第8話


 扉を叩く音。


「……はい」


 無視してやろうかと思ったが、そういうわけにもいかず身を起こし返事をした。


 音もなく扉がひらき姿を現したのは、冷たい雰囲気をまとった侍女だった。


 そのことに勇人は無言で顔を引き攣らせた。視線を外しながらズレてもいないメガネの位置を指でなおす。


 彼女の名は、ユーフェミア・アイスキュロスという。

 女性としては高い身長とメリハリのきいたボディを誇る二十歳前後のクールビューティーである。ブリザードを幻想できそうなほど冷たい切れ長眼と氷色の瞳がチャームポイントだ。

 服装は紺色を基調とし、白いフリルをところどころに散りばめた、ザ・メイド服。綺麗に結いあげた頭には純白のカチューシャ。これに萌えなければ男ではないと断言できそうな女性である──のだが。


 勇人は彼女が苦手であった。

 それは第一印象で、これでもかというぐらいの精神的外傷トラウマこさえてくれたからだろう。


 ユーフェミア・アイスキュロス。彼女の役職は──第一侍女強襲部隊隊長という。


 なんだよその名称は、などと突っこんではいけない。

 その意味を勇人は身をもって、思い知らされたのだから。


 魔神復活の儀式場から、ホワイトホールにて吐き出されて、たどり着いたのがこの街の領主館──西洋風の城──だった。それは好都合だったのだが、よりにもよって『封印の巫女』であるクリスティアーネを助けに行こうとする兵団の眼の前に放りだされたのだ。


 士気は十二分。愛しの主をたとえ命と引き換えにしてでも助け出そうと、殺気だった雰囲気が場を支配しているところに、──その本人が現れたのだ。


 それも、彼女は傷だらけで血塗れ。身につけた極薄の白衣は無残に引き裂かれて、まさに暴漢に襲われて命からがら逃げ出してきたかのように。


 さらに付け足すなら、ホワイトホールから放りだされた勇人は、そんな少女に覆いかぶさるようになっていた。


 いくらなんでもこれは拙かった。

 魔物の軍勢に囲まれていたところから、強制的にワープさせられて、気がつけば騎士団に包囲されている。なぜそうなったのか、状況を理解する時間すらあたえてもらえなかった。


 一瞬にして、軍隊先頭にいた第一侍女強襲部隊に囲まれ、全身くまなく剣を突きつけられたのだ。

 首筋はもちろんのこと、指先から手首からわきの下。足首から股のあいだにいたるまで、それこそ何十本もの切っ先や剣身が勇人を囲んでくれた。

 そして、ユーフェミア・アイスキュロスの剣先は眼前に突きつけられていた。


 それは冗談ではなく、眼前も眼前──眼球のギリギリ一ミリ手前に鋭い凶器がそえられたのだ。瞬きすることすら許されなかった。


 視覚は鋭い銀色の切っ先しか見えず、身体は刃の冷たい感触しか伝えてこなかった。針のむしろとはこのことだった。


 声をだすこともできない。咽が震えた瞬間、その刃が、皮膚を裂き、骨を断ち、首を落とすと、殺気をもって無理やり理解させられた。全身から脂汗が流れ、咽が干上がり、舌が上顎にはりついた。あまりの恐怖に背筋が凍りついていた。にもかかわらず震えることもできなかった。指一本でも動けばそれだけで人生が、ジ・エンド。いやどのみちこの展開にはいった時点で、デッドエンド・ルート一直線だろう。


 そんな絶体絶命のときに、この黒ネコお助けマスコットは──魔法の使いすぎで精神力がきれたと後に弁明していたが──勇人の肩のうえでのんきに気を失っていた。


 なぜこうなったのか事情はさっぱり理解不能だが、自分はここで死ぬのだと確信した。

 勇人は思わず時世の句を詠んだ。


 ──儚むも、ここで潰える、我が生は、このキチ○イの、尻拭いだけ──


 注・訳──ただ普通に平穏に生きるのが夢だったに、ボクはここで死んでしまうのですね。いま振り返ってみれば、幼馴染であるキ○ガイに振りまわされ、尻拭いに費やされた人生でした。人の夢と書いて儚いなんて、昔の人は深いことを言ったものですね。


 そうして勇人は死を覚悟した──

 ──が、殺されることはなかった。

 当たり前だ。殺されていたらこうやって回想することもできないのだから。


 死ななかった理由はいたって単純だった。

 第一侍女強襲部隊隊長ユーフェミア・アイスキュロスが、勇人の持つ『聖剣グラムスティガー』に気づいてくれたのだ。


 それでも勇人は無罪放免となることはなく簀巻き状態で暗い牢屋に突っ込まれ、事情を知っているはずのクリスが眼を覚ますまで、臭く湿っていて、なおかつ寒く冷たい牢獄で一晩をあかすことになった。


 さらに不運だったのは、領主が王都に行っていて留守だったことと、眼覚めたクリスも勇人が助けにはいったときには気を失っていたので、その場にいたとしか証言してくれなかったことだろう。


 結局、九煉が眼を覚まし、領主が帰還するまで、牢屋で臭い飯を食わされたのだ。


 勇人は戦慄とともに、それを思い出しながら後退った。


「ユウトさま」


 北海の風のように冷たい声が、彼の名を呼んだ。


「な、なんでしょう?」


 すでに勇人は泣きそうになっていた。決して眼を合わせようとはせずに、腰もひけている。なんとも情けない格好である。


「ご主人さまがお呼びです。談話室へおこししください」


「は、はい。わ、わかりました。すぐに、準備し、しますので……」


「では、お待ちしております」


 ユーフェミアは優雅に一礼すると、静かに扉をしめた。


 やっと彼女の姿が見えなくなった。安堵のあまり、勇人は腰がぬけたように床に座りこんだ。毛並みの長い絨毯に尻が埋もれる。


 その勇人の姿に九煉は、にゃあと鳴いて後ろ足で首をかく。


「……親友。それはあまりに情けないのではないかと、俺は思うのだか」


「う、うるさい……ッ! おまえにあの恐怖がわかってたまるか!」


 勇人はそのときのことを振り返りながら、全身を振るわせる。


「全身くまなく剣を突きつけられて、あの極寒の瞳に睨まれてみろ! それにくらべれば魔物の軍勢に囲まれるのすら飛行機のファーストクラスだと思えるぞ!」


 そう叫んだ瞬間──再びノックの音が響き渡る。

 こちらが許可を出す前に扉があいた。


「失念おりましたが、先日は誠に失礼いたしました」


 冷たい声でそう言ってきたのは、もちろんユーフェミアだった。慇懃に頭をさげている。それでも腰を抜かしている勇人より頭の位置が高いのだが。


「今後は二度とこのようなミスがないよう細心の注意を払う所存でございますので、何卒ご容赦くださいますようお願いいたします」


 ちらりと氷色の瞳がこちらを見据えている。そのことに理不尽な悪寒に駆られた。謝れているのに、全然そう感じない。むしろ脅されている気さえしてきた。なんだろうこの威圧感は、まるで心臓をその手に握られているようだ。


 勇人は額に汗を浮かべながら、かろうじて答えた。


「い、いえ……。ま、まっく気にして、ませんから……」


「さようでございますか。では失礼します」


 彼女は即座に頭をあげると、身をひるがえして扉をしめた。


 勇人は無言でその扉を見つめていた。もう恐怖の使者は戻ってこないだろうかと震えながら。


 それを眺めながら九煉が、にぃあ、と嘆くように鳴いた。

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