第23話


 どこまでも続く地平線。

 この世界の人々は、天境線──天と境の線と呼んでいた。地を引き合いにだすのではなく、天を引き合いにだすとは、さすがスケールが大きいな異世界人、と思わなくもない。


 見渡す限り岩場で、草木がまるでない。視界を遮るものがないことがこんなにも開放的だとは思わなかった。日本人にして現代人である勇人にはなじみのない光景だ。


 そして勇人は深呼吸して、再び岩山登りを再開した。

 さすがに岩山は馬車では登れないということで、勇人たち四人は歩いていた。いや九煉だけは勇人の肩にのっていたが。


 ディブロンアーゾ地方に入ってから、いくつかの町を経由して霊山シンデウムに向かった。もちろん各町の住民から情報収集もしていた。

 いわく、シンデウムは封印された魔獣の影響で、草木一本生えることのない死の山だそうだ。


 入り口は山の中腹にあった。

 そこは洞窟のように奥行きがあり、しばらく進むと、大きな空洞があった。ランタンの明かりでは天井が見えないほど広い。


「はあ、こりゃまたすごいね」


 声がこだまのように反響した。


「親友。あれがそうではないか?」


 九煉がそう言って、視線をむける先には、大きな柱があった。

 空洞の中心部であり、まるで天井を支えているかのごとく太く巨大な柱だ。

 その柱を囲むように円と星が描かれている。


 ──まるで魔方陣だ。


 魔獣はそこに縫いつけられていた。

 魔方陣に囲まれ、巨大な柱を背にして、銀色の刃に胸を貫かれていた。


 あれが聖剣だろう。

 それは情報どおり魔獣の封印に使われているようだった。


 魔獣は体長三メートルを軽くこえていて、狼と大型類人猿を足して二で割ったようなイメージだった。干からびた眼窩はぽっかりと穴をあけていて、人でも軽く喰いちぎりそうな牙を有した顎は、断末魔をあげるように開かれている。ナイフのような強靭な爪がついた手が胸を掻き毟るようにしていて、封印の際、よほどの苦痛があったのだと推測された。


 封印とは、人の手で倒せない相手を術式の中に閉じ込め、魔力を消耗し尽くさせるもの──ようするに餓死させるものだとは説明を受けていた。

 すでにミイラのように干からびている魔獣を見れば、餓死の段階はとっくにすぎているのは一目瞭然である。


 それでも、自分の慎重の倍以上あるバケモノのミイラだ。不気味な存在感を発していて、正直近づく気にはなれない。たとえ危険がないとわかっていてもだ。


「うわ……っ。これ抜いた瞬簡に襲いかかってきたりしないだろうなァ?」


 びびる勇人にクリスが毒づいた。


「情けない。これが勇者か……」


 カチンとくる言葉だ。こういうことがずっと続いていた。


「……あのなァっ!」


 いい加減キレて勇人は詰め寄る。


「さっきからなんなんだよ! 言いたいことがあれば面とむかって言ったらどうなんだ!」


「そうだな。では言わせてもらおう。わたしはおまえのように、勇者としての責任感も誇りも矜持すらもちあわせない軟弱者は大っ嫌いだ!」


 勇人は頬が引き攣るを感じた。それにかまわずクリスが続ける。


「だが、それでも勇者は勇者だ。我慢してやるから魔王にむかって適当に聖剣を振っていろ。あとはわたしが全てをやってやる!」


「ああそうかいっ。お偉いことですね貴族さまは下賎な民に対しても温情にあふれていらっしゃる。だったらはなからまったく関係のない異世界の一般人なんて巻き込まないでほしいもんだね!」


「なんだと!」


「なんだよ!」


 勇人とクリスは真正面から睨みあった。怒りのため、彼女の端整な顔から血の気がひき、蒼い瞳には怒りが渦巻いているようだった。それすらも美しく感じてしまい。そのことがよりクリスのことを忌々しく思わせる。


「親友」


 足下で九煉がやめろと合図を送っている。

 まだ全然言い足りないし、睨み足りないが、確かに時間の無駄である。


 勇人はそのことにため息をつきつつ、ずれてもいないメガネの位置をなおすことで一時的に落ち着きを得ようとした。


「……まあいい。いまは聖剣だ」


 そして魔物と途中で折れている聖剣の刀身に歩み寄る。

 剣身は錆びてはいないが、細かいヒビがいくつもはいり、やたらと痛んだ印象があった。それでも、ギラギラと光を反射する刃は触れるものみな傷つけそうな鋭さであった。


 勇人は無言で、もっていたハンカチ──紳士としてのたしなみ──をふわりと剣身にかけてみた。


 それは、力を加えたわけでもないのに、なんの抵抗もみせず真っ二つになって地面に落ちた。なんという切れ味だろう。


「……これのどこを持って抜けばいんだよ」


 なにせ柄がなく、剣身のみなのだ。それにこの鋭さ、下手に触れると指が落ちかねない。


「ふっ、心配するな親友。こんなこともあろうかと──」


 九煉はそう言いながら、首に巻いている布の中に器用に頭を突っこんだ。


「──拷問兼用巨大ペンチ~!」


 どこからか、陽気な効果音が聞こえてきた。


「……おまえに対しては、なにをどうツッコんでいいもんかもわからないが、とりあえず──どうやってそんなところに収容していたんだ、というところから訊こうか?」


「これは魔道具のひとつで中は四次元空間になっているのだ」


「おまえは未来のネコ型ロボットかっ? ──いや、もういいよ。おまえにつきあってたら日が暮れる。とりあえずそれ貸せ、抜くから」


 勇人はまず慎重に近づき、魔獣を蹴っ飛ばしてみた。

 反応なし、まあ封印されたのは百年近く前のことだから生きているはずがないとは思うが念のためだ。


 その行為に、後ろでクリスが鼻で笑っているのが感じられた。臆病者と罵られているようで、正直気分はよくないが、無視した。彼女にいちいち突っかかっていたら時間がなくなる。

 勇人は両手を使って巨大ペンチの柄を持ち、魔獣の胸に刺さっている聖剣を挟んだ。


「よいしょっと!」


 それはあっけないほど簡単に抜けた。続いて、油断なく魔獣を注視する。


 やはり、魔獣にこれといった動きはみられない。ただの屍のようだ。


 そして、勇人はペンチ越しにもった聖剣の剣先に眼をやる。見ていると、はじめて聖剣を手にしたような高揚感がわいてくる。どうやら本物の聖剣らしい。


「終わったぞ」


 魔獣に背をむけ、九煉たちのところに戻ろうとしたそのとき──


「親友!」


 九煉が叫ぶように警告を発した。


 その眼は勇人の背後に注がれている。クリスの眼が驚きに見開かれ、ユーフェミアが彼女を護るように前に出て、すでに抜剣していた。

 勇人はその反応を訝しがるように後ろを見た。


 そして眼にしたのは、大きく開いた顎とその牙だった。最初は縫いとめられていた魔獣の死体が、支えを失って倒れてきているのかと思った。


 だが、魔獣の手は勇人を逃がさないようにがっちりと捕まえ、その牙が勇人の首筋に埋められた。


「が……っァあ!」


 勇人は苦鳴をあげ、聖剣をペンチごと取り落とした。抵抗しようとしたが、すでに手が痺れてうまく動かなかった。


 なにかが体内から吸われている。はじめは血かと思ったが、そうではない。魔力だ。この魔獣は魔力を吸収しているのだ。

 どんどん身体の力が抜けていく。


 視界の端では、九煉が魔法を唱えようとしていたが、それよりも早く──勇人の意識は闇に落ちた。

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