第4話


「……なあ、悪友。これはなんだろう?」


 剣呑に尋ねると、彼は前足で黒々とした毛並みをかき上げた。


「ふっ、説明しよう。それは勇者の持つべく武具──『聖剣グラムスティガー』である!」


「へえ、でもこれ折れてるし、錆びまくってるんだけど」


「ふっ、当然だ。それは折れて行方不明になった剣身を探しだし、喧嘩別れした鍛冶師の父と娘を仲直りさせて、鍛えなおしてもらうというクエストを経て──完全体となるのだっ!」


「ふざけんなぁっっ!」


 勇人は『聖剣グラムスティガー』を地面に叩きつけた。


「敵の真っ只中にいるのに、そんな悠長なことやってられるかぁっ!」


 いっそ殺してやろうかと思いながら怒鳴りつけたのだが、九煉はどこ吹く風と鼻を鳴らした。


「ふっ、親友はあいかわらず、我が儘だな」


「ボクがっ?」


 そんな漫才もどきをしている最中だった──我等がヒロインが眼を覚ましたのは。


「うぅ……んっ……」


 呻くような声とともに彼女は身を起こした

 放射状に広がっていた銀髪が、ひとつの川のようにその背に流れた。

 影ができるほど長い睫毛が震え、切れ長な瞳が姿をあらわした。その色は、母なる海のような蒼。それに吸いこまれそうな錯覚さえおぼえた。

 篝火に浮かびあがる輪郭は、やわらかな曲線をえがき、えもいわれぬ色香を漂わせていた。


 正直に言おう。

 このときユウトは確かに──彼女に見惚れていた。

 少女は、焦点のあわない瞳でぐるりと周囲を見渡し、台座の下に鎮座している彼女の血で満たされた『杯』で、その視線をとめた。


「──それはっ!」


 蒼い瞳が急速に焦点をさだめ、少女は跳びつくように、その『杯』に手をのばした。

 だが、彼女は体勢を崩し台座から転がり落ちそうになる。


 無理もない、少女はここで血を抜き取られていたのだから。その量はコップ大の『杯』を満たすほどだが、貧血ぐらいおこすだろう。首筋の血もいまだとまっていないのだ。


「ちょッ──お、おい、大丈夫か?」


 彼女が落ちそうになるのを、勇人は反射的に受けとめていた。

 そして、少女の軽さと、腕からつたわる身体とやわらかさと温かさに、勇人は顔を赤くしてうろたえた。


「──『聖杯』を──」


 それと対照的に、少女は眼の前にある自らの血で満たされた『杯』しか見えておらず、それに手に取ろうともがいている。あと少しで『杯』に指が届く──

 ──というところで、『杯』その指から逃れるように滑りだした。


「なァ……っ?」


 少女が驚愕の声をあげ、その行方を蒼い眼で追う。

 それは、飛ぶ勢いで『魔王』の手におさまった。


「……っ! なんということだ……!」


 少女はただでさえ出血のせいで白い顔をさらに蒼白にし『魔王』を睨みつけた。


「それを──返せ!」


 毅然と言い放ち、勇人の手を振りほどこうとしたところで、少女は再び体勢をくずした。

 勇人は展開の速さについていけず、ただ混乱しながらも、血を流し続ける彼女の首の傷を袖でおさえる。


「……お、おい血が……きゅ、救急車──なんてこの世界にあるわけないか……ど、どうしよう?」


 その問いかけは、黒ネコ──九煉に対して言ったのだが、彼はこちらにふり向きもせず、ただ『魔王』のほうを視線に向けてヒゲをふるわせていた。


「ふむ。『聖杯』が魔王に奪われたな。ここまでは想定内だが……」


「おい!」


 その態度に勇人は九煉に怒鳴る。

 反応は思わぬところから返ってきた。


「うるさいっ! 耳もとで怒鳴るな!」


 先ほどのやり取りで、やっとこちらの存在に気づいたのか、少女が初めて勇人に視線をむける。

 それに勇人は怯んだ。彼女のどこまでも蒼い瞳に強い意志を感じたからだ。


「おまえは……いや、今はそれどころじゃない」


 少女は勇人が魔物ではなく人間──ようするに彼女にとって無害である──というところだけ確かめて、優雅な手つきで、傷を抑えていたユウトの手を振り払うと、自らの首筋に指を這わせる。このとき初めて彼女が中指に指輪をしていることに気づいた。


「我が属性は〈聖〉、我が性質は〈封印〉、我が〈クリスティアーネ・ヴァランティー〉の名において──血の流出を、封じる」


 その言葉とともに首の傷が乳白色の光に包まれ、出血が止まった。決して傷が治ったわけではないが、そのことに勇人は眼を丸くした。


「ま、また『魔法』かよ……」


 これで彼女──クリスティアーネ・ヴァランティーと名乗ったはず──もファンタジー世界の住人であることを、無理やり認識させられた。


「もう大丈夫だ。離せ」


 血が止まっただけで、傷が治ったわけでも、失われた血が戻ったわけでもないのに、クリスティアーネ──長いので次回からはクリスと略そう──は勇人の手から抜けだし、挑むような眼つきで『魔王』に一歩踏みだす。

 凛とした声が可憐な朱唇からこぼれおちる。


「月下の指輪・状態変化──三日月の剣──」


 その鍵言語に反応して、彼女の唯一の装飾具──右中指にしている指輪が輝きとともに反りのはいった片刃の細剣に変わった。形状としては刀に近いようで、銘のとおり、三日月を思わせる優美さだ。


 すでに驚く感覚も麻痺しているのか、勇人は呆然と彼女の背中を見ていた。

 それに呼応するかのように、魔獣の軍勢が威圧するように包囲を狭めてきた。完全に囲まれている。


「お、おいおい……マジかよ。どうする……」


 勇人はそれに怖気づいたように後退する。


 だが、彼女は違った。毅然と胸をはり、気高くそれに立ち向かおうとしていた。


「──『聖杯』を返せ──」


 華奢な身体を包むのは極薄の白い衣のみ、手には魔獣の牙や凶悪そうな爪に対するには、頼りなさそうな細い剣だけ。それでも彼女は膝まで届く長い銀髪を、まるで騎士のマントのようにひるがえし、細剣の切っ先を『魔王』にむけた。


 そのことに、──胸をうたれた。


 眼の前の現実に、ビビっている自分がすごく情けなくて。

 そして彼女がたまらなく──格好よくみえた。


 勇人が呆然と見入っているうちに、クリスは『魔王』を見据えて、疾走した。

 同時に、巨大な虎にも似た魔獣が、跳躍した。短剣ほどもありそうな凶悪な牙が彼女を襲う。


 喰われる──反射的にそう思った。


 だが、


「我が属性は〈聖〉、我が性質は〈封印〉、我が〈クリスティアーネ・ヴァランティー〉の名において──我が前に立ちふさがりし、悪しき者たちを〈封滅〉せよ!」


 クリスが謳うように呪文を唱えると、純白の光が細い剣身に纏わりついた。


 それは閃光のような速さで、いとも簡単に魔獣を斬り裂いた。斬られた魔獣はまるで割れた風船のように弾けとび、続いて圧縮ように消滅した。取り残された赤黒い血が霧のように周囲に散る。


 それを掻い潜るように、クリスはさらに踏み込み、次々に襲いくる魔獣たちを斬り倒し、〈封滅〉させていく。それは優雅な舞を連想させるような動きだった。


「す、すごい……!」


 勇人は眼を丸くして彼女に見惚れた──いや、魅入られたと言ったほうがいいかもしれない。


 それを中断させたのは、いままで黙っていた九煉の呟きだった。


「やはり届かんな……」


「え?」


 その言葉に、彼が注視しているところに視線をむける。


 そこでは、魔王が『杯』のなかの『血』を零さないように歩を進めているところであった。


「待ちなさいっ!」


 クリスが必死に追いすがるが、魔物の軍勢がそれを阻む。『魔王』は壁にむかってなにごとかを呟き、入り口をつくると、そこから脱出した。


「引き際だな。『聖杯』と『霊血』を奪われたところまでは想定の範囲内だが、『巫女』を失うわけにはいかない」


 なんだって、と問い返す暇はなかった。

 

 クリスティーナが魔獣の一撃を受けて体勢を崩したのだ。極薄の衣が裂け、背中から鮮血が舞った。

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