第32話
クリスはいつものように訓練場にいた。
それにすぐ気づいたのか、彼女は剣を指輪にもどし、汗をぬぐった。
「どうした。そんなに息をきらして、わたしになにか用か?」
「今日、聖剣が届けられた」
「ああ、聞いている」
「明日、魔神の再封印のために、決戦になるって……」
「ああ、それも知っている」
淡々と答えるクリスを前に、勇人は激昂したように声を荒げた。
「なんでっ、なんでそんなに平然としていられるんだよ! おまえは明日、死ぬんだろう……ッ!」
その言葉に、クリスは苦笑を浮かべた。
「……そうか、知ってしまったか」
「知ってしまったかじゃないだろう! なんでそんな平気な顔していられるんだよ!」
「それが貴族であり、果たすべき義務だからだ」
勇人には、その言葉はまったく理解できなかった。
「なんだよ、それ……。なんでそんなことで死ねるんだよッ。貴族の義務っていうのはそこまでして果たさなきゃいけないものなのかよ!」
それに、クリスは毅然として答えた。
「では、なぜ貴族は多大な権力があたえられている?」
その言葉は、どこまでも厳しいものだった。
「なぜ貴族は餓えない?」
それは、どこまでも、気高く──
「なんのために民に養ってもらえるのだ?」
そして、強い意志が宿っていた。
勇人はそれに息をのんだ。
自らの問いの答えを、彼女はつむぐ。
「こういうときのために、貴族がいるのだ」
自らの矜持を胸に。
「これが貴族の──私の、誇りなんだ」
その声は、その姿は静かに胸をうち、勇人は我知らず、泣きだしたくなった。
「なんで、だよ……っ!」
叫びだしてしまいたかった。
それだけで、勇人にはわかってしまったのだ。
彼女が、命を賭して魔神を封じると、すでに心に決めているのだと。
だとしても、納得など、できるはずがなかった。
「こんなの、間違ってるよ。なんで世界を救うために、おまえが犠牲にならなきゃならないんだよ。違うよ。こんなのは違う。なんの罪もない女の子の犠牲のうえに成り立つ平和なんて──そんなのおかしいだろっ!」
「わたし一人の命で世界中にいる人々が救われるんだ。ヴァランティー家は魔神を封印するために在り続けてきた血族。先祖たちは初代姫巫女の血の連なりを誇り、自らの魔法性質を磨きあげ、封印に特化してきた。──いつか再び魔神の復活せんとするのを阻止するために命を紡いできたんだ。おまえの言うことは、ヴァランティー家の生きかたを否定する言葉だ。それだけは、言ってはいけない」
「そんなのは生贄を、ただ格好よく言ってるだけじゃないか!」
それは、彼女を、そしてヴァランティー家を侮辱する言葉だった。それでもクリスは怒ることもなく、やさしく微笑んだ。
「わたしたち巫女は、民の、世界の犠牲になるわけじゃない。わたしたちは、自分の護りたいのもののために命をかけるんだよ。だからお父さまは、お前が護る世界を見てこいと、外に出してくれた」
クリスは胸に手をあてる。
「もし、外に出なければ、わたしは使命感のためだけに命を落としただろう。だが、いまは違う。民がどれだけ不安に思い、どれだけわたしに救いを求めているか知ることができた。わたしは──わたしの護りたいもののために、使命を果たすことができる」
「ボクは嫌だッ。そんなことは許せない!」
ここで駄々をこねたところで、どうにもならないことを理解しているのに、勇人はそうせずにはいられなかった。
クリスは聞き分けのない子供をみまもるような慈愛にあふれた眼で勇人を見た。
「わたしはおまえも護りたい。わたしが役目を果たし、魔神を封印しなおすことができれば、おまえは帰ることができるのだろう?」
「なん……で、だよ……っ」
勇人はいつの間にか泣いていた。あまりの無力さに、あまりの惨めさに、あふれる涙を止めることができなかった。
自分では彼女を救うことはできない。彼女の中でなにひとつ変えることもできやしない。
ただ駄々をこね、喚いて彼女を困らせるているだけだ。
「泣くな。男だろう」
クリスは、うなだれる勇人の顔を上げさせ、涙を乱暴にぬぐった。
彼女の瞳には、悲しみも辛さもなく、ただ穏やかさだけがあった。
「だが、うれしかったよ。誰もわたしに使命以外を望むものはいなかったから、それを許せないと真っ向から言ってくる者などいなかったから」
──だから、ありがとう。
それだけを言い残して、彼女は訓練場から出て行った。
勇人はもうなにも言えなかった。
ただ、彼女の後姿を眼で追うしかできなった。
ずっと知らなかった。彼女の過酷な運命を。
それなのに自分は、なんで勇者なんかやらなければならなんだと、いつも思っていた。勇者の誇りはないのかと言われれば、なりたくて勇者になったわけじゃない、と反発心しかわかなかった。
それなのに、彼女はもっと辛い使命をもっていた。
そして、その使命を誇り、自らの意志ですべてを護ろうとしていた。
自分があまりに小さく情けなかった。
こんな奴が勇者なのか?
たったひとりの少女も救えない奴が?
勇人は拳を握りしめた。
慟哭するように、心が荒れ狂っていた。
「──あああぁぁぁぁああああああぁぁああぁぁぁぁぁあっっ!」
感情のままに、勇人は吼えた。
すべてを、壊してやりたかった。
彼女に、ただ救いを求める人々も。
ひとりの少女の犠牲の上に成り立つ世界も。
利権に固執して一丸となることもできない国々も。
たったひとりの少女も救うことのできない──自分も。
なにもかもすべて、叩き壊してやりたくて、たまらなかった。
涙が後から後からあふれてくる。
それを拭うこともせず、ただ無力感に身を震わせて泣いた。
どれくらいの時間がすぎただろう。
いつのまにか、そばに黒ネコ──九煉の姿があった。
無神経に近寄りすぎることもなく、かといって遠すぎるでもなく。寄り添う影のように、ただそこにいた。
勇人の人生は、いつも彼と共にあった。
どんな苦境でも、こいつといれば越えていくことができた。
絶対に死ぬと思っていたヤクザの事務所への殴りこみも、むちゃくちゃな手段で生き残ることができた。
そう、勇人と九煉が手を組めば、できないことなど、なにもなかった。
そうだ、できるはずだ。どんなことでも、いまからでも──遅くはないはずだ。
だって、彼女はまだ、──生きているのだから。
勇人は拳を握りしめた。ある決意とともに、口をひらく。そこからでる言葉はすでに決まっていた。
「なあ悪友。クリスを──救う方法は、ないのか?」
少しだけ間があった。
なにを思うのか、ネコの横顔からは察することはできない。
それでも、彼はふてぶてしく、答えてみせた。
「あるぞ」
それに、ばっと喜色をうかべて、九煉のほうを見る。
ただし、と九煉は付け加えた。
「それ相応の代償をはらうことになるが」
その言葉の重々しさに、一瞬だけ戸惑うが、すぐに答えた。
「かまわない」
「その代償が──」
九煉は、覚悟を問うように言った。
「──おまえの命だったとしても?」
その言葉に、勇人は眼を閉じた。
不思議なほど、心は凪いでいた。
先ほど、クリスを失うと聞いたときよりも、ずっと静かで、落ち着いていた。
それが、答えだった。
「ああ」
勇人は今までずっと流されて生きていた。
料理が得意になったのは、両親が不在がちだったから。護身術を習ったのは、九煉といると身に迫る危険を振り払う必要があったから。高校も自分で選んだのでなく、九煉の面倒をみるためだ。すべてが受身だった。自分の意志で決めたことなどひとつもなかった。
それがはじめて自分から、自らの意思で行動しようとしていた。
──これは、ひとりの少年が、勇者となる物語。
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