第8話 自己暗示

 ピンポーン♪

 軽やかに自宅のインターホンが鳴り、あなたの来訪を告げる。

「いってきまーす」

 無人のリビングにひと声かけて玄関のドアを開けるのが、講義の少ない平日の日常。

 でも、今日は余り時間が無いようなのであなたの自宅近くの駅前で待ち合わせ。

 これがその理由。


 ↓ ↓ ↓


「ごめん、明日だけど急遽体験教室が入っちゃって、数時間しか会えないんだけどいい?」

「ならば、また別の日で大丈夫だよ」

「んー、オレがダメなんだよね。日々の疲れを癒やす元気をください」

「……何ていうかな、よくその手の台詞がぽんぽん出てくるよね」

「理由も聞きたいものでしょ?」

「いや、そこじゃなくて、何かもう、恥ずかしい」

「やめろと言われてもつい出ちゃうんだから諦めて。明日、都合つかないなら無理しないでよ」

「無理なんて事あるかーい!」

「良かった、ありがとう」

「お昼ごはんは……何か、持っていきます?」

「作ってくれるの?」

「逆に食べてくれます?」

「食べないなんて事あるかーい!豚汁、作っておくよ」

「おぉ、お手並み拝見!楽しみにしてます」

「頼むからプレッシャー掛けないで」

「うふふのふ!」


 その後、暫しのご歓談を終えてふと気付く。

 実はこれがあなたのお宅、初訪問だという事を。

 先日の同意確認といい、今回の事といい。

 ……いや、無でいこう、無で。


 ◆ ◆ ◆


 昼食を詰めた保冷バッグを下げてホームから階段を上がり、あなたが待つ改札を目指す。


 今回のお昼御飯は、ちょっと手抜き。

 市販の味付けお揚げでお稲荷さん、エリンギと赤パプリカ(1:3)の肉巻きケチャップ味、胡瓜の代わりにみじん切りブロッコリーたっぷりのかぼちゃポテサラ、出回り始める蓮根のきんぴらを少々。

 肉巻きと蓮根は、弁当用に巻いてカットして冷凍保存済みを使用。レンチン&味付けだけでOK。

 サラダは、ざっくりカットの全野菜をレンチンしてマヨネーズと少々の酢・塩・胡椒で和えたゴロゴロ満載モノ。

 ご飯も市販の甘酢をちゃっと混ぜて詰めるだけ。

 正味四十分で完成とは、良く頑張った、私!

 あなたが居てくれるから私は生きていける。

 レンジ様、万歳!


 ピッ。

 定期をかざして改札を通り抜け、あなたを探す。

 軽く癖のあるちょっと長めのフワッとヘア。

 いつかの胸キュンドラマの、スイーツ嫌いなドS社長みたいな感じ。または、朝ドラ送りで時に暴走しがちなメインキャスターさん、かな?


 ―――な筈だけど。

 柱の前で手を振るその姿に、また違う胸のトキメキを感じてしまう。


「か、髪がない!」

「いや、有るし。でも、ちょっと短くなり過ぎた」

 フワッと感が増し増しの、所謂マッシュ系。


「いつもより短めにしたら思い切りいかれちゃうし、分け目を作るのがクセになってるから上手く纏まんないし、脇は何とか死守したけど小学校以来の襟足ジョリリだし……余り凝視しないで」

 やだ、待って、これはヤバい。


「うん、その顔見たら分かる、かわいいとか言うんでしょ?」

「自分から言うな!」

「あはは、先手必勝ですよ、では、行きましょう」


 ◆ ◆ ◆


 駅前にある本業の職場とは逆方向の、片田舎にしては高層気味のマンション群を抜けて数分先にあるのが、あなたの自宅。若輩者の素人目にも分かる、南向きピッカピカの、建って間もなき美しさ。

 当然のオートロックをピピッとすれば自動ドアがウィィンと開き、広めのロビーを過ぎてエレベーターに乗り込んで、暫し。

 限りなく最上階に近い角部屋のドアに鍵を差し込み、解錠した先のまた素敵な事。落ち着いた色調の廊下の先に、陽射し溢れるリビングが続く。

 憧れるマンション暮らしのお手本の様な室内に、ただただ呆気にとられるばかり。

 いやいや、こうしては居られない。

 時間が無いのだ。

 引き戸が閉じたリビング隣の寝室らしき存在は見なかったことにして、早速、昼食の準備に取り掛かる。


「ご馳走様でした!抜かり無い苦手克服メニューだったけど、全然気にならなかったよ。更に腕前が上がったんじゃない?」

 実に驚愕、といった顔で嬉しいお言葉を頂戴する。

「豚汁の材料を考慮した我が家の冷蔵庫にはこれしか無くて……いつも苦行ばかりでごめんね」

「美味しかったから全く問題ないよ。でも、お稲荷さんのご飯は胡麻入りだともっと嬉しい」

 あなたお手製のマジでっ!美味いっ!豚汁と、新たな好みの発見が今後の私のモチベーションを爆上げしていく。


「食後の飲み物淹れるね。紅茶、コーヒー、緑茶のどれがいい?」

「ふふふ、揃ってるね。ではコーヒーで」

「何でも飲みたいヒトなので。ミルクや砂糖は?」

「有るならミルク多め&砂糖一匙をお願いします。私は洗い物を手伝う」

「うん、ありがとう」

 いえいえ、お邪魔している身ですからこれくらいやらせてください。


 さて、湯が沸くまで時間が有りそうなのでリビングをちらっと見回してみる。

 あぁ、懐かしいギターが掛けてあります。

 レッスンでよく使ってたやつですね。

「散らかった部屋ですが、探索するならどうぞ」

「よろしいので?」

「疚しい物は何もないし。疑うだけ無駄だよ」

「ふーん、そうなんだ。では、失礼して。それにしても綺麗な部屋ですね」

「実は、夜なべして一心不乱に掃除しました」

 それは、私をこの部屋に入れるため?

 という多少の自惚れは見逃していただきたい。


 とはいえ、元々散らかる気配が無さげなのは気のせいか。それに引き換え私の部屋は……おほん。


 しかも、よく見ると一人暮らし向きの部屋数ながら一室が若干広いような気がする。

「ちょっとした職権乱用?」

「失礼だなぁ、優先的に目に入るだけだよ」

 それこそ、なのでは?

「はい、コーヒー入ったよ」

「ありがとうございます」

 上手く煙に巻かれたが、まぁ良しとしてソファに座ろうとした、まさにその時に。

 がつーん!と、思わぬ失態を犯してしまう。

「いっ……つぅ!」

 ソファの角に足の指をぶつけてしまった〜!


 ◆ ◆ ◆


「いいから早く見せなさい」

「いや!本当に大丈夫だから!よくある事だし!」

 拒む毎に強くなる口調と見下ろす視線の冷たさよ。

 今日はワイドパンツスタイルにしたおかげで靴下を脱げばいいだけではあるが。

 ケア不足丸わかりの小汚い足なんて見せたくないんですってば、どうか察して!

「もし折れてたらどうするの?放っておいて変に固まったりしたら、一生曲がった指になるよ?構わないなら良いんだけどね」

「ううぅ……(泣)」

 高校卒業後、柔道整復師になるべく培ったあなたから押し寄せる知識の波には、半泣きで降参するしかなかった。


 ソファに向かい合わせで座り、軽く伸ばした私の片足を自身の膝の上に載せて赤くなった箇所にあなたの大きな手が触れる。

 ふわわぁぁ、ヤバイよ、ヤバイよ!

「爪は剥がれてないね、良かった。動かすよ、痛かったら言って」

 うわぁ、臭いよ、湿ってるよ、ヤバいよ我が足!

「重い!力抜けって、ぺしっ」

 うら若き乙女だぞ、そんな事出来るか!


 その後、念の為にとテーピングを施すあなたの手際の良さよ。

 ギターもさらっと弾けちゃうし。

 包丁も軽く握るし。

 知識も豊富で気遣い万全で優しくて……。


「……何でも出来るね」

 体育座りの膝に顔を埋めて思わず呟いてしまった私に、穏やかな声であなたが続く。

「真面目に学びましたからねぇ。それはカホだって同じでしょ?」

「全然違うと思う……」

「そんな事ないよ。結局のところ、オレだってオレが知り得たことしか出来ないんだよ。その証拠に、カホみたいに料理も裁縫も出来ないし歌も巧く歌えない。オレにない羨ましいスキル、いっぱい持ってるじゃないの」

 確かに一理あるとは思うけど、イマイチ納得し難いのは何処かで自分には出来ないという劣等感が募るからなのかな?  


「人ってどうしても自分にないもので比べて自己否定しがちだけど、視点を逆に変えてみると自分結構イケてんなって自信に繋がるから、オレはたまにそうしてる。ちょっと心がツラくなったらカホも同じようにやってみて、幾らか軽くなったらいいじゃない。でも天狗にならない程度にね。はい、出来上がり。どう、キツくない?」

 くるくるっと包まれた指は胸の奥と同じようにちょっぴりじ~んとしてるけど。

「大丈夫、ありがとう」

「それは良かった。足元しっかりなさいよ」

「むー、おばあちゃんじゃないし」


 あはは!と笑いながら救急箱を棚に戻すあなたに腹立たしいやら擽ったいやら、これはどう表したら最適なのだろうかと思いながら淹れてくれたミルクコーヒーをいただく。

 結局、猫舌の私に丁度いい温さになってしまったけど、ほわほわした気分はずっと続いていた。


 

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