第27話


 勇人が眼を覚ますと、ベッドに横たわっていた。


 いつもの習慣どおり、枕元にあるメガネを手探りで見つけようとしていると、ないことに気づく。いつも枕元に置いて寝るはずなのに、と首をかしげて身を起こすと、聞き覚えのある声がした。


「気がついたか、親友」


 九煉だ。


 メガネのないぼやけた視界で周囲を見渡すと、すぐそばに座った誰かが、勇人の足を枕にして寝ている。メガネがなくても銀色の長い髪は判別できた。放射状に広がり、それ自体が光り輝いているかのようだ。その近くに黒っぽい塊がある。これが九煉だろう。


「ここは? ボクはどうしてこんなところで寝てるんだ?」


「憶えていないのか? 親友が魔物を屠ったのも?」


 その言葉を引き金として、脳裏にあのときのことが浮かんできた。


 そう、勇人は折れた剣身を素手で持ち、太古の魔獣に戦いを挑んだのだ。

 いや、あれは戦いというよりも、勇人のワンサイドゲームだったようなきがする。

 とにかくあのときは、とにかく気分が高揚していて、ひたすら猛っていた。


 ──あ、思い出してきた。


 勇人は咆哮しながら渾身の一撃を魔獣に向かって叩き込んだのだ。


 それは、魔獣の右半身を半ば吹き飛ばした。


 勇人は剣を振った後、即座に地を蹴り、魔獣のまえまで瞬間移動じみた速度で接近していた。聖剣を握っているときの自分はまるで超人にでもなったかのように、身が軽く、力が溢れてとまらなかった。


「──おらぁ!」


 蹴りが倒れ伏していた魔獣を浮かし、そこに斬撃をくわえていく。相手の腕が飛び、足が飛び、血飛沫が舞う。勇人は一切の手加減をしなかった。心のうちに渦巻く感情に引き摺られるようにしてどんどん加虐的になっていく。


 再び地面に落ちたとき、魔獣は蓑虫のようになり、身体中から血が溢れていた。


 勇人はそれでもとまらなかった。

 急所や傷口を狙って踵で抉るように蹴りつけていく。

 怒りが暴走していた。

 冷静な部分ではわかっていた。

 いま行っていることは、ただの八つ当たりだ。ずっと我慢していたものが標的を見つけて噴出しているのだ。


「ああ、くそっ! なんでボクがこんなことをしなきゃならないんだよ、ぁあっ!」


 蹴るたびに、魔獣が悲鳴のような鳴き声をあげて身をよじる。


「九煉に巻き込まれることなく、平和に生きたいっていうのがボクの願いだったのに。ただそれだけのことがそんなに高望みか! ぁあ! 不幸に耐えてひたすら平穏を望むのがそんなにいけないことか、答えろゴルァ!」


 さらに蹴って蹴って蹴りまくる。


「それなのに、いきなり異世界につれてこられて勇者なんかやらされるわっ、それが満足にできなかったら軽蔑されるわっ! なんでボクがそんな目に遭わなきゃなならいんだよっ! ふざけんなァ!」


 大きく蹴り飛ばした魔獣が跳ねて、地面を転がる。


 勇人と距離ができ、それが魔獣にとって絶好の機会となった。


 魔獣の眼が炎のように紅く輝く。口を開きそこから、極光の輝きが放たれた。

 クリスの封印の力と、さらにユーフェミアの氷の盾壁を打ち破ってなお、人を千回消滅させるだけの威力を秘めた殲滅の吐息が、奔流となって迫りくる。

 勇人はそれを──


「────ふっ」


 無造作に剣で薙ぎ払った。

 それだけで極光は拡散してしまう。


「もういいよ、おまえ。──消えろ……ッ」


 一閃。


 虹色の光が圧倒的な力で魔獣を消し潰した。欠片も残らなかった。


 それについてなんの感慨もわかなかった。

 ただ、あれだけ激昂していた心も、ひどく落ち着き、続いてわいてきたのは、寂寥感だった。


 ひたすら、哀しくなった。

 この年になってもいちいち口をだしてくる、内心ウザイと思っていた母のことや、友達とのくだらない話、テストで赤点をとったことなど脈絡もなく思い出していた。うちのキッチンはちょっと使い勝手が悪く、お菓子などをつくるには手間がかかった。

 母さんは口うるさいけど、はじめてお菓子をつくったときは、失敗したのにおいしいおいしいと、大げさに褒めてくれた。それで勇人はお菓子をつくるのが趣味になったのだ。


 胸の奥がしめつけられるように痛んだ。鼻の奥がツンとして、無性に哀しくなった。母さんに会いたかった。会いたくてたまらなかった。


 血に染まった聖剣が手から抜けて、澄んだ音を奏でた。


「……帰りたい。もとの世界に帰りたいよ……」


 いままで我慢していたもの溢れてきた。張っていた緊張の糸が切れたようだった。涙がとまらない。


 足もとに九煉がよってきた。

 彼がいなかったら、勇人の心はとっくに音をあげていただろう。

 勇人は膝をつき、九煉を抱きしめた。


「……悪友。なんでこんな世界にボクを連れてきた?」


「すまない、親友。それが運命だった。俺が干渉できたのは、こんなナリになっておまえについてくることだけだった」


「帰りたいよ……」


 迷子になった子供のように九煉にすがりついた。


「ああ、そのために俺がいる」


 勇人はその言葉を最後に気を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る