第22話 変化

 簡易キッチンに向かおうと幸がソファから腰をあげたとき、目を覚ました兎兎が鼻を鳴らした。聞き取った幸は、血相を変えてバイテク掛軸を見遣り、駆け寄った。

 「確認した。この件も、同心円状に異変が起こっている。その中心には感染源があり、原因物質も特定できた。これから、原因物質からの未知の元素の有無を依頼する」

 報告しながらも弘の手は動いていた。メールを作成しているのだ。し終えた弘は、異様な静寂を感じ、頭をあげて見回した。その目が、ぎくりとなって見張った。

 「どういうことだ?」

 慌てて席を立った弘は、微動だにせず立ち尽くしている幸の横に駆けつけた。

 幸は壁のフックに掛けられているバイテク掛軸を見つめている。兎兎は幸の一歩前で、顎を持ちあげ胸を張っている。その姿はまるで敬礼しているかのようだ。

 「すみか」

 幸がゆっくりと読みあげた。

 バイテク掛軸の本紙には、絵と文字が現れていた。水墨画だ。

 「何も描かれていなかったこのバイテク掛軸は、からくりだと分かってはいたが、どうやってからくりが解けたんだ?」

 弘はバイテク掛軸の本紙に現れている絵を、食い入るように眺めた。城壁をめぐらした山頂に建つ城の絵。その下部分に、先ほど幸が読んだ文字が書かれてある。

 「この絵、見たことがあるぞ」

 呟いた弘は心当たりがあるらしく、くるりと身を捻ると席に戻った。パソコンに対峙すると、インターネットで画像を検索する。

 「これを見ろ」

 弘の呼び掛けに、すぐさま駆け寄った幸は、パソコン画面を覗き込んだ。

 「鬼之城きのじょうだ。この城は復元されたものだが……」

 パソコン画面には、バイテク掛軸の本紙に描かれている絵と酷似する写真が映っていた。

 「この城は、古代の歴史書には載っていない、謎の多い古代山城だ。諸説はいろいろあるが、飛鳥時代に築城されたのではないかということだ。そして、地元の伝説では、温羅うらと呼ばれる鬼が住んでいたとされている」

 意味深に言った弘に、幸は頭脳を整理した。

 「バイテク掛軸は、バイテク巻物やバイテクプリズムと一緒にあった。温羅は、温羅者の可能性が高い。でも……」

 幸は強い口調で続けた。

 「温羅は鬼ではない」

 厳と否定したのは、鬼の悪いイメージが思い起こされたからだ。

 同じ面持ちになった弘のそばから離れた幸は、六曲一双屏風に歩み寄った。その前に立った幸は、はたと気づき、近寄って腰を屈めた。

 「左隻が開花している」

 呟いた幸の声を聞き逃さなかった弘が、跳ねるようにして駆け寄った。だが、怪訝顔になる。花は咲いておらず、絵自体も何ら変わっていないからだ。

 「これを見て」

 腰をあげた幸が、右に避けて床を指差した。そこには塵がこんもりとあった。思い当った弘は息を呑んだ。

 「この塵は、花が咲いて枯れたという証拠よ」

 「ああ。右隻と同様に、左隻にも折り紙が施されていることはわかっていたからな。だが、六つの画面は繋がっていないから、花が咲くとは思わなかった」

 「そうね。どんな花が咲いたのかしら」

 幸の言葉に反応した弘は、バイテク蔓草に向かって声をあげた。

 「バイテク蔓草。ハンディスキャナーに分化」

 指示を受けたバイテク蔓草から蔓が長く伸び、蔓先に葉をつけた。その葉が細胞分裂し、葉状の平べったいスキャナーに分化した。

 弘は左隻本紙の右上端に、スキャナーを当てると、ゆっくり丁寧に左下端までなぞった。その間、別の異変に気がついた。

 「六つの画面は繋がっていないままだが、本紙に加工されているバイテク細胞は繋がっていた。それも傷跡一つなく綺麗に繋がっていた」

 気づいていなかった幸は、顔を近づけ確認した。

 弘は席に戻り、スキャナーの端につく芽を引っ張り、蔓のように長く伸びた茎を途中でちぎると、その先をパソコンの端子に差し込んだ。スキャンしたデータがハードディスクに取り込まれると、そのデータから皺を折目として入力し、折り紙ソフトでどんな折り紙ができあがるかをシミュレーションした。

 「スイレンの花だ。この花も、普通のスイレンの花より十倍も大きな輪になった」

 この結果に、幸は感慨深げにバイテク掛軸を見遣った。

 「花粉を飛ばした右隻と同様に、左隻も花粉を飛ばした。でも、今回は、健在みたいね」

 語尾で幸は、元気さをアピールする茶目っ気な視線を弘に送った。弘は一瞬ぎくりとなったが、体調に変化がないのを感じ取り安堵する。

 「花粉はバイテク掛軸の本紙に、絵と文字を浮かびあがらせるためだった。そして……」

 幸は六曲一双屏風を見遣ると指差した。

 「なぜ温羅者が六曲一双屏風に折り紙を施したのか。それは、バイテク掛軸の本紙に絵を現わさせるためで、六曲一双屏風はバイテク掛軸のからを解くものだった。バイテク掛軸のからくりには、右隻と左隻の花粉が必要だった。だから、右隻に未知の元素が組み込まれなければ、左隻と同様に右隻もここで開花していて、このような水墨画ではなく、色彩豊かな絵になっていたはず」

 続けて幸は推測を口にしていく。

 「このように右隻と左隻が揃って初めて、六曲一双屏風のバイテク細胞から出る、何らかの植物ホルモンを捉えたバイテク掛軸のバイテク細胞から、何らかの植物ホルモンが放出されることで、それに反応した六曲一双屏風のバイテク細胞が花を咲かせる仕組みだった。だから、六曲一双屏風とバイテク掛軸は別の場所に保管する必要があった。そして、このことから考えると、バイテク掛軸に現れた絵は、温羅者にとって大切な文化遺産であり、鬼之城は古の温羅者のすみかということになる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る