用賀マサトの独白
凍えるような冷たい雨が雪へと変わったあの日。
「ブラついてないで、積もる前に帰宅しなさいよ」
念の為に釘を刺す。
もしもの時は迎えが来ると知りながらも。
「わかってます、即刻帰るよ」
くすりと笑うきみは、説教臭いと思う事だろう。
だが、その身を案じて何が悪い。
油断した結果、足止めをくらってひとり寂しく迎えを待つきみの姿を不逞な輩の目に曝す、なんて事はほんの一瞬でさえ許し難い――。
そんな嫉妬の業火に身を焦がしてしまうのだから仕方がないだろう?
「お仕事、頑張り過ぎない程度に頑張ってね」
望みもしないのに勝手にやってくる繁忙期。
正直、必要以上に張りきる気はさらさら無い。
そんなものは綺麗サッパリ消し去ってきみの融通が利くこの厳冬にふたりきり、南の島でのんびりと心ゆくまで過ごしたい、などと現実逃避が頭を過るのは初期疲労のせいなのか。
いや、きみが秘めていた胸の内を包み隠さず語ってくれたからに違いない。
ある意味、衝撃だった。
あれでも足りないのか、と。
だが、収穫でもあった。
どろどろに淀んだ想いを解き放つ許しを得た。
そう錯覚する程に。
そして同時に、己の小賢しさに吐き気がした。
いつまでも本性を隠し続ける意気地のなさに。
カホは、常に正直だ。
悩み苦しむ時も、嬉しさや喜びに満ち溢れる時も、涙するほどの悲しみに暮れ、怒りにうち震える時も、全てをありのままに話してくれる。
それに引き換え、オレは―――。
「まーくん? 呆然としてるけど、もしかして余りの寒さに意識喪失した?」
きみは心配そうに顔を覗き込むと、そっと寄り添い、オレの左手をきゅっと握ってふわっと微笑む。
「本来ならばハグやら何やら致して少しでも癒やしを与えたいところですが、職場も近いだろうから、これくらいで我慢するね」
きみは天使か聖女か、はたまた女神なのか?
オレの短い昼休憩に合わせて電車に揺られ、わざわざ顔を見せに来てくれる。それだけで充分癒やされているというのに、この胸を鷲掴むその振る舞いたるや。
そんな事をされたら、
「このままふたりで家に帰りたい……」
本音が漏れ出てしまうではないか。
「ぷぷぷ! 潔いほどに心の声がダダ漏れしてますな、オニイサン。お腹に優しくて滋養強壮効果が高めのおかずをタップリ用意して冷蔵庫に入れておいたから、職務を全うなさいませ。じゃあ、またね」
繋いでくれた手を名残惜しくゆっくりと開いてヒラヒラと振り、駅の構内へと消えていくその背中をいつまでも見送る。
この手のひらには、微かに残るきみの温もり。
時間の許す限りじっと見つめ、その優しさを逃さぬようにきゅっと握りしめてコートのポケットへと大切にしまい込む。
「カホがくれるひたむきな想いを無下にしない為にも、いい加減、本性を表さないとねぇ……」
これからのオレがすべき事は、ただ一つ。
そう、幾度も固めたこの決意。
なのに、万が一にも嫌悪に満ちた表情を向けられたら、と想像するだけでその一歩が踏み出せない。
白く可視化する深いため息を見つめ、きみが贈ってくれたマフラーを引き上げてアスファルトに触れては染みゆく綿雪の中を歩き出す。
◆ ◆ ◆
あれから一つ季節が進んだ。
全国的に有名な梅園を一目見ようと日本三大公園に並び称されるその一つにごった返す観光客がパタリとやむと、変わって桜の山を有する神社の麓には地元民が花見目当てに集い、暖かな空気に包まれて酒宴を楽しむ姿がチラホラと目立ってくる。
こうして新たに年度が変われど、人事異動がなければ通常業務の繰り返しでしかないのが社会人。真新しさなぞ感じることもなく、本日も接客に、事務作業にと精を出す。
無事に三年次への進級を果たしたカホは、新たに組んだ履修登録と来たるべく就活に向けた支援プログラム、加えて卒論に向けたゼミへの参加や資格取得等により大学への滞在時間が桁違いに増えるそうで、通話中のスマホの向こう側でさめざめと嘆き悲しんでいた。
オレも泣きたい。
接客業特有の変則休日と副業との兼ね合いもあり、直接顔を合わせる時間が確実に減るという事実がボディブローを喰らうようにじわりじわりとこの身を蝕んでいく。
通話とメッセージのみの繋がりが、何と心許なく歯痒い事か。
そんな折、幼馴染みから連絡が入った。春の大型連休をバーベキューで楽しもう、との誘いだった。
本来ならば、貴重なふたりきりの時間を邪魔する不届き者め、と怒り心頭で抗議もしくはガン無視するところだが、その後に受信した『トリプルデート』の文字に二つ返事で引き受けた。
当然、カホに相談した上で。
何処かしこにも甘い自分を笑う。
実は馬鹿みたいに浮かれている事にも。
幼馴染みに紹介する機会が漸く訪れたのだ。
ここぞとばかりに自慢したい。
オレカノ、最高! と。
「二人の苦笑いが目に浮かぶなぁ……」
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