第9話 勝る羨望

 さて、時は十月も下旬。

 あなたの住む街で秋祭りの花火大会が催されると聞きまして、大学の友人と合流する前にあなたと駅のロータリーで待ち合わせ。

 こういう日でも人流のお陰で需要があるらしく、仕事中に少し時間を貰っての観覧でしかないのがとても残念。ですが、普段から副業もこなす合間に何かと都合をつけて会ってくれるのだから十分と思おう。

 さて、遅番で帰りが21時過ぎとなるあなたの腹ごなし用にと作ったご希望のごま稲荷寿司は、果たして役に立つのでしょうか?


「お待たせしました、カホ姫」

「やめてください、私のキャラじゃない。差入れだけど、屋台で買った方が良くない?」

「カホの味が欲しいのです。後輩が店番してるから見せびらかしていい?」

「多めに作ったから良かったらどうぞ、と伝えて」

「ではご案内します。人が増えてきてからはぐれない様に手を繋ごう」

 こういうさり気ない優しさや、歩行者天国にも関わらず車道側から私を遠ざけたりする心遣いがとても嬉しくて、たまに胸の奥をチリっとさせる。


「後輩さんは観に行かないの?」

「周りも仕事で忙しいみたいで暇なんだってさ。その代わりに来週ある隣街の収穫祭は早番で帰ることになってる。じゃ、ちょっと待ってて」

 外から覗いて来客がない様子を知ると、堂々と店頭から入っていく。良いのかなぁ?

 恐らく、その後輩さんと思しき男性がぺこりと会釈をしたので慌てて挨拶を返す。

 祭りの規模にもよるのだろうけど、こんな日でも就業中っていうところは結構多いんだね。


「ありがとう、カホ。アイツ、喜んでた」

 そう言うあなたを改めて見つめる。

 いつも見てきたラフな私服姿でなく、きちっと髪型とスラックスにワイシャツの腕捲り姿が特に新鮮で、何というか、その、ちょっと眩しくて思わず呟いてしまった。

「その格好、やっぱり会社員なんだね」

「フフ、流離さすらいのギター弾きじゃないよ」

 そりゃそうだ。

 しかし、この姿だけでも垂涎モノなのに、上下揃えてネクタイ締めた姿を見せられたら心穏やかで居られる気がしない。気怠げにネクタイを緩めた日には平伏ひれふして崇め奉るしかない。

「難しい顔してるけど、どうした?もしや、このビジネスモード、カホの心にぶっ刺さった?」

「ぷっ!臆する事なく言うよね」

「カホの反応一つひとつがオレに自信を与えてくれるから、思った事をそのまま出したくなるんだよ」

「それ以上の自信は不要では?」

「んー、そうかな?では、行こうか」


 私が求めてるものを惜しみなく出せる力がこんなに有るのに、一体何が足りないのだろう。

 仮に、それを埋める力がこの私に備わっているのだとしたら全力であなたを補完したいのだけれど。

 それをあなたの口から聞く日がいつか来るのかな。


 ◆ ◆ ◆


 賑わう歩行者天国、露店の数々。

 人々の熱気も爽秋の頃ともなれば心地いい。

「射的でもやってみる?」

 まるで温泉街みたい。

 実はこう見えて、毎年の家族旅行で腕を馴らしている猛者だったりするのを、あなたはまだ知らない。

「ちょっと待って、オレ負けそう。上手くない?」

「侮るなかれ、ですよ」

「ならば奥の手、必殺・伸身片手打ち!」

「お客さん、乗り出しは反則〜」

 ふふふ、まるで子どもじゃないですか。

「ヤバい、はしゃぎ過ぎた。見なかった事にして」

 今更記憶は消せません、当然、大切な思い出として残しておきます。


 その後も、かき氷で頭を痛め、たこ焼きを分け合い、どこかの駐車場の壁際に並んで花火の開始を待つ。

 陽が落ちて、ドン、ドン、ドドンと合図が鳴り響き、大会開始のアナウンスが流れるなか、今日のコーディネートについての質問を受ける。

「その浴衣は、もしかして手づくり?」


 そうなんです。

 自分で反物を選んでチクチク手縫いの、汗と涙とたまに針を刺して血塗ちまみれの結晶であり、その時のメンタルがまばらな縫い目に顕著に現れている、貴重な一品なのです。

「相当大変だった?」

「んー、どちらかというと退屈さが勝るかな」

 和裁は、裁断箇所を間違えなければ只ひたすら直線縫いが続く。

 対して洋裁は、身体に沿う為のカーブも多く、ギャザーやタックなどの拘りを突き詰めるとやたらと頭を使う為、私には非常に疲れる作業だった。

 これが、家政学科に身を置いた私が服飾向きではないと判断した理由だ。

「でも市販品と遜色ない出来で仕上げるっていうのは大したもんだよ」

 あなたに褒められて空に舞い上がりそう。

「それに、この淡い色味に丸い大ぶりの花柄がアクセントになって咲いてるところがとても良く似合ってる。可愛いよね、この柄」

 うほぉぉ、更なる嬉しいお言葉いただきました!


 そうこうしているうちに、次々と色とりどりの花火が上がって行く。

 ヒュルルルルーーーー。

 ドオォォォォーーーン。

「おおぉぉぉ!」

 その中でも、一際眩しい火花が尾を引き柳の如く大きく広がるその様に、周囲の家族連れが、恋人同士が、友人グループが釘付けになり一同が見惚れる。

 この特大花火の、一呼吸置いてやってくる爆音に心臓がドスンと叩かれる感じが好き。

 もう一つ二つが、ひゅるるっと上がったみたいで、喧騒に混じって微かに聞こえる。

 遅れてやってくる炸裂音に身構えながらあなたに視線を合わせた、

 瞬きひとつ分の、

 ごく僅かな間に。

 組まれたあなたの指先にきゅっと力が入り、空いた手が団扇を顔の側まで持ち上げると、少し照れたあなたの影が近付いて。

 ドオォォォォーーーン!

 ―――そっと唇が触れあった。


「余りの可愛さに我慢できなかった。公共の場で失礼しました、反省」

「花火に夢中で誰も私たちを見てないから、許す」


 たまには流されるのもアリだし。

 あぁ、なるほど、こういう感触なんだね。


 ◆ ◆ ◆


 楽しい時間ほどあっという間に過ぎていくのは既知の事実。寂しいけれど仕方がない。

 これから合流するという大学の友人を共に待つ。

 一番乗りは同科の数少ない男子のひとり。

 きみが呼ぶ名から察するに恐らく例のお隣くん。

 早く来て邪魔した、と済まなそうにしているが胸の内はどうなのか。

 きみに関わる全てに警戒しかない。


「男子の友達が居れば安心だね」

 暗に各々の関係性を示唆し、見えない圧を掛けて反応を見ながらその場を後にする。

 笑いたければ笑えばいい。

 年月による経験をどれだけ積もうが、余裕が無いものは無いのだ。


 きみと別れたあの時、背後から聞こえた会話。

『その浴衣、自作?柄が藍田らしくてぴったりだ』

 オレしか気付かぬ筈のきみの一部を知るだけでなく、同世代間に許される〈藍田〉呼びに悔しさや妬ましさ以上に羨望が勝る程に、余裕なんてものは一切ありはしない。

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