第19話


「──とっとと出て行きやがれっ。このウスラトンカチ!」


 出迎えはその言葉と、バケツに汲まれた水だった。


 全身びしょぬれになった勇人はメガネをはずし軽く袖でぬぐいながら念仏のように唱えた。怒っちゃダメだ怒っちゃダメだここを我慢しなければ話が進まない、と自分に言い聞かせつつ再チャレンジ。


「あの、ですから、お父さんとの仲直りの橋渡しとして来たんですが──うわあっ」


 次に飛んできたのは包丁だった。


 勇人はイナバウアーばりに身体をそらして、なんとかその凶刃を躱した。


 家出娘──アヴェンダはこの街で刀剣鍛冶ではなく、包丁や鍋などをつくって生活をしていた。なぜか人斬り包丁としか思えない巨大な包丁も存在したが、それは牛や豚の解体用包丁なのだという。もちろん人間も解体可能らしいが。


「あんのクソ親父の使いだかなんだか知らねえがなァ!」


 また、見事な啖呵をきるアヴェンダは、短いが鮮やかな赤毛と、赤銅色の肌。なにより勝気な瞳が印象的な娘であった。

 あの髭モジャ親父とは似ても似つかない容姿である。きっと母親に似たのだろう。

 だが──


「あいつたぁ完全に縁を切ってんだ! 死のうが、腐ろうが、こっちの知ったことじゃないね!」


 性格はこれでもかというほど父親似だろう。

 なにせ彼女の手には鍛冶用の長柄金槌が握られている。

 一言でも不用意なことを言えば、鉄槌が頭を襲ってくるだろう。


 勇人はこの世の不公平を呪いながら、ここでも自分がなんとかするしかないのだな、と悟りにも近いかたちで理解していた。


 九煉は相変わらず役にたたず、クリスはあの言い合ったときからいやに冷たくなってしまい、まるでユーフェミアのようにこちらを無視する。言うに及ばず冷血侍女は馬車番である。


 勇人は覚悟を決めた。

 これも、もとの世界に帰るためだ。

 そして選んだ方法が、


 ──土下座だった。


「どうか話を聞いてくださいませんか」


 勇人は男としての矜持を捨てたのだ。


「……親友。俺は今のおまえの勇姿を決して忘れない。心の思い出ページにしっかりと念写しておこうと思う」


 あいつは後で絞めよう。うん絶対に。

 そう誓いながらも、勇人は頭をさげ続けた。


 そうして、苦労して苦労して、ようやく仕事場兼住宅に足を踏み入れることができた。


 どうやら彼女は、父親よりは、まだ話のできる人間らしい。

 そこでやっとこれまでの事情を話すことができた。


「あの親父かこの聖剣を見て、鍛えなおさなかったってのかっ?」


 鍛冶師だったら誰しもが夢見て、一度は手にしたい、自ら鍛えなおしてみたいと願わずにいられない、垂涎の宝剣なのに、と呟いている。

 実際に聖剣を前にした彼女の眼はキラキラと輝いて見える。とびきりの玩具を手にした子供のようだ。


「信じられねえ。伝説の鍛冶師の弟子、剣匠の鏡とまでいわしめたあのクソ親父が、母さんが出て行ったときだって鍛冶をしない日はなかったのに……」


「よほどあなたのことが心配だったのでしょう」


 ──ガツンっ!


「はっ、白々しいこと言うんじゃないよ!」


 勇人は殴られた頭をおさえながら、のたうちまわった。


 いくら気にいらないことを言われたからって、ハンマーで殴ることはないだろう。あまりの痛みに眼の奥から火花が見えたぞ。


「話の途中で寝るんじゃないよ! 常識ってもんがないのかいっ?」


 不条理というものを、この世界に来て何度感じたことだろう。

 勇人は涙眼で起きあがり、話の焦点をズバリと言及した。


「……で、どうしてお父さんとケンカをしたんですか?」


 ──ガゴンッ!


 首から上が吹き飛んだのでは、と錯覚するような衝撃が勇人の頭部を襲った。


「…………ッッッ!!」


 声もでないほどの激痛だ。

 いくらなんでも鍛冶用の金槌をフルスイングはないだろう。死んだろどうするのだ。


「どうしてだぁあ?」


 彼女は言葉よりも先に手がでるタイプらしい。二回目にしてやっと学習した。不用意な発言は控えるようにしよう。


「あのクソ親父はなァっ、今でも真顔で一緒に風呂に入ろうなんてぬかすんだぞ!」


 アヴェンダは怒り心頭というに顔を真っ赤にして怒鳴った。


「夜は一緒のベッドで寝ようとか抜かすし! 男の友達をつくった次の日にはそいつが大怪我をして病院送りにされてるし、アタシと付き合うと酷い目に遭うって噂が流れたりするし、相手は親父のことが怖くて被害届けも出せないし、アタシはこの年まで男と付き合ったこともないし! なにもかも全部あのクソ親父のせいだ!」


 あぁ……、と勇人は呻いた。親バカとは思っていたが、ここまで酷いとは。

 要するに彼女はそんな生活に嫌気がさして家出をしたのか。


 だが、アヴェンダをガルムのもとに帰して、一時的にでも仲直りして聖剣をなおしてもらわなければ困る。だいたい刀剣鍛冶というものは一人でできるものではなく、数人必要らしい。師匠と弟子が協力して行うものだと九煉が言っていた。本来は三人で行うらしいが、そこら辺は弟子が優秀なら、なんとでもなるのだろう。勇人としてはどうして九煉がこんな知識を持っているのかがたいへん気になるところだが、まあ今更なにを知っていようが驚きはしない。

 とにかく、喧嘩した親娘を仲直りさせる解決策はそこにあるのではないかと思うのだ。

 ということは解決法はひとつしかない。


 勇人は痛む頭をさすりながら身を起こし、いまだに怒りから冷めやらぬアヴェンダに向きなおった。


「アヴェンダさん。あなたも鍛冶師のひとりだ。聖剣は鍛えなおしたいと思っているのでしょう?」


 これは間違いないと思う。あの聖剣を見たときの眼の輝きが証拠だ。


「そ、そりゃあ、まあな」


 頬を上気させて頷くさまは意外と可愛らしかった。


「ですが、聖剣には特殊な金属──妖精鋼が使われていて、普通の鍛冶法では形を変えることすらできない。妖精鋼を鍛える秘伝の法は、亡くなった伝説の鍛冶師が保有していて、それを唯一継承しているのが、あなたの父である剣匠ガルムのみ。ここまで間違いはないですね?」


 聖剣に妖精鋼が使われていることや、特殊な鍛鉄法があるというのは、もちろん九煉からの知識だ。


「あ、ああ。アタシはまだ修行の途中だったから、その技法はまだ教わってねえよ」


「でしたらガルムさんと仲直りして聖剣を鍛えなおしてください」


「いや、でも──」


「大丈夫です。あなたの家出の原因はわかっています。それはボクが解決しましょう」


「ほ、本当かっ?」


「ええ、もちろん」


 勇人は昏い笑みを浮かべながら頷いた。


「仲直りは一時的、表面上だけで結構ですから。聖剣を鍛えなおし終えたなら、──ボクがガルムさんを闇に屠りましょう」


 長く虐げられた勇人の心は完全に暗黒面ダークサイドに堕ちていた。

 それを聞いたアヴェンダは──


 ──ドゴンっっ!


「ぐわああああああっ! あ、頭が陥没したように痛いぃいいいいいいいっ?」


「て、てめえは人の親父をどうしようってんだい!」


「だ、だって、親父の干渉があまりにウザイから家出したんでしょう。ボクも一端を垣間見たから理解できます。あれはすでに病気の域です。死ななければ治りません。ですからボクが始末しましょう。ええ、大丈夫です、誰にもばれないように完全犯罪を目指しますから!」


 ──ガッゴンっっっ!


「うぎゃああああああっ! ボクの頭はまだついてるっ? なくなってないっ?」


 まるでゴルフの打ちっ放しのようにフルスイングで倒れている自分の頭を殴られた。もちろん長柄の鉄槌で。死ななかったのが不思議だ。


「うちの親父を勝手に殺すな馬鹿! それに家を出たのも親父の干渉を嫌ったからじゃねえ!」


「で、でしたらなぜ家を出たのでせう?」


 勇人は超低姿勢で訊いた。


「クソ親父が外にオンナをつくったからだ!」


 勇人は眼が点になった。


 それから話を聞くとこによると、アヴェンダ嬢は過剰なほど過保護なところがあるが、それは不器用なガルムの愛だと思っていたという。だから風呂に入ろうと言われれば一緒に入ったし、背中を流してやったりもした。一緒に寝ようと言われれば、仕方がないなと思いながらも、一緒に寝たりもした。男友達をつくることすらできなかったが、それは自分のことを心配してくれているのだと嬉しくすら思っていた。

 先ほどの彼氏もできないという発言と矛盾してない? と思わなくはなかったが、勇人は賢く黙っていた。

 これ以上、頭を強打されたら命に関わる。


 だが、しがし。だがしかしだ。

 そんな彼女にも、我慢できないことがおきた。


 ガルムが女と付き合いだしたのだ。

 ちょくちょく出かけては、その女と会っているという。アヴェンダとしては出て行った母が戻るまでは、自分が父を護ろうと決意していた。

 だから、そんな女と付き合うとはやめろと、何度も言ったそうだ。

 だが、ガルムは外で女となど付き合ってはいない。そんな女は知らんの一点張り。


 とうとう腹に据えかねたアヴェンダは家を飛び出し、行動で別れろと訴えた。

 ようするに、女と娘どっちが大事なんだ? ということだろう。

 ここまで聞いたことで結論をだすと。


 ──アヴェンダは、末期のファザコンである、と。


 すでに完治は期待できないだろう。だっていい年した娘が親父に一緒に風呂に入ろうと言われたからって入るか? 一緒に寝るか? 異性の友達づきあいを禁止されて嬉しく思うか? 離婚した父に新しい女ができようとしたからって、家を出てまでそれに反対するか?


 完全に読み違えた。お父さん大嫌い娘だと思ったら、お父さん好き好き娘だったのだ。


 勇人はイタイ人を見る眼差しでアヴェンダを見つめた。


 なんかもう、世も末だな……って思った。


「……話はわかりました。ええ、それはもう完璧に」


「そ、そうか?」


「ええ、ボクがガルムさんを説得しましょう。ただし、それができたらちゃんと仲直りして聖剣を鍛えなおしてもらいます。いいですね?」


「もちろんだ!」


 アヴェンダはその言葉に顔を明るくした。よほど父親に女ができるのが嫌だったとみえる。


「それで、その女の方の素性は?」


「知らねえよ、あんな売女!」


「……知らないのに、どうして売女だとわかるんですか?」


「はン! うちの親父を誑かす女なんざ、売女に決まってんだろ!」


「……そうですか。では、外見的特徴だけでも教えてもらえますか?」


「長い金髪のを三つ編みにした細い──そう女狐みたいな奴だったよ」


「……わかりました」


 偏見がはいっていて、どこまで信用できる情報かわからないが、金髪の三つ編みで細い女の人らしい。


 これ以上訊いても有益な情報は得られないだろうと判断したので、勇人は席を立った。


「それでは本日はこれで失礼します」


 これからすぐにガルムのもとに戻って説得をしなければ。まあ原因がわかったのだから解決法はあるだろう。

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