第19話 今年の夜も (かつての投稿時テーマ 近畿)
奈良県の吉野の奥にある賀名生(あのう)に住んで十年になります。
山間ののんびりとした田舎で、普段は静かな所です。日が落ちると本当に静寂の帳に包まれます。私はその静寂が本当に好きで、真夜中に、庭の縁台に腰掛けていたりすることが、ちょくちょくとあります。
この土地はかつて南朝の皇居が置かれた時代がありました。その期間は数十年に及び、中にはこの地で没した方もいらっしゃったようです。今日の華やか都から、言葉は悪いですが、山奥の田舎に落ちて来て、そこに居を構えて、そして死んでいかなければならなかった方たちの気持ちは如何なものだったのでしょうか。
好んで田舎暮らしを始めた私にはおもんばかりようもありませんが、それはそれは口惜しく、寂しくあったのではないでしょうか。
だからこそ、遠い京を思っては、そこの風雅に近付けようと様々な努力をなさったのかも知れません。
賀名生にある皇居跡は、とてもとても見晴らしの良い造りなっています。山間にあっても、遠くまで一望でき、四季折々の自然の趣を堪能できるようになっています。
梅も、しだれ桜も有名で、今でも季節になると多くの方がいらして堪能されています。
南朝の当時も、同じだったのだと思います。
遠い京と比べても見劣りしないほどの、咲き誇る花々の勢いを眺めては、心の奥に横たわる惨めさを慰めていたのでしょう。眺めながら、いつか、京の都へ帰れる日を待ちわびていたのでしょう。待ちわびながら、この地で多くの方が亡くなっていったのでしょう。
だからなのだと、賀名生の古老たちは私に教えてくれました。
この賀名生では、季節の折々に、宵の頃から未明にかけて、妙にざわめく夜があるのです。
このざわめきは目や耳で分かるものではなくて、肌に染み入ってくるような感じのものです。
このような感覚は、私だけではなくて、賀名生に住む者ならば誰もが感じるものです。
このような夜を、賀名生の方たちは「彼岸の方たちの宵」と呼んで、外出を控えます。
京の華やかな風雅を恋しがりながら死んでいかれた方たちが彷徨い、歩くのだと言います。
「桜の咲いた夜」「梅の香る夜」「月の綺麗な夜」「台風一過の澄んだ空気の中、虫の声が広く渡っていく夜」等々。そんな時には、必ず、賀名生の空気はざわめくのです。
「そんな夜は、私たちはで歩いてはいけないのです。彼らは、華やかな都を思い描いている最中なのですから。私たちの様な無粋な者が姿を見せて、野暮などしないようにしなければね」と、憐れむような、優しい声で、古老は私に教えてくれたのでした。
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