第36話 古代文字の解読

 弘は蔓を引きちぎって画面を投げ捨てると、坂道を駆けあがった。山頂に着くと、巨石の前の地面に座る幸のそばに腰をおろした。兎兎は幸のそばで、長い耳を垂直に立て辺りの様子を窺いながら、目を瞑りうずくまっている。

 目を合わせてきた幸に向かって、弘は自らの異変のこと、猿猴者のこと、インターネットで検索したことなどを、簡潔に語った。

 「そう」

 幸は考え込むようにぽつりと言って、弘から目を逸らすと、古代文字がずらりと並ぶ巨石を見上げた。

 「猿猴者と同じように、温羅者も鳴き声で会話をしていたかもしれない。情報役温羅者の情報の中から、言語の起源を生物学的に研究するチームの論文を見つけた」

 幸は弘の顔を見た。弘は興味深い瞳で、幸と目を合わせた。

 「論文の内容は……動物の中で言語を持つのはヒトだけである。言語はどのようにして生まれたのか。ジュウシマツは文法を持つ複雑な求愛の歌を歌う。ハダカデバネズミは十七種類以上の鳴き声があり、状況や階級に応じて使い分けている。デグーも十七種類以上の鳴き声があり、求愛の歌を歌う」

 幸の目が弘の目を、画面に誘った。

 「論文にあった画像で、ジュウシマツの歌のスペクトログラムよ」

 「似ている」

 弘は画像を見て呟き、見比べるように巨石の古代文字を見上げた。

 「古代文字は、スペクトログラムだな」

 弘は興奮するように幸に目を合わせた。頷いた幸は問う。

 「このスペクトログラムから、音声を聴くことはできる?」

 「ああ。少々手を加える必要はあるがな」

 余裕の表情で弘は親指を突っ立てると、左手首に目をやり、バイテク蔓草に咲いたままの小花を確認し、甘い香りを嗅いだ。

 「バイテク蔓草。検索」

 弘が指示を出すと、バイテク蔓草から蔓が伸び、蔓先についた葉が細胞分裂し、五インチほどの画面に分化した。そこに表示されたキーボードで入力していく。

 しばらくして、表示されていたキーボードが消え、検索結果がずらりと並んだ。そこから最適なソフトウェアを探していく。

 そんな弘を頼もしそうに見ていた幸が、兎兎の鼻を鳴らす音で、顔色を変えて立った。山頂の出入口に駆け寄ると、曲がりくねった下り坂の遠方を、木立の狭間から見遣る。陽光でメタリックに輝くヒトの形をした裸体が、坂道をのぼってきていた。

 「弘の言っていた猿猴者ね」

 腰をおろしている幸が、横に目を向けると、そこに座っている兎兎が頷いて返した。

 「でも、やけに歩みが遅いわね」

 「言い忘れていたが……」

 弘の声が頭上から聞こえてきて、幸は驚いたように首を回して見上げた。

 「蛹から出たばかりのセミは全身が柔らかくて飛び立つことができない。それと似た原理で、脱皮したばかりの猿猴者の動きは鈍い。だが、時間が経つごとに敏捷性は高まる。だから、できるだけ早いうちにけりを付けるのがコツだ」

 「そう。で?」

 見上げてくる意味深な幸の目に、気づいた弘は答える。

 「ダウンロードが完了したソフトウェアに、手を加えているところだ」

 「だったら……」

 幸は腰を落とすと視線上にナイフを構えた。木立に見え隠れする猿猴者を捕らえようというのだ。

 尻をつけ胸をそらして座った兎兎は、聴覚視覚嗅覚を研ぎ澄ました。まだ遠方にいる猿猴者の動きと、幸の動きを的確に捉えていく。

 幸がナイフを投げた。木立の隙間が一直線に坂道と交わる空間、そこをナイフが突き進んでいく。ナイフを投げるタイミングは、猿猴者の歩く速度から既に計算済みだ。

 「当たる」

 小さな声で幸は快哉を叫んだ。木立から出てきた猿猴者の横顔に、ナイフが突き刺さると見込まれたからだ。だが、幸の目に入ってきたのは、ナイフが猿猴者の持つ骨の刀によって弾かれる瞬間だった。猿猴者は見透かしていたのだ。敏捷性はないが視覚聴覚は既に鋭敏らしい。

 猿猴者は木を盾にするように、さっと木に身を隠した。

 舌打ちした幸は、肩を叩かれ、振り返って仰いだ。

 「完成した生成ソフトを転送した。猿猴者は俺に任せろ。やっつけるコツは掴んでいるからな」

 弘は親指を突っ立てると、身を翻し、颯爽と坂道をくだった。

 幸は半信半疑で、バイテク蔓草に目をやった。漂ってくるはずの甘い香りの記憶が全くないからだ。それだけ集中していたということだが、幸自信には自覚がない。

 確かに、幸の左太ももに巻いているバイテク蔓草には芽がついていた。この芽が、生成ソフトだ。

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