第30話 生き物と化したモノ
下船し、乗ってきた小型漁船の戻っていく音が聞こえなくなると、とても静かになった。モノが襲ってくる様子はない。
建ち並ぶ民家に向かいながら、思いついた幸は、胸ポケットからバイテクプリズムを取り出しかざしてみた。
「行き先を示した」
思いがけない展開に、幸は目を丸くした。
「これがバイテクプリズムの導きってやつか」
陽光を捉えて赤色に輝くバイテクプリズムを、初めて目にした弘は興味津々だ。
「これが扉へ案内してくれるのか」
弘は胸を躍らせる目付きで、バイテクプリズムから伸びて地面に落ちる赤色光を見遣った。
「行くよ」
呼び掛けた幸は、赤色に輝くバイテクプリズムを胸ポケットに仕舞い、歩き出した。バイテクプリズムから伸びる一筋の赤色光は、胸ポケットの繊維をかいくぐって、懐中電灯のように前方を照らしていく。
兎兎が幸の横を掠め、赤色光に並んで先頭に立った。弘は幸の後を追っていく。そんな彼らは足早に向かいながらも、辺りには細心の注意を払っている。
民家の路地に入った時、兎兎が後足で地面を連打し、警戒音を鳴らした。同時に鼻も鳴らした。解明助手役温羅者の弘には聞き取れない音だが、警戒音で弘は身構えた。
民家の開いた窓から、テディベアが飛び出してきて、幸の頬を殴った。と思ったが、その短い手は空を切った。兎兎が鼻を鳴らした音で、知っていた幸がひょいと仰け反ったからだ。
飛び跳ねた兎兎が、テディベアの横腹を後蹴りした。テディベアは地面に落ち、兎兎は着地するとテディベアを監視するような目付きで見た。テディベアはよろけながらも二本足で立つと、兎兎を睨みつけ、威嚇するように尖った牙を剥き出した。
「牙があるぞ」
弘はぬいぐるみなのに本物の牙が生えていることに驚愕しながら、バイテク蔓草に指示を出し刀に分化させた。既に幸は指示を出していて、左太ももに巻いているバイテク蔓草からは、二本のナイフがぶら下がっていた。
兎兎が鼻を鳴らしながら幸をちらりと振り返った。そこを突いて、テディベアが兎兎を襲った。そのことを予測していた兎兎は、俊敏に身を捻りながらかわした。
「弘。行くよ」
呼び掛けた幸は、聞き取っていた兎兎の鼻を鳴らした音を口にした。
「あの凶暴なテディベアは、兎兎がやっつけるって」
「そうか」
頼もしそうに微笑んだ弘は、今度は自らがその役を得ると、勇んで幸を追い越し先頭に立った。
「駆けるぞ」
弘は刀を右手に持ったまま、民家と民家の間の道を走り出した。幸は後を追っていく。
前方の道が二股になっているのに気づき、弘は足を止めた。振り返ってバイテクプリズムの導きを聞こうとして、何かに尻を蹴られた。瞬時に向き直ると、腹部を蹴られ、呻きをあげた。
「ハイヒールは凶器だということが、これでよくわかったぜ」
悶える弘は、片手で腹部を庇い刀で斬ろうとするが、高速でぴょんぴょん飛び跳ねて、体の至る所を蹴り続けてくる一足のハイヒールに手を焼いた。
「わがままで気の強い彼女だったが、蹴られたことは一度もないぞ」
力むように叫んだ弘は、上空から襲ってきたフェイスタオルを、刀を放して掴み取った。くねくねして暴れるフェイスタオルを抱え込んで押さえ込む。
「叩かれたこともないぞ。だが、その彼女にはふられた」
弘はハイヒールに蹴られる痛みに耐えながら、一気にフェイスタオルで片方のハイヒールを覆ってがんじがらめにした。それでも蹴り続けようとするが、その動きはかなり鈍った。と突如、上空から襲ってきたシャツが、弘の顔を覆いそうになった。すんでの所でそれを捕獲した弘は、もう片方のハイヒールをそれで覆ってがんじがらめにした。
「これで終わりだ」
喜悦交じりの声をあげた弘は、俊敏に刀を手に取ると、それぞれがんじがらめにしたハイヒールを真っ二つにした。斬られた一足のハイヒールとフェイスタオルとシャツは、地面で全く動かなくなった。
ガッツポーズを決めた弘だが、殺気を感じて見上げた。
洗濯物から洗濯バサミまで、二階の軒先に干されていた全てのモノが、上空から雨のように襲ってきた。
幸も弘と同様に、奇襲を受けていた。顔面目掛け傘が飛んできたが、仰け反ってかわすと、そのまま傘は向かいの家の外壁に突き刺さった。安堵する間もなく、ハンガーがくるくると回転しながら襲いかかってきた。
幸はバイテク蔓草からナイフをもぎ取ると、ナイフを握る手だけを伸ばしハンガーに当てた。家の外壁に打ちつけようとしたのだ。だが、上手い具合といっていいのか悪いのか、ハンガーのフックにナイフがはまり、そこでそのままハンガーは狂ったように高速回転した。
戸惑っていると、高速回転によってハンガーのフックは自然とナイフから抜け、そのまま高速回転で家の屋根を越えて飛んでいった。意外な展開にほっとしたのも束の間、座布団がくるくると回転しながら襲ってきた。
すっと屈んだ幸は座布団を捉え、ナイフを座布団の中央に突き立てた。回転が鈍ったところで、座布団を地面に叩きつける。座布団が動かなくなったのを見届けた視界に、ゴミ箱が飛び跳ねながら近寄ってくるのが入った。
すぐさま幸は、ナイフを投げ、ゴミ箱を仕留めた。と同時に、もう一本のナイフをもぎ取りながら、バイテク蔓草に二本のナイフの分化を指示した。視線をあげると、兎兎が近寄っくる。そんな後からハサミが、刃を開けたり閉めたりしながら向かってくるのが見えた。その後にはアイロンが続き、その後には炊飯ジャーが続き、その後には……
陸続とモノが出ている場所は、一軒の家の開いた玄関だった。
ぞっとして立ち尽くす幸に向かって、駆け寄ってくる兎兎が鼻を鳴らした。
「玄関の扉も生き物になっているのね。わかった。全民家の玄関の扉が開く前に……」
急いで幸は、弘の元に駆けた。
「これが最後の洗濯物だ」
叫んだ弘は、巨大なモモンガのように上空から襲ってきたバスタオルを、一刀両断した。
「急ぐよ」
幸は肩で息をする弘の横を通り過ぎながら促し、胸ポケットのバイテクプリズムから伸びる赤色光が照らした二股の左側へ駆けた。兎兎が続く。
がたんという物音で、弘は二階を見上げ、目を見張った。
「物干し竿まで……」
ぞっとした弘は、刀を右手に持つと、急いで兎兎の後を追った。その直後、さっきまで弘がいた地面に、物干し竿が突き立った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます