第16話


 これはかなり厄介だ。

 酔っ払いに道理は通じないし、話も通じない。もしかしたら一回出直したほうがいいかもしれない。


 そう考えたところで首を振る。

 いやいやいや、時間はあまりないのだ。こんなところでグズグズしていたら『魔神復活』に間にあわなくなる。すでに封印に綻びが見えはじめているというのに。


 封印が完全に解けてしまえば、必然的にゲームオーバーで、もとの世界に帰れなくなるし、それは困る。かなり困る。


 なにかあるはずだ。水をぶっかけて酔いを醒ますとか──いや、下手したら殺されるな。違う方法は──


 そうか。ヒントは最初から九煉の言葉の中にあったではないか。それとガルムの台詞から推測すればおのずと解決法につながるはずだ。


 勇人はおもむろにメガネの位置をなおすと、ガルムに問いかけた。


「あの……ガルムさんの娘さんって──」


 ──殺気。


 本能からの訴えにしたがって、勇人の身体が無意識のうちに横に跳んだ。

 そのすぐ横を、銀色の物体が信じられないほどの勢いで通過した。


 そして、轟音。


「……え?」


 勇人が恐る恐る斜め下──自分が少し前まで立っていた場所を見ると、一抱えほどもある長柄の鉄槌が地面にめり込んでいた。床石がものの見事に陥没していた。


 大金槌の長い柄を伝っていくと岩石のような拳があり、それには丸太のような腕に繋がり、がっしりとした肩のうえに、髭モジャ親父の顔がのっていた。


 先ほどまで濁っていた眼には、鬼火のような光が宿っており、修羅のような形相でこちらを睨んでいた。


「そうか……、貴様か……。貴様が、俺の愛しい娘をかどわかしたのかぁああああ……ッ」


「へぇっ? いや、ちがいますよ! そんな──」


「死にくされこのド外道がぁああああああああああああッッ!」


「うわあああああああああっ!」


 掠っただけで頭部が粉微塵になりそうな一撃を、ギリギリで後ろに倒れこむようにして躱した。


 マジで殺す気だ。さっきもそうだが、今も避けなかったら、勇人の頭はスイカ割りの果実のごとく粉砕にされていただろう。


「ちょっ、ちょっと待──っ!」


「ぬおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 聞く耳などもっていなかった。

 髭モジャ親父はすでにバーサクモードにはいっていた。


 鉄槌が振りあげられる。

 勇人はなかば尻餅をついたような状態で即座に動くことができなかった。


 ──こりゃ死んだな。


 本気でそう思った。ぎゅうっ、と眼を閉じて反射的にもっていた聖剣を盾にする。


 だが、死の鉄槌が振り下ろされることはなかった。

 恐る恐る眼を開けると、ガルムは眼を大きく見開いて、固まっていた。その手から力が抜け、大金槌がこぼれおちる。


 勇人はその視線を追って、背後に振り返った。

 そこには、戸惑った様子のクリスが立っていた。

 彼女が一体どうしたのだろう。まさか貴族様だから攻撃を取りやめたというわけではあるまい。


「……しの……めよ……」


「は?」


 ガルムのつぶやきに尋常ではない熱がこもっていた。


「……愛しの娘よおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ」


 いきなり叫びだすと、ガルムは猪のようにクリスにむかって突進した。


 ──途中にいた勇人を跳ね飛ばして。


「ぐふうっ!」


 まるで暴れ馬に轢かれたかのようだった。その衝撃に勇人の身体は宙を舞い、錐揉みして地面に叩きつけられた。


 その視界にはかろうじて、クリスへむかって直走るガルムの後姿が映っていた。まるで怪鳥のように腕を広げている。愛しき者を抱きしめようとするように。


 もしかして、娘恋しさのあまり、クリスを自分の娘と誤認したのか? いやそんなバカな。


「ひぃっ──ぅうあああああああああああああっ!」


 突如として襲いくる髭モジャ親父に、クリスは女としての貞操に危機を感じたのか、それとも生理的に受けつけなかったのか、意外なことに悲鳴をあげた。


 非常に彼女らしくない行為だったが、まあ、無理もない。相手の親父は、どこかイッちゃったような眼をしているし、顔は髭モジャだし、腕や、胸までビシーとムダ毛が生えているし、なぜか分厚い唇を突き出しているし。


 だが、クリスが年頃の娘らしかったのは悲鳴をあげたところまでだった。その後にとった彼女の行動は、なんというか、──とても彼女らしかった。


 手にしていた三日月の剣で相手に斬りつけたのだ。

 きっと、彼が聖剣を鍛えなおせる唯一の人物だとか、そんなことはすでに頭にはないのだろう。

 十分、いや、十二分に人を殺せる速度と勢いだった。

 だが──


「愛しの娘よおおおおおおおおおおおおっ!」


 当たらない。


 鋭い斬撃を体格に似合わない軽快なフットワークでガルムは躱し、クリスを抱きしめようと腕を伸ばす。


「わぁあ──っ! 来るな! 来るなぁっ!」


 クリスは錯乱したように、やたらめったらに剣を振り回し、これを迎撃しようとするが、相手はまるで気にも留めようとしない。

 残像をともなうかのようなガルムの動きに、クリスの攻撃はすべて空を斬るだけだった。


 このままでは、クリスは髭モジャ親父の汗臭い胸に抱かれて、あのジョリジョリした髭でほお擦りまでされてしまうかもしれない。

 だが、勇人の身体は動かない。

 動けたとしても、助けようとも思えないが。


 だって、日頃から、あんまりな待遇で扱われたんだもの。いい気味だから、そのままキモ親父の胸板で存分にモジャモジャされてしまうがいいわ。

 勇人が卑屈にそう考え、クリスが髭モジャ親父の抱擁圏内にはいったとき──


「──お嬢さまに対して、不敬です」


 氷河のような凍えた声がガルムの行く手を遮った。

 玲瓏すぎる侍女、ユーフェミアそのひとだ。いつの間にかその姿を現していたのだ。 


 クリスに対して伸ばされた腕をつかむと、ユーフェミアは流れるような動きで、手首を捻り、足を払った。


 それだけであの巨体が宙をまった。それだけじゃない。彼女は空中で頭をキャッチし、後頭部から床に叩きつけたのだ。


 洒落にならない音がした。


 まるで頭が潰れて、おまけに首の骨まで折れました──みたいな。


 沈黙が場を支配した。

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