第17話
誰も動かない。
いや、ただひとり、事をなした張本人だけが何事もなかったかのように、悠々と動いている。
「お嬢さま。ご無事でしょうか?」
「あ、ああ。……わたしは、な」
クリスは少し怯えたようにユーフェミア見て、続いてピクリとも動かないガルムを眼をやる。
自分だって殺す勢いでガルムに斬りかっていたくせに、彼女のあまりに悪辣な所業に、軽く引き、また激しく自省の念にかられているようだった。
人のふり見て我がふり直せである。反面教師とも言う。
ユーフェミアは、それは重畳というように腰を折り続いて、遅れて申し訳ありませんと頭をさげた。
それから、いまだに倒れ伏している勇人を見おろして、
「ユウトさま──もとい、お嬢さまひとり護れない役立たずな勇者さま。地面に寝るのが趣味なのですか? それとも、ローアングルから女性のスカートの中を覗き見るのがお好きなのですか?」
──ものすごい勢いで罵倒してきた。
ひどい、わざわざ言い直すところがとくに。
勇人はさめざめと泣きながら身を起こした。まだ節々が痛むが、スカートの中を覗き見ているという疑いをかけられてまで寝ていることはできない。
「さて、それでこの暴漢はいったい何者ですか?」
まるで汚物でも見るような冷ややかな眼で倒れたガルムを見据える。
「あの、……伝説の鍛冶師の弟子である刀匠ガルムさんです」
しばしの静寂。
「……これが?」
「はい、これが『聖剣グラムスティガー』を鍛えなおせる唯一の人らしいです」
「…………」
みんながみんな声もなく、倒れたガルムを見た。
もう死んでいるんじゃないかと誰しもが思った。あれだけの勢いで人が頭から落ちて、あんな壮絶な音が人体から発せられて、それで生きていられるわけがない。いや生きていたとしても明らかに致命傷を負っている。
というか、聖剣どうしよう。このままじゃなおせないし、そうしたら魔王と戦うこともできない。魔神復活も阻止できなくて、バッドエンドルートへ一直線だ。
「ふむ」
そんな痛い沈黙のなか、ユーフェミアはひとり頷くと、ガルムのもとに歩み寄った。
そして、おもむろに頭を起こし、だらりと垂れ下がる首を支えると、
──ゴリゴリゴキッゴキャン!
身の毛のよだつ音とともに首をもとに戻した。
続けて、頭を両側から鷲づかみにし、
──メリメリメリメギャっ。
歪んでいた頭の形をもとに戻した。
その瞬間、ビクンっ、ビックンっと電流を流された死体のように、彼の身体が跳ねた。
そうしてユーフェミアは一言つぶやいた。
「これでよし」
「うわぁ……」
それに勇人は素で引いた。引きまくった。
隣を見ると、クリスまで青い顔をして、ユーフェミアを見ていた。
やはりというか、この世界の住人であるクリスにも彼女の行為はそうとう異常に見えるようだ。
存在を忘れかけていた九煉など全身の毛を逆立て、しっぽを丸めて股のあいだに挟んでいる。
「……親友。俺はおまえに謝ろうと思う。彼女に対する態度があまりに情けないと思ったが、これは仕方がない。誰だって彼女には根源的な恐怖を感じるだろう」
「いや、いいんだよ悪友。それをわかってくれただけで十分だ」
勇人と九煉は一瞬にして友情の絆を確かめあった。
そんな綺麗なシーンにぶち壊すように、無粋な輩が一人。
「ネコにわけのわからんことを話しかけて現実から逃避をするんじゃない!」
クリスだ。彼女に袖を引かれ、恐怖の只中に戻ってきた。
「こんな現実にひとり残されても困るのだ。わ、わたしだって、怖いのだぞ……っ」
「いやだって、あれ……おまえのメイドだろう?」
「確かにそうだが……、雇ったのは、お父さまだぞ!」
「いや、確かにあの人だったら、有能ならその人の過去とか一切とわなそうだけど……」
「ああ、過去に死体解体に携わっていたといわれても、一発で納得できそうではあるが……」
そんなドン引きの空気のなか、ユーフェミアは、何事もなかったかのように、ガルムを蘇生にかかった。
心臓を足でグリグリと踏みつけて──たぶん心臓マッサージ──、息を吹き返したことを確認し。相手を起こして背中にまわり、両肩に手をおき、
「──ふっ!」
と活をいれ、ガルムの意識を揺さぶった。
その振動にガルムは低く呻いた。信じられないことだが、あんな乱暴な蘇生法でも人は蘇るらしい。
「ガルムさま。お起きください」
その一言に、ガルムがぱっちりと眼を開けて、
「ごめぇん母ちゃんっ! もうしねえから許してくれぇ!」
いきなり悲鳴をあげた。
「私はあなたのお母さまではありません」
ユーフェミア淡々と言い放ち、頬に強烈な平手をいれた。
それでようやく完全に眼が覚めたのか、ガルムは焦点をあわせて周囲を見渡した。
「…………あれ、さっきまで死んだ母ちゃんに、『あんたは嫁に逃げられて、娘にまで愛想をつかされるなんて、情けない!』って説教されてたんだが……夢だったのか?」
うわあ、リアル臨死体験だ。
「ええ、夢です」
キッパリと言い切ったユーフェミアはとても悪女だと思う。
とりあえず勇人は意を決して動き出した。
「……大丈夫ですか、えっと首とか頭とか」
なぜそんなことを問うたかといえば、ガルムの首は微妙に曲がっていて、右の瞳だけ引き攣るように斜め上をむいているのだ。額にも異様な血管がういている。
「あ……? そういえばそこはかとなく頭と首の調子がおかしいような……、寝違えたか?」
いやそんな平和な理由ではないんだけど、怖くて本当の理由など勇人に言えるわけがない。
彼が訝しそうに首に手をやりながらまわすと、ゴキッゴキャと嫌な音がする。
そのことに勇人は寒気をおぼえたのだが、ガルムはいったって平気そうに訊いてきた。
「そういえば、おめえたちは誰だい?」
また最初からですか、と思いながらも、彼が正気にもどり、なおかつ無事に生きていて話が通じることに安堵し、勇人は話し始めた。
「ボクは神城勇人と言います。伝説の鍛冶師の弟子であるあなたにこれを鍛えなおしていただきたくて参りました」
勇人は先ほど渡しそびれていた『聖剣グラムスティガー』をさしだした。
ガルムは、意匠を見ただけでこれが聖剣であると一目で看過したようだ。
カッと眼が見開き、これは! と声をあげた。
「……し、信じられん。聖神の守護獣である『麒麟』の紋章──伝説の『聖剣グラムスティガー』か……」
その声は震えているようだった。
勇人はただ頷くことでそれが正解であることを示した。
ガルムは恐る恐る聖剣を受けとり、厳かに鞘から抜いた。
その途中で折れ、錆びついた剣身を眺め、顔をしかめた。
「ああ、なんてこったい……。伝説の剣がこんなになっちまうなんて、聖剣が泣いてらぁ」
そう言う彼自身が泣きそうであった。
「伝説の鍛冶師の弟子であるあなたにしか、これをなおすことはできないと伺いました。どうにか鍛えなおしていただけないでしょうか?」
「聖剣を鍛えるのはすべての剣匠の夢。──そういやぁ師匠がこれを鍛えなおすのが夢だってよく言ってやがったなぁ……」
「では──」
喜びに顔をあげる。
「だが、断る!」
「…………は?」
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