第9話 観察
滑走路脇から誘導路脇の草まで、全ての植物は枯れていた。
空港敷地内から出ると、空港を望める車道を一周するように走っていく。常緑植物さえも全て枯れているため、見渡す限り、緑色の植物はない。
「幸」
呼び声に、幸はちらりと左太ももを見遣った。弘からの通話だ。巻いているバイテク蔓草から伸びた蔓が、ヘルメットの隙間から入り、蔓先が二股になって左耳と口元で小さな葉をつけている。
「情報役温羅者から、パイロット二人のカルテと治療データ、解剖データ、ウイルスや菌などの検出結果が届いた」
一旦言葉を切った弘は、簡潔にまとめながら報告していく。
「パイロット二人のうち一人は、貨物機に搭乗後四十分で、風邪のような症状が出て、それから見る間に体調が悪化し、出血、意識障害が起きている。残りの一人も、到着の二十分前から風邪の症状が出ている。病院に搬送されたが、二人とも治療効果はあがらず、俄かに悪化して死亡。二人とも発症してから九十分以内で死亡している。そして、彼らには感染の痕跡があった。だが、抗原は検出されておらず、有害なウイルスや細菌などの病原体は検出されていない。また、彼らの全身には注射針などの痕はなかった。彼らの死因は、一人は咽喉と食道と胃と肺の悪性腫瘍だった。もう一人は肺と肝臓の乾酪壊死だ。肺と肝臓は完全に壊死し、チーズ(乾酪)状になっていた」
「発症してから九十分以内で悪性腫瘍と乾酪壊死で死亡?」
ありえないと声をあげた幸は、バイクを路肩に止めた。枯れ果てた田んぼを見遣りながら、眉間に皺を寄せる。
「これらの死因から考えられるのは結核菌、腫瘍ウイルスなどが疑われるが、検出されていない」
報告し終えた弘は沈黙した。幸の言葉を待っている。
バイクから降りた幸は、ヘルメットを脱ぎ、雲一つない空を仰いだ。何気にヘルメットを脱いでも、バイテク蔓草から伸びる蔓はしなって揺れるだけで、左耳と口元にある小さな葉は寄り添い続けている。
しばらく考えた幸が、ゆっくりと喋り出した。
「死因が違うことから、最初に発症したパイロットから二人目のパイロットへは、病原体が変異して感染した可能性がある。植物だけを枯らしたこととも辻褄が合う」
「二人目のパイロットに感染した後、病原体が変異したから、植物だけに感染するようになったということか? だが、そのような有害な病原体は検出されていない。それに、そのような短時間で変異する病原体などが存在するとは思えない」
「自然界ならね」
「人為的なものだと?」
「その可能性は高い」
「バイオ兵器だというのか?」
忌わしく顔をしかめたような弘の声に、幸はバイオ兵器かどうかをはっきりさせるため、語調を強めた。
「段取り役温羅者が手配した研究所で、早急に病原体の特定を依頼して」
「了解」
返した弘はすぐに通話を切ったらしく、幸の左耳と口元に寄り添っていた小さな葉や、伸びていた蔓は枯れた。
兎兎は、地面におろされたリュックの少し開いているファスナーを鼻先で器用に開けて、外に飛び出していた。田んぼのへりで胸を張って座り、枯れた稲を見渡し、ぴくぴくと鼻を動かして匂いを嗅ぎ、情報を得たら鼻を鳴らして幸に送っている。
兎兎の隣に腰をおろした幸は、広大な田んぼの先に見える、停留する貨物機を見遣った。
「なぜ感染した植物は空港を中心として円状に枯れたのか? なぜ空港を中心として円を作りあげるように感染は止まったのか?」
枯れた稲で茶色一色になっている田んぼを見渡しながら、幸の頭脳では様々なシミュレーションが展開される。
しばらくして……
「記者か? それとも、ただの野次馬か?」
お爺さんの問い掛けに、幸はゆっくりと振り返って見上げ、軽くお辞儀をした。全く動揺はしていない。前もって、兎兎から情報を受け取っていたからだ。
「見学者です」
茶目っ気に微笑んだ幸に、お爺さんの強張った表情が柔和になった。
「この田んぼは、わしのでな」
お爺さんは溜息を吐き、愚痴りだした。
「一週間後には稲刈りだと張り切っておったんじゃ……それがこのざまじゃ……まさか一瞬にして枯れてしまうとは……考えられんわ」
寂しそうに田んぼを見つめるお爺さんは項垂れた。
「お爺ちゃん。枯れるのを目撃したの?」
驚いた声で聞いた幸だが、表情は至って冷静だ。
お爺さんは貨物機を見遣って頷いた。
「あの貨物機が着陸して、タラップが設置されたのを見届けた後、あっという間に稲は枯れたんじゃ。わしは何事が起ったのかと動けんかったわ」
お爺さんが語った情報をもとに、幸の頭脳ではシミュレーションが展開された。
「わしの枯れた稲であっても、一切触るなと言われたわ。こんな感じで枯れた植物は全て、焼却するということじゃ。そんでもって、枯れた植物が生えていた土も、触らないようにとのお達しがあったわ」
「お爺ちゃん。検体を採っている所を見た?」
幸は大事な質問をした。
「けんたい?」
意味不明な単語だと、首を傾げたお爺さんは、地面に座っている幸を見下ろした。
「ここの枯れた稲や土を取っているのを見た?」
幸は前方の田んぼを指差し、言い換えた。お爺さんはすぐに思いついた。
「研究者とやらが数名、わしの田んぼに入って持って帰ったわ」
「そうなんだ」
ぽつりと呟いた幸の口角はあがった。
「用事があったのを思い出したわ」
うっかりしていたと、お爺さんはいそいそと帰って行った。
幸は離れていくお爺さんの背を見つめながら、人気がないことを兎兎から知ると、指示を出した。
「バイテク蔓草。弘に通話」
バイテク蔓草から蔓が伸び、蔓先が二股になって幸の左耳と口元で小さな葉をつけた。
「弘。検体が採取されているから、検査結果を取り寄せて」
「了解」
返事をした弘は、すぐに取り掛かった。それと共に、依頼していた病原体の特定結果を報告する。
「パイロット二人の遺体から、共通する物質を検出した。その物質は、ウイルスや菌ではなく化合物だ」
「化合物が病原体?」
意外な展開に、目を丸くした幸の、頭脳のアルゴリズムは動いた。
「変異しながら感染した、という可能性はなくなった」
呟いた幸は蔓を引きちぎって通話を切ると、顔をあげ、遠方の貨物機を見遣った。一つの仮説が崩れ去り、別の仮説を模索する。
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