第39話 あたしの肌の…… (かつての投稿時テーマ 黄色)
呼び名が、孤児院から児童養護施設に変わっても、中身は変わりません。
ここの子たちに出来るだけの愛情を、という私たちの心掛けも変わっていません。
ですが、変わった事もあります。もう何年もの間、ここの子が神に召されてはいないということです。
それ程に、この国も豊かに、そして優しくなったという事なのでしょう。
ここを立ち上げた頃は、道々で飢え、行き倒れる子たちが、数多に居ました。
特に、肌の色が違うと言うだけで、外国人の血が混じっているというだけで、打ち捨てられて行き場を無くした子たちは、本当に可愛そうでした。
日本人からは忌み嫌われ、進駐軍からは存在を認められずにいました。
私が敬愛して止まないシスターが、ここを開設したのは、それを見かねたからなのです。
あの頃は本当に大変で、食べ物を確保するだけで日が暮れる、そんな毎日が続いていました。ここだけでなく、日本中がそうでした。
そんな訳ですから、衛生管理等は後手に回りがちで、毎年、幾人もの子らが天に召されて行きました。
その子らの遺骨は、ここの礼拝堂の奥に、今も安置されています。
遺骨の納められた祭壇は、今では、沢山の供物で囲まれています。
無事に巣立って行った子たちから、届けられるのです。
今朝も礼拝をすませた後、この子たちの所を訪れます。
あらあら、と私は目を細めます。
夕べ、綺麗にしておいた部屋が、見事に散らかっています。
あの子たちは、また、夜を徹して遊んでいたようです。
私は、片付けを始めます。毎日の事です。もう、何十年も繰り返してきています。
この事は、ここ居る者たち皆、いえ、ここに居た子たち皆が知っています。
だから、日々、新しい玩具が送られてきます。
祭壇の上に、スケッチブックとクレヨンが残っていました。
スケッチブックをめくると、沢山の似顔絵が描かれていました。
あつ子の描いた絵です。
彼女は、とても絵が好きでした。そして、とても上手でした。
でも、物の無い時代でしたから、大体は、石を手にして地面を刻んで描いていました。
それでも、時には、貴重なクレヨンと画用紙が、施設にも舞い込んで来る時がありました。
そんな時、あつ子は、本当に嬉しそうでした。皆にせがまれて、色々な絵を描いてあげていました。
あつ子は、施設の子たちの似顔絵もたくさん描いていました。肌の部分は、必ず黄色を使っていた事を思い出します。
彼女の最後の言葉は、今でも私の心に刺さっています。
「ねえ、シスター・ママ。あたしの肌の色が普通だったら、本当のお母さんと、ずっと一緒だったかなぁ」
あつ子は、黒い髪をしていました。黒い瞳を持っていました。日本人形の様な顔立ちをしていました。でも、肌の色だけは違っていました。
祭壇に残されていたクレヨンの箱の蓋を開けてみました。案の定、黄色いクレヨンだけが、極端に短くなっていました。
【蛇足的な補足】
この掌編は、頭の片隅にエリザベス・サンダース・ホームの存在があったから仕上がったものです。多くの一般的な善良な民衆は、少なく弱く儚い者たちを無思慮のままに間接的に圧殺してしまうことを、自戒も込めて、ここに述べておきます。
ちなみに、あつ子の名は「あつかましくも生まれてきた子」ということから付けられたものです。このことをシスターたちも、あつ子も知りません。
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