第26話 キラキラ (かつての投稿時テーマ 関東・甲信)

 横浜の元町と中華街を隔てるように横たわる中村川は上流で大岡川と分岐している。大岡川は桜木町を経て横浜港へと流れ出る。

 かつては、両の河口を繋ぐように派大岡川があった。

 三つの川に囲まれた部分には貧しい横浜が点在していた。つい先日までの話だ。

 今思えば、僕の家もそれ程豊かではなかった。だが、子供の頃の僕は、自分は中流の家に生まれたと勘違いをしていた。昭和五十年が近くなるまで白黒テレビだったのにである。

 それ程に、僕の住む周囲の町は貧しかったのだ。とは言っても、子供の僕が行けたのは黄金町までで、寿町までは行かせてもらえなかった。黄金町だって、祖母と共にという条件が付いていた。

 祖母は、勇ましく、優しい人だった。いや、優しい人が、勇ましく育ってしまったと言うべきか。

 祖母は、水上で生まれ育った。

 コンテナ船が隆盛する前、貨物船の荷は沖から港まで艀(はしけ)で運ばれていた。艀は家族経営で、そのまま彼らの家だった。艀は、横浜の水上にはびっしりと浮いていた。

 祖母は、艀の娘として生まれた。

 進駐軍が来て横浜の半分の土地と、大部分の富をかっさらって行った、というのが祖母の口癖だった。

 祖母には散歩の日課があった。一時間余りをかけて歩いていた。どんな天気であっても、どんな行事があっても、祖母は欠かさなかった。

 そう、あの日までは、欠かさなかったのだ。

 あの日、祖母は家に帰りつくなり、狭い玄関に腰を下ろして、動かなくなった。

 時折、ため息をついて、鼻をすすりあげた。声を殺して、泣いていたのだと思う。

 子供ながら、何も尋ねてはいけないと感じた。理由は分かっていた。

 その後、祖母はめっきりと塞ぎ込んでしまい、しばらくして他界した。

 それから数十年。僕らは、区画整理やら浄化やらで、住処を追い出された。今は郊外のマンションに住んでいる。妻子もいて、中流の生活をしている。

 今の僕の趣味は、散歩である。

 電車に乗って桜木町まで行き、そこから、首都高速神奈川1号横羽線に沿って歩くのだ。

 祖母が散歩していた道である。

 祖母が生まれ育った派大岡川は、今はこの首都高の下にある。建設にあたって埋め立てられたのだ。

 この派大岡川には、産声を上げぬままに死んだ名の無い弟が沈められている。貧しい一家には墓などなかった。よくあったことだ。

 ただ、稀事だったのは、弟の沈んで行った先がいつまでもキラキラと光っていたという事だ。キラキラは何時までも続いた。祖母が陸に上がり、老いてもなお光っていた。

 キラキラは、僕にも見えていた。白い清らかな光だった。

 派大岡川が工事用の塀で囲まれ、やがて埋められて、そして祖母は散歩を止めた。

 僕の記憶は定かではない。どの辺りで光っていたかなんて分らない。しかも、それは重い土の下。キラキラは見えよう筈もない。

 とは言え、僕は散歩を止められない。

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