第22話 東尋坊にて (かつての投稿時テーマ 北陸)
切り立った崖から見下ろす海は逆巻き、波は尖った岩に打ちつけられ、盛んに飛沫が宙を舞っていた。
僕は、その風景に身を縮こまらせ、己が勇気のなさを嘆いた。
「死ぬつもりかい」
後ろで男の声がした。
振り返ると、偉丈夫が立っていた。
自殺を思い留まらせる為のボランティアが居るという話を思い出し、僕は男から目を逸らして、自嘲気味に答えた。
「そんな勇気もありません」
「そんな勇気など要らんよ」
男は見透かすような視線で僕を見る。
「恋に破れたという感じだな」
言い当てられた僕は無言のままだ。
「お前、素晴らしい奴なのにな。それを振るような女が居るとはな」
「僕は、何も持っていない男です」
「良い人柄をしているだろうに」
「そんな……そんなの役に立ちません。そんなのでは、彼女の心を引き留められませんでした」
「彼女とは話し合ったのか」
「彼女は、会ってもくれません。顔も見たくないそうです」
僕は苦々しく答えた。
「そうか」男の声色は穏やかだった。哀れんでいるのかもしれない。「なぁ、ここ東尋坊の由来は知っているか」
僕は頷いた。ガイドブックに書いてあった。
昔、平泉寺に東尋坊という乱暴者の僧が居て、悪事の限りをつくした。彼の無法には、皆、ほとほと手を焼いていた。また、東尋坊は、あや姫と言う娘に恋をしていた。真柄覚念という僧も彼女を好いていて、ふたりはいがみ合っていた。
東尋坊に困り果てた平泉寺の僧たちは一計を案じた。彼を誘い出し、岬の上で酒宴を開いた。
やがて、東尋坊は酔いつぶれて眠り始めた。それを見てとった真柄覚念を始めとする僧たちは、東尋坊を海へめがけて突き落とし殺してしまった。
東尋坊が落とされるや否や、黒い雲が太陽を隠し、雷雨が訪れ、海は荒れに荒れたという。その後、彼の殺された四月五日の前後には海は時化ると言われている。
それが東尋坊の由縁だ。
「まぁ、有名な話だからな」男の声は相変わらず静かだった。「だからと言って、それが真実とは限らんぞ。話というのは、生き残った者の都合のよい様に書き換えられるのが常だからな」
何を言っているのだろうか?僕は、怪訝な顔をして見つめた。
「東尋坊がどんな悪事を働いたのか、具体的に伝わっていないんだよ。
それから、あや姫の末期も話には出てこない。
大体の場合、力を持つ者はあこぎだからな。
なぁ、何を言いたいかわかるだろう」
僕は、ある時、唐突に左遷された。その時以来、彼女とは音信不通になっている。その後、彼女は社長の息子と付き合い始め、そろそろ婚約だという話を多方面から聞くようになった。
巧妙だった。まるで僕を洗脳するかのようなやり方だった。
僕は生気を取り戻して、男に頭を下げた。
「ありがとうございます。僕は戻ります」
走り出す僕の背中に男の声が追いかけてきた。
「頼むぞ。
俺の二の舞は踏むなよ。彼女を守ってやれ」
僕は、男が誰だかを理解した。
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