第2話 遺伝子発現

 みしみしと鳴る木材質の段ばしごをのぼり、裸電球で灯された薄暗い屋根裏を見渡す。

 奥行の長い床には、両脇に骨董品が丁寧に整理されて置かれている。古物商を営んでいた亡父が、大切にしていた品だ。

 一年以上前に事故死した父の遺品を整理しようと、ここへ来たのだが、やはり久しぶりに見た父の宝物を前に、堰を切ったように目から涙が溢れ出した。このような事態を恐れ、一年間もほったらかしにしてきたというのに、それなのに二人三脚で歩んできた父との思い出がまざまざと蘇り、心が崩壊してしまうほどの切なさと愛しさに堪えきれなくなった。目を逸らし、立ち去ろうとしたとき、なぜか一番奥の壁が目に留まった。どうしてだかわからないが、直感的に引きつけられたのだ。そこには、壁と同じ茶色の布が、壁ごと覆うかのようにかかっていた。歩み寄ってその布を掴むと、一気に腕を振って剥ぎ取った。埃でむせったと同時に、かび臭さが漂い、二曲屏風が現れた。だが、その本紙には何も描かれていない。呆然としながらも、本紙にある幾つもの皺が目に入った。

 「変わった紙質だわ」

 ぽつりと呟く。

 「これはかなり古い屏風よ。だとしたら、からくり屏風かもしれない」

 古物商の娘としての勘が働いた矢先、ぎくりとなった。何も描かれていなかった本紙の中央に、黒色の小さな一点が現れたからだ。その点が、広がる波紋のように、中央から四方へ増えていく。

 「何かを描いている」

 そう思って見つめていると、耳の短い小動物の水墨画が現れた。

 「アマミノクロウサギに似ている」

 呟いたと同時に、アマミノクロウサギ似のウサギが、二曲屏風の端から端へ、本紙全体をぴょんぴょんと駆け回り始めた。

 「白黒テレビの映像みたい」

 愛くるしく動き回るウサギに目を細くしていて、ふと直感する。

 「四次元時空がくる」

 その通りに、飛び跳ねたウサギが、そのまま本紙から飛び出してきた。くるりと宙で一回転し、床に着地すると、ぴょんぴょん飛び跳ね、二曲屏風の裏へ回り込んだ。

 後を追って覗き込むと、二曲屏風と壁の隙間に、風呂敷包みを見つけた。手を伸ばし、その包みを引っ張り出す。床の上で慎重に結び目をほどくと、幅三十センチ程の巻かれた掛軸と、長さ六センチ程の透明な三角柱のプリズムと、幅二十センチ程の巻物があった。どれも新しいものでなく、一般的な素材でもないと直感する。

 そっとプリズムを手に取ると、鑑定するかのように矯めつ眇めつし、裸電球にかざした。すると、ウサギが出てきた二曲屏風の本紙に向かって、プリズムからスペクトルが放たれた。

 スペクトルが当たる本紙部分に、光の三原色である赤色と青色と緑色の円が、スペクトルと重なるように現れ、その後、それらの円が消えると、スペクトルの光が一つずつ消えていき、最後に一つの光だけになった。

 「紫色光が残った」

 どういうことだろうと、不思議そうに呟いた直後、本紙全体が紫色に輝いた。びっくりして仰け反る。

 しばらくすると、紫色の輝きは消え、そこに文字が現れた。

 「プリズムをかざせ。プリズムが放つ光の方角に進め。赤色光から緑色光から青色光へ、扉が近づくにつれ、プリズムの発色は変わっていく。扉が間近に迫ると、プリズムは七色に輝く。かざすと、スペクトルが扉を示す。呼応した扉は、スペクトルと重なるように、光の三原色である赤色と青色と緑色の円を現す。そして、スペクトルは鍵となる一つの光を残し、扉は開く」

 この文字がプリズムの説明書であると理解したが、困惑したように視線を落とす。

 「扉? 何の扉だろう? 扉の中に何があるのだろう? そもそも、扉を示すとはどういう意味なのだろう?」

 腑に落ちない表情で、広げたままの風呂敷包みにプリズムを置き、その横にある掛軸を手に取った。かんぴょうのような巻緒をほどいて広げてみる。またかというように、少々呆れ顔になった。この本紙にも皺があり、何も描かれていなかったのだ。

 だが、今度は気づいた。

 「この皺のある本紙は、紙ではない。皮膚細胞に似ているがちょっと違うような、でもそんな何かの細胞だ」

 奇妙に感じながらも、掛軸を巻いて巻緒を締め、広げたままの風呂敷包みに置き、その横にある巻物を手に取った。かんぴょうのような紐をほどき、片方の手を外側に引っ張って大きく広げた。その本紙も二曲屏風や掛軸の本紙と同じだったが、文字が書かれていた。

 「温羅者はバイオテクノロジーに長け、特殊な才能を持つ、謎解きの衆だ。古から世界各国の富豪や要人などからの依頼で動く温羅者の評価と信頼は高いが、世人には知られることなく、噂という灰色の存在であり続けている。温羅者は特定な場所で特定可能な組織として存在しているわけではなく、世界各国に散らばったそれぞれの役を遺伝子発現した集まりである。温羅者は自分の役以外のことには干渉しないし、顔さえ見たこともない温羅者の存在は当たり前である。烏合の衆のような温羅者だが、遺伝子によって緻密に繋がり合う温羅者は、一糸乱れず完璧だ」

 読みあげた直後、悪寒に襲われた。だが、そんなことなど気にする余裕はなかった。それほどまでに、続けて書かれてある内容に、食入って読んだ。最後まで読んで、ようやく頭痛と節々の痛みを感じた。

 「感染の症状だわ」

 市販薬を取りに行こうと腰をあげたとき、眩暈に襲われ、そのまま崩れ落ちるようにして床に倒れ、深い眠りについてしまった。

 温羅者とヒト、温羅者同士から生まれた子供のゲノムには、温羅者の遺伝子はあるが、その遺伝子は発現することなく眠りについている。その遺伝子を目覚まさせるのは、巻物に組み込まれた、各役温羅者のシグナル分子だ。巻物を広げると、決定された役温羅者のシグナル分子が発散され、それによって、その役温羅者の遺伝子が目覚める。遺伝子発現だ。

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