第2話 コンタクト

 社会規範からの解放だというメンズライクなファッションにすらりとした身を包んでは脚を組み、センターで分けたショートボブのつや髪をさらりと揺らしてパイプ椅子に座る彼女が、渡したプリントへ真剣な面持ちで書き込みを続ける、まさにその時。

(あ!……あ~、やっちゃったよ)

 進行のコツを教えるためにホワイトボードにペンを走らせて感じた違和感のあるまばたきの後、まさかのレッスン中に左側のコンタクトレンズが外れる。

 眼鏡はどうしたか、と頭を巡らし、降車の際に慌てながら荷物の入れ替えをして車内に置いたままだと思い出す。

(何とまあ、相変わらず情けないこと……)


 会社員として働きながら副業で始めた音楽教室の講師。昔のバンド仲間のピンチヒッターとして始めたのが気付けば定着して今に至る。本業で培った接客術が役立ってか思わぬ人脈の広がりにも繋がり、無理のない程度に趣味も兼ねた小遣い稼ぎで正直楽しい。


 彼女はそうして始めた頃からの受講者。

 真面目さが前面に現れた落ち着いた第一印象により、何とも言葉少ななレッスンを楽しんでもらおうと様々な話題で盛り上げてきた。その甲斐あって次第に緊張も解れ口数も増えて会話が続くようになると、なかなかどうしてその芯の強さを垣間見るようになり、的を得た意見や洗練された冗談(?)も面白く、遂にはこちらが要らぬ事まで口を滑らせるようになるとフッと笑みを浮かべながら辛辣な返しで撃墜してくるまでに打ち解けていた。

(しかも聞き上手だからつい喋っちゃうし……)


 実はそれだけでなく、そのやり取りが楽しくて、嬉しくて、愛しく感じる自分が居ることを無視できないところまで来ている事に気付いてしまい、先週などは、甘過ぎて食べられない市販品と交換した幼馴染み特製のバレンタイン用チョコを共につまんでくれと、ダメ元で企んだわけである。


 で、今週はというと先刻のやらかし。

(一体、何やってんだか……)

 仕方無い。

 どうしたか?と訝しむ彼女に一言告げておくとしよう。

「ちょっと失礼、コンタクトが外れました。暫くの間ウィンクの嵐を起こしますので何とかこらえてください」

「くすくす、大丈夫ですか、探します?」

 ツボったのか、彼女の笑いが止まらない。

「いや、時間がなくなるので続けましょう」

 先を促す。

 本当はわちゃわちゃしたいところですがね。


 受講時間は30分。技術指導と理解度の確認だけで時は瞬く間に流れていく。

「今日は以上です、宿題を忘れずにやってきてくださいね」

 もう一方のレンズも早く外したいところだが、二人きりのこの空間からはどうにも離れがたい。

 などと、我ながらよこしまな想いを秘めながら殴り書きのホワイトボードを消していると。

「あ」


 何事かと振り返ると至近距離に彼女の顔。

 口を軽く尖らせ、彼女曰く、人生の3分の2を損していると嘆く奥二重のアーモンドアイが俺の左肩をじっと見つめる。

「こんなところに有りましたよ。見つからない訳だ。ティッシュで取ります?」

 自身の荷物へ戻ると紫のケースからひらりと一枚を取り出し、死角に留まる小さなレンズをそっと摘まんで丁寧に包む。

 その細く長い指に備わる爪が視界に入り、それが短く切り揃えつつも形の良いものだと改めて知る。


 こんな最接近がまたあったなら。

 イケナイことだと知りつつも思わず願い想像してしまう。

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