第24話 滝の袂で (かつての投稿時テーマ 東海)

 天城の峠に、ハナが咲き、薫る頃になると、私は天城の山腹にある滝の袂を訪れる。

 その場所を訪れる時、私は自然と少年に返る。

 まだまだ無垢で、男女の機微も、睦事の中で交わされる嘘も、まったく知らない年頃に戻る。

 かつて、私は、この滝の袂で一人の女に出会った。

 女は、それはそれは美しく、妖しかった。切れ長の眼差しは、私の心の中までを見透かすほどに怜悧だった。

 女は、滝壺で溺れた私をすくいあげ、介抱してくれた。その細く長い四肢を私の身体に絡ませて、艶やかな腹を私の下腹部に押しつけて、冷え切っていた私に体温を分け与えてくれた。

 女は、私の顔を覗き込み、私の瞳の奥を見据えていた。

 女は言った。

「お前は、良い心根を持った者だねえ。

 昔、私を騙した男とは違うねぇ」

 私は、間近にある女の顔に浮かぶ妖艶美にあてられて、ぼぅとなっていた。

 何も考えられず、いや、何も考えたくなかった。

 女の冷たいような、暖かいような肢体を……、私の身体に絡みついて、もう二度と離れいく事はないだろうなと思えるくらいに密着してくる、女の肢体に夢中になっていた。

 そんな私の心を見透かすように、女が囁いてきた。

「お前は、私のことが好きかい」

 私は、どう答えて良いかわからなくて、黙っていた。

 女は、くくっと喉の奥で笑うと、私の首を抱え込んできた。

「本当に良い子だ。正直で。

 嘘の言葉を吐かれるくらいなら、無言でいてくれた方が良いよ、ずっとね」

 私は、女の肌から醸されて来る芳香に酔わされた。

「丁度よい、お前を男にしてやる。

 私が初めての女になってやる。

 構わぬな」

 見つめられて、首を横に振る胆力など、その頃の私にはなかった。いや、今でもない。

 今でもないからこそ、毎年、ここへ通ってくるのだから。

 女は、また、くくっとの喉の奥で笑った。

「本当に、良い子だ。

 お前には幸運をやろう。この先の人生で、すべてに困らぬようにな。

 その代り、私のことを誰にも言うな。

 言えば、私はお前の命を奪わねばならぬからな。

 だが、誰にも言わぬ限り、お前の望みは何でも叶えてやる」

 そう告げると、女は私にかぶさってきた。白く艶やかな糸で仕立てられた包みの中に誘われて、私は彼女に抱かれた。

 彼女は、私を優しく導き、そして妖しく心蕩けさせた。

 それから、五十年が経った。

 女の事は、誰にも告げていない。

 それは、殺されたくなかったからではない。女を失いたくなかったからだ。

 私は、幾度も幾度も、この滝の袂へ通う。

 その度に、女は変わらぬ姿で私を迎え、私を年端もいかぬ少年へと戻し、その何物にも代えがたい妖艶な肢体で包んでくれる。

 私は、蜘蛛へと戻った女の吐く糸に包まれて、女の長く細い脚に身体を抱かれて、至福の時間をたゆたうのである。

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