第33話


 勇人は九煉をつれて、談話室に戻った。


 そこで、アイオロスは待っていてくれた。

 九煉は彼がクリスを救う手段を用意していると言った。


「アイオロスさん。どうすればクリスを助けることができるんですか?」


 問われたアイオロスは首を横に振った。


「クリスは使命に殉ずる。それがヴァランティー家に生まれた者の定めだ」


 勇人はそんな戯言に耳をかすつもりはなかった。


「アイオロスさん。ボクはクリスを救いたいと言っているんです!」


 そのとき、アイオロスが薄く、冷ややかに微笑んだ。

 それが勇人には、なぜが痛みに耐えているように見えた。


「……わかった」


 彼は背後を振り返った。ユーフェミアが無言で頷く。


 用意されたのは、純銀製のワイングラスのようなものだった。勇人はこれを一度だけ見たことがあった。そのときの色はもっと紅っぽい不思議な色合いだったが、これは──


「まさか『聖杯』?」


「いや、我々が苦心のもとに作られた聖杯の『レプリカ』だよ」


 確かに、魔王に奪われた『聖杯』にはもっと存在感があったというか、魔力がこもっていた気がする。


「どうしてこんなものが?」


「では、ユウト君。君はなぜ魔神を封印するのが『巫女』でなければならないと思う?」


 質問に質問で返されて、勇人は戸惑った。


「えっ、それは、魔法の性質が〈封印〉だからじゃないんですか?」


「いいや、それは封印の力を高めるために、『巫女』の一族が後天的に磨きあげたもので、絶対に必要なわけではないんだ」


「そ、そうだったんですか」


「封印が『巫女』にしかできないのは、『聖杯』に呪怨の術式が組み込まれているからだ」


「呪怨……」


 物騒な名前だな、と勇人は思った。アイオロスの話は続く。


「これを組み込んだのには訳がって、代々の『巫女』たちは、初代姫巫女にくらべると格段と劣る魔力しか有していなかったんだ。それでは何人もの生贄が必要となり、多くの犠牲者がでる。そこで編み出されたのが、呪怨の術式でね。初代姫巫女の血を、触媒として、血の繋がりがある者との連鎖反応をおこさせ爆発的に魔力を増幅させるものだ。それで『霊血』とよばれる。あまりに『聖杯』が『霊血』に染まりすぎたため、封印を破るのにも、『巫女』の血が必要になる……わかりにくいかな?」


 話を途中で打ち切って、彼は困ったように首をかしげた。


「ええ、まあ……」


 勇人は言葉を濁し、九煉に眼をやった。彼はため息をつきながらわかりやすく教えてくれる。


「ようするに、初代姫巫女は膨大な魔力があったために、自身の命だけで封印をすることができた。だが、その子孫では魔力がたりなかった。このままでは大量に──それこそ万の単位で『巫女』が必要になる。そこで血の繋がりを利用した術式を『聖杯』組み込むことで、魔力を底上げすることによって解決した。だが、それには、いくつかの問題があって、ひとつは姫巫女の血筋が封印の際に必要となることだ」


 ここまでがアイオロス氏の説明と九煉は言って、さらに後を続けた。


「そして二つ目にして最大の問題なのが、完全に封印を解かれてしまうと、封印の媒体──血を触媒としている封印の術式は使えないというところだ。だから完全に封印が解かれる前に、再封印をする必要がある」


「なるほど、牢屋をつくる力は初代しか持っていなくて、その子孫たち、少し壊れたところを修繕することしかできない。完全に壊れたらもうお終いっていうことか」


「理解が早くて助かる」


「で、それがこの『レプリカの聖杯』と、どんな関係が?」


 それに答えたのはアイオロスだった。


「これは、レプリカといっても呪怨の術式が組み込まれていないだけで、膨大な魔力をもつ者なら、これでも魔神を封印することができる」


 そして、アイオロスの瞳は勇人にむけられた。九煉が口をひらく。


「アイオロス氏は、勇者であり膨大な魔力を有する親友だったら、クリス嬢の代わりに、魔神を封印することができると言っているのだ」


 九煉の言葉は続く。


「それに封印の術式も、もととなる魔力の属性や性質が違えば反発しあってしまうから、一度封印を解かなければならない。目覚めた魔神をもう一度封印するのは困難を極めるだろう。最悪、再度封印することはかなわず、命の落とし損になる可能性すらある。──それでもやるのか?」


 それは、最後の確認だった。

 その問いに勇人は眼を閉じた。


「なあ、悪友。ボクはいきなり異世界に連れてこられて、勇者なんかやらされてさ、冗談じゃないと思ったよ。あいつに勇者の誇りがないのか、って言われたときなんて、カチンときてさ。好きでなったわけじゃないとか言い返したら、あっちも怒って口きいてくれなくなったり。なんなんだよコイツはとか思ったよ。それなのに、ボクの事情をきちんと理解してくれて、謝ってくれたんだ。ボクはあいつのことなんてなにも知らなかったのに。──あいつのほうがずっと辛かったはずなのに」


 彼女は、ただ魔神を封印しなおすために生きてきた。

 ただ血を繋ぎ、世界のために巫女という名の『生贄』になるために。

 我々を救ってくださいと、世界中の人々から『私たちのために死んでくれ』と望まれた、たった一人の少女。

 他の生き方を許されず、それが誇りだと教え込まれる。この世界にいる限り、誰一人として、自由に生きろと言われることすらない。


 ──そんなことが許されるのか?


 許せない。許せるわけがない。

 この世界の人々すべてが、彼女に死ぬことを望むなら──


 ──異世界から来たボクが彼女に生きることを望もう。


 彼女が世界中の人々のために、すべてを捨てるのなら──


 ──自分は、たった一人のために、すべてを捨てよう。


 ただ一人の少女を救えずして、なにが勇者だ。


 勇人は拳を握りしめた。


「やっぱりボクはあいつを助けたい。決めたんだ。あいつの勇者になるって。たとえその代償が──命だったとしても」


 九煉は数瞬だけ黙り込む。


「……クリス嬢に、惚れたのか?」


 勇人はその言葉に片眉を上げた。


「それは聞かぬが花というものだろう、悪友?」


 九煉はその言葉にわらった。人間の頃のようにふてぶてしく。


「協力しよう。それがここでの俺の役目だ」


 勇人はアイオロスのほうへ向く。


「本当に後悔しないのかい?」


「はい」


 彼は笑みを浮かべた。それは自虐の笑みだったのかもしれない。


「ありがとう。では、準備をはじめよう」


「──はい」

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