第2話 櫛 (かつての投稿時テーマ 海外)
大学院で「交易史」を専攻していた時の事だった。
私は、俗に言う南蛮貿易の事について調べる為に渡航した。
葡日辞書を頼りに、片言のポルトガル語でイベリア半島を彷徨った。
アジアとの交易についての研究は、海岸部では大分進んでいるが、内陸部はまだまだだ。
私は、乾燥した大地の中を、年季の入ったレンタカーで駆けまわりながら、いつ出会えるとも知れない歴史の痕跡を求めて回っていた。
コルクの林に囲まれた小さな街に辿り着き、宿を求めていた時だった。
喉の渇きを癒す為、アグア(飲料水)の購入に小さな雑貨店に入った。
その店は、奥へ向かって細長い造りになっていた。食料品、日用品等が整然と並んでいた。古びた外見とは違って、中は小奇麗だった。
店の一番奥に、小さな老婆が椅子に座って店番をしていた。
彼女は、私の姿を見ると目を見開いて、短く訊ねてきた。
「中国人かい」
「ごめんなさい。私は日本人です」
たどたどしく返答をした。
それを聞いて、老婆はがっくりと顔を伏せた。
「日本人なのかい。あんたは」大きく息を吐くと、悲しそうな声を出した。「マリアの占いも当てにならないねぇ。今年のうちに、マカオに届けられるよ、なんて言っていたのにさ」
今度は、私がおずおずと訊ねる番だった。
「あのぅ。今、マカオに届く、とかおっしゃいませんでしたか。……私、マカオに寄って行く予定でいますが」
私の言葉に老婆の顔は、再び輝いた。
「マカオへ行くのかい。本当かい。なら、頼みたい事があるんだ」
そう言うと、老婆は奥の部屋へ駆け込んでいった。
結局、私は老婆から一枚の櫛を託された。
櫛は木製の粗末な出来で、相当に古びた物だった。老婆の話によると、大航海時代に奴隷としてここに連れてこられた少女の物だったという。この櫛だけが、少女が故郷マカオから持ってこられた唯一の物だったらしい。この櫛だけでも故郷へ戻してやりたいと、老婆の家で受け継がれてきたという事だった。
私が立ち寄ったこの村は、その殆どが奴隷の系譜を持った貧しい村だった。
私は快諾した。
櫛を納めてあった小箱ごと預かった。
老婆は占師のマリアが営む宿も紹介してくれた。マリアは「その櫛が貴女の旅を幸運にしてくれるよ」と言ってくれた。
その後の旅程はまさに占いの通りだった。寄った大学で日本語の分かる研究者と知り合い、彼の助けで研究の素材は次から次へと収集出来て、幾日か前倒しで帰路につけた。
マカオで、海に向かって小箱を開けた時、櫛は原形を留めていなかった。砂の様に細かく崩れ去っていた。そこへ風が一陣吹き、櫛だった物はすべて空へと舞い飛んで行った。
私は、それを黙って見送った。
後日談がある。
私が帰途で搭乗を当初に予定していた飛行機が墜落したのだった。
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