第37話 スペクトログラム

 巨石の前に戻った幸は、左太ももを見下ろした。

 「バイテク蔓草。生成ソフトを起動」

 古代文字であるスペクトログラムを音声に生成すべく、指示を出した幸は、バイテク蔓草につく芽から蔓が伸びるのを確認することなく、リュックからバイテク掛軸を取り出すと、巻緒をほどいて地面に広げた。

 「古代文字の解読を始めるよ」

 幸は足元の地面に座っている兎兎をちらりと見た。

 既にバイテク蔓草からは蔓が長く伸び、蔓先には葉状の平べったいスキャナーがついていた。

 腰をおろした幸は、蔓を持つと、バイテク掛軸の本紙に現れている古代文字に、スキャナーをくっつけなぞった。

 「バイテク蔓草。スキャンしたスペクトログラムを音声に変換せよ」

 指示を受けたバイテク蔓草から別の蔓が伸び、蔓先が二股となって、それぞれ幸の両耳に入った。イヤホンとなったその先から、鳥の囀りのような獣の咆哮のような歌声が聴こえてきた。すぐさま、弘が語っていた内容を思い出した。

 「古代文字は、温羅者の古代文字ではなく、猿猴者の古代文字だ」

 確信した幸は、指示を出す。

 「バイテク蔓草。リピートせよ」

 何度も何度も繰り返して聴くうち、幸も弘と同じように、聞き取れるようになった。それと共に、幸の目から涙が溢れた。懐かしさが胸の奥から湧きあがり、いとおしさと切なさが全身に沁みわたったからだ。

 「なぜ、なぜこんな気持ちになるの?」

 涙を拭った幸は、自分自身に起きた感情に対し、理解ができなかった。

 「バイテク蔓草。リピートを解除」

 聞き取った鳥の囀りのような獣の咆哮のような歌声を、幸は呟いた。

 「装置を停止するのは鬼之城にあり、装置を再稼働させるのは巨石にあり。どちらも一回限り」

 口にしたことで閃いた。

 「装置とは、加速器だ。鬼之城にあった丸い石は、加速器を停止させるものなんだ。でも……」

 疑問が湧き、急いで鬼之城で見つけた古代文字の解読に取り掛かった。

 「バイテク蔓草。鬼之城Bファイルにある画像のスペクトログラムを音声に変換せよ」

 幸の指示を受け、イヤホンから鳥の囀りのような獣の咆哮のような歌声が流れてきた。口にする。

 「鬼之城は猿猴者の城」

 温羅者の山城ではなかったことに驚く。

 続いて流れてきた装置の使い方についての、鳥の囀りのような獣の咆哮のような歌声に聞き入る。

 「遠隔操作で停止させる」

 一部の鳥の囀りのような獣の咆哮のような歌声を口にした幸は、丸い石は加速器を停止させるリモコンだと確信した。だが、理解できないことが頭をもたげた。

 「既に操作されていた丸い石と犯行声明から考えれば、停止ではなく稼働のはずだ」

 首を捻る幸の耳に、兎兎の鼻を鳴らす音が入ってきた。先の猿猴者との戦いで聞き取ることができる兎兎は、イヤホン越しから漏れてくる歌声を聞いている。

 「先入観?」

 指摘された幸は、目を瞑って頭を冷やし、考え直す。

 「稼働させた加速器を停止したということだ。その行為の意味は、二度と加速器を停止させないために、一回限りの停止の操作をしたということだ。そして……」

 推測した幸は、絶望したように言葉を続ける。

 「再び稼働させた。一回限りの再稼働を……」

 項垂れた幸の耳に、兎兎の鼻を鳴らす音が入ってきた。

 「そうね。小花を咲かせていたから、まだ丸い石は動いていたってことになる。となると、停止の操作がなされても、停止は即座になされておらず、停止中の可能性が高い」

 一縷の望みを得た幸は、蔓を持つと、立ちあがった。巨石の古代文字に、スキャナーをくっつけなぞった。

 「バイテク蔓草。スキャンしたスペクトログラムを音声に変換せよ」

 幸の指示を受け、イヤホンから鳥の囀りのような獣の咆哮のような歌声が聴こえてきた。口にする。

 「猿猴者とヒトの間に生まれた子を温羅者という」

 この内容で幸は、自分自身に起こった感情を理解した。眠っている猿猴者の遺伝子が目覚めたからだと……

 続けて幸は口にする。

 「猿猴者は、陸上で進化を遂げて知的生物となったヒトよりも、遥か古から深海で進化を遂げた知的深海生物だ。猿猴者は、ヒトにはない優れた能力を交易として使用する。猿猴者はそれぞれ、引き継いで生まれてくる能力があり、それらの運営によって猿猴者社会は構成されている。そんな猿猴者が受けたある謎解きの依頼によって、猿猴者は五百年くらいの間隔で突然変異の猿猴者が出てくることがわかった。そして今、その突然変異の猿猴者の扇動により、半数を超える猿猴者がヒト社会を支配しようと動き出している。依頼された謎解きの怪奇事件は、その一端にすぎない。これから益々こういった怪奇事件は多発するだろう。よって、その動きに反対する猿猴者は、ヒトと温羅者の社会を守るため、猿猴者が深海から二度と上陸できないよう、地球上には存在しない元素を発生させて張る時空結界装置を、この巨石下に設置することにした。その作戦を実行する我々猿猴者も、深海に戻らなければならない。そのことは、我が子である温羅者、恋人や妻や夫であるヒトや温羅者、彼らにはもう会えなくなるということだ。だが、我々は作戦を実行する。それが我々の正義だからだ」

 口を閉じた幸は、気を引き締め、時空結界装置の再稼働の仕方についての、鳥の囀りのような獣の咆哮のような歌声に聞き入った。

 「追伸」

 鳥の囀りのような獣の咆哮のような歌声が終わってまた歌ったその声に、思わず幸は何だろうと口にし、耳を傾ける。

 その鳥の囀りのような獣の咆哮のような歌声は、先の意を決したような激しい調べとは違い、優しく温かい調べだった。聴くうち、幸の目から涙が流れ落ちた。終わっても、イヤホンをしたまま、長らく目を閉じる。

 ふと、幸の口元が緩んだ。良いアイデアが浮かんだと、希望に満ちた目を開くと、巨石を見上げる。

 「届けるよ」

 追伸に続く古代文字に向かって、幸は微笑んだ。

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