた。


「なぁっ?」


 ネコの体重で体当たりされたとは思えないほどの衝撃が、勇人の背中を押した。崖っぷちで下の様子をうかがっていた彼は、あっけなく足を踏みはずした。


「うっああああああああああああああああああああああああああっっ!」


 万有引力の法則に従い、宙を舞った勇人と九煉は、急速に落下を始めた。視界がすごい勢いで流れ、胃とか内蔵とかがすごい勢いで上に引っ張られる。あまりの風圧にメガネが吹っ飛ばされそうだった。死の恐怖に血の気がひき、現実を見ることを拒否した意識が眼をとじるように命じる。その風にも負けぬ大声で九煉が吼えた。 


「我が属性は〈地〉、我が性質は〈重力〉、我が〈クレン・キズナ〉の名において──大地の束縛よ、断たれろ!」


 その言葉とともに、落下する二人は、万有引力の束縛から逃れた。羽のような軽やかな速度で大地に足をつく。


「ふっ、成功か。なかなかに心地よい〈力〉だな、『魔法』というのは」


 九煉の不適な言葉に、勇人は恐る恐る眼をあけるとまだ自分は生きていた。怪我ひとつしていなければ、落ちた衝撃すらなかった。少なく見積もって、ビルの十階建てぐらいの高さはあったはずなのに。


「…………う、うそだろ?」


 そのことに自分の中の常識が次々と揺らぎ、強く眼頭をおさえた。


 異世界、勇者、魔王にヒロイン、そしてお助けマスコットときて、とうとう魔法まで出てきた。


 なぜ九煉が魔法を使えるのか、いやネコになることができたんだから、魔法ぐらい使えても不思議はないのだろうか。そういえば漫画やゲームでも異世界へ渡る過程で、特殊能力を付与されているのがデフォルトだった気がする。


 だが、九煉が魔法を使えるとなると、なんとかに刃物という言葉が頭に浮かんでしょうがない。


 五歳児に拳銃を所持させるようなもの──否、キチガイに核ミサイルの発射ボタンを与えるようなもので、大変危険である。それで被害を被るのは、いつも自分なのだ。


「てめえ……魔法なんて物騒なものどこで覚えてきやがったっ? いやッ、そんなことよりどうやって使いやがったっ?」


「ふっ、どこで、どうやってなどと野暮なことを聞く。そもそも魔法とは魂の衝動なのだよ。考えて使うものではないのだ。さる有名人も言っていたではないか『考えるな、感じろ』と」


「てめえはどこぞの中国武術家かっ?」


 思わず突っこんでしまってから、勇人は額をおさえた。


「……もう嫌だ──ん?」


 ここでやっと、意識が外にむいた。

 勇人たちが降り立ったのは、少女が横たわる台座と、ローブの大男のあいだたった。計らずとも彼女を背後にかばう態勢になってしまったようである。


 眼の前の男──だろうか、身の丈は、二メートルを超えている。フードで容貌はうかがい知れないが、殺意のこもった強烈な視線を感じて、戦慄に肌が粟立った。嫌な予感がてんこ盛りだ。そのことに新たな頭痛の種を感じながら九煉に視線をうつす。


「……なあ、悪友。ボクさっきから状況の説明を求めてばっかりなんだけど、これはどういうことだろう?」


「ふっ、知れたこと。眼の前の巨漢こそが、この世界の『魔王』であり、後ろの少女こそがこの世界の『ヒロイン・オブ・ヒロインズ』。そしてこの状況は彼女を生贄に捧げての魔神復活の儀式──その真っ最中なのだ!」


 その言葉に反応したのか、なにかを呟きながら、ローブの男──『魔王』が身の丈ほどもある杖を振りあげた。

 するとそれに呼応するように、篝火の影や、光の届かぬ闇から、漏れでるように異形の怪物たちが姿を現した。これはモンスターだろうか、それとも魔族だろうか。


 虎のような凶暴な獣がいるかと思えば、巨大な蛇のようなものもいるし、リザードマンのような竜と人を合わせたかのようなものもいる。さらにはドラゴンのようなものまでいて、何人、何匹いるのか検討もつかないが、とにかく沢山の軍勢がこの狭い火口のような空間に犇きあっている。咽るような獣臭さが鼻をつき、極度の緊張も相まって吐き気すらする。


 少女の横たわる台座と大きな篝火、勇人と九煉、そして『魔王』を囲むようにして、魔獣軍団が展開している。

 最悪だ。勇人の眼の前は真っ黒に染まった。


 自分が異世界を救う勇者──それはこの際百歩、否、万歩譲って良しとしよう。生贄に捧げられようとしている少女を救うのも、まあ良いだろう。


 だが、いくらなんでも、レベル1の勇者を、いきなり『魔王』のまえに連れてきて、さあ戦え──はないだろう。

 最初はスライムくらいから始めさせてくれよ、頼むから。

 しかも、魔神復活の儀式をモロに邪魔するかたちで乱入しやがって、どう言い訳しても逃がしてくれないだろうな。


「で、悪友。この魔物の大軍をまえに、どうやって生き残れと?」


 額に浮き出た脂汗をぬぐいながら、勇人はもう諦観の域に達しながらそう尋ねると、九煉はそれを鼻で笑ってくれた。


「ふっ、剣道三段、合気道二段、拳法初段のおまえにかかれば、モンスターの一万や、二万、敵ではあるまい」


「そんなわけねえだろっ!」


 勇人は血管が切れそうな勢いで叫んだ。


「あれは、人間相手! しかもおまえのトラブルに巻き込まれても生き残れるように身につけたんだよ! こんな怪物相手に戦うためじゃねえよっ!」


「ふっ、謙遜を」


「てめえぶっ殺すぞ!」


「あぁ、殺してくれ。そして屍の道をきずくのだ!」


「あああああああああああああもう──っ! なんでここまで話が通じねえんだよっ!」


 頭を抱えるように髪を掻き毟り、しゃがみ込む。もう嫌だ。こんな奴となんで友達やってたんだろう。生き残れるとは思わないけどせめて武器になるもんが欲しい。銃や大砲などがあれば少しは生存率があがるだろう。


「ふっ、そう『思う』と思っていた」


「……なにが『そう思うと思っていた』だよ。明らかにおかしいだろ。いつのまに人の心が読めるようになったんだよおまえ……」


 もうツッコミにも力がはいらない。自分はここで死ぬのだ。十五年、短い人生だった。

 そんな勇人の内心に反して、九煉のテンションは天井知らずのマックスだった。


「さあ、さあさあさあさあさあァ──っ! 喚べ! 勇者の剣を!」


 武器といっても剣かよ。まあそれでもないよりはマシか。


「喚ぶって……どうやってだよ?」


「剣よ来い、と唱えろ!」


 自信満々の畜生の言うとおり、しぶしぶ勇人は呟いた。


「……剣よ、来い……」


 その瞬間、心臓が大きく鳴動した。


 それに呼応するように闇夜を切り裂いて一振りの剣が降ってきた。大振りな両刃の長剣が精緻な細工を施された鞘におさまっている。それはそうあるのが当前というように眼の前に浮いていた。


 導かれるようにその剣の柄に手が触れる。それは手に吸い付くようでいて、羽のように軽かった。まるでこの世で自分のためだけに造られたようだった。


 これさえあれば、十万の軍勢だろうと敵ではない。そう思わせるような『なにか』があった。

 勇人は剣を鞘から抜いた。

 そして──


「なぁっ?」


 ──唖然とさせられた。


 なぜなら、その剣身は途中で折れていて、しかも赤茶色に錆びていた。

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